第3話 144日目/22日目

 一四四日目


 インスタグラムのフォロワーは一五二〇人。ツイッターは七〇八人。どちらも始めて二年ちょっと。そこまで積極的に投稿をしていたわけじゃないから、まあこんなもんかなって思ってる。でもやっぱり、もっと見られたい、知られたい、認めてほしい。私は私の容姿をやっと認めることができた。そして、周りの人も認めてくれた。今度は、世界中に認めてもらいたい。

 だから少し前に、ティックトックも始めてみた。こっちはインスタやツイッターと違い、すぐにフォロワーが増え、現在二一〇七人まで増えている。流行りの音楽に乗せてちょっと可愛げにダンスをするだけでここまで伸びるんだ、と正直驚いた。

 その日は講義が休みだったので、午前中にティックトックの撮影、投稿をしたあと、雅人の家に向かった。雅人は私と同じ一人暮らしで、二駅隣に住んでいる。すぐに会いに行けるので、割と寂しい思いをしないのはいい。いや、したことないかも。


「あ、いらっしゃい~」


 ノックをすると、すぐに雅人が出てきた。飼い主の帰りを待っていた犬のように嬉しそうで、私も思わず顔が綻ぶ。

 部屋に入ると、いつものワンルームはいつも通り、物で散らかっていた。基本的にはゴミが落ちていないのが救いだった。まあ、足の踏み場はあるし、十五分も片付ければ綺麗になるので、そこまで咎めることはない。男の子だしね。


「真希ちゃん、なんか飲む?」


 恒例の片づけを終えて、私はスマホをいじりながら雅人の問いに答える。


「炭酸水ある?」


「そんなんないよ~」


 いつものやり取り。これをすると、決まって雅人は常温水を持ってきてくれる。平和だった。私は大きいクッションに自分のお尻が沈み込むのを感じながら、液晶の向こう、ネットの世界を覗き見る。先程投稿したティックトックの動画には既にいくつかのコメントが書かれており、私はそれをチェックしていた。


 Ⅿrモーニング:今日もかわいいね、まきチャン


 Mrモーニングさんは、私の初投稿動画から毎回欠かさずコメントしてくれている。文面がおっさん臭くてちょっと……という感じだけど、この人のお陰で動画の初動がいいのも確かなので、目を瞑る。そして、いくつかの好意的なコメントを見ていくと、あるコメントが私の目に飛び込んできた。


匿名希望Z:顔はいいかもだけど、動きキモくね。自分に酔っちゃってる感じ


 ……え。いや、いいじゃん。ダンスなんかやったことないし。てかそういう下手だけど可愛いから許せる感じを求めて見てるんじゃないの?


名無しY:裏では性格ワルそw てかよく見たらブスじゃね


 ……なに、なんなの。

 気づけは、似たような中傷コメントがどの動画にも付いていた。どれを開いても、似たような人が似たような言葉で、私の心を痛めつけようと躍起になってるみたいだった。私は、この人たちになにかしただろうか。なにか言っただろうか。いや、人はいつだってこんな――。

 脳裏に甦る。


「ちょ、ブスは寄んなよ」


 半笑いの女子。


「お前の髪、陰毛みたいだな」


 卑しい顔の男子。


「帰れよ陰毛ちゃん」


 嘲り声。遠ざかる音。




「死ねよ」

モブX:死ねよ




 その一言で、私は私の存在価値を見失ったのだ。

 気づけば、目頭が熱く、頬には涙が伝っていた。頭の中で何かがざわざわと叫びだし、声に出そうになる。

 そして、ついに漏れ出た嗚咽に、キッチンで洗い物をしていた雅人が気付いた。


「真希ちゃん……!」


 雅人は私の元に駆け寄り、しゃがみ込んで背中をさすってくれた。きっと私の目を見てくれようとしている。でも、私は涙を抑えようと必死で彼の目を見ることができなかった。


「……大丈夫、大丈夫」


 私の頭を自分の肩に置き、優しく抱擁してくれる雅人。気づけば、握りしめていたはずのスマホは雅人の手にあった。


「これ、こっち置いとくね」


 ギリギリ手の届くローテーブルの上に私のスマホを置いた雅人は、そのまま私の体を強く抱きしめた。私は、涙を堪えるのをやめ、柄にもなく声を出して泣いてしまった。


   *


 その夜、私は雅人の家に泊まった。本当は今日泊まるつもりなんてなかったけど、なんとなく今はあの一人の部屋に戻りたくなかった。最低限のお泊りセットは雅人の家に置いてあるし、唐突に泊まることはよくあることなので、私たちは夕方にはいつも通りの空気に戻っていた。

 夕食は健康面を考えて、私が作った。雅人は毎食というわけではないが、度々ウーバーイーツやコンビニで食事を済ますことがあるようなので、その度私が文句を垂れるのが恒例である。自分でも、口うるさいと思うけど、やっぱり恋人には健康体でいてもらいたい。それに、せっかくのイケメンにニキビとか、あるいは肥満とかの問題が生まれてしまうのはできるだけ避けたいのだ。


「うん、やっぱり真希ちゃんの作る料理は美味しいね」


 ベタでありふれたその言葉が、雅人が言うだけで不思議と自然に聞こえるのは、きっと本人が本気で思っていることを素直に口に出すからだろう。これまたベタでありふれた肉じゃがを、嬉しそうに頬張る雅人の顔を見て、私は誰にも見せられないにやけ顔をフローリングに披露した。

 後片付けや入浴、その他諸々済ませた私たちは、同じベッドで眠る。毎回、必ずそうなる。示し合わせたりすることなく、そうなる。

 雅人が半分寝ている声で、「もう大丈夫?」と私に訊いてきた。私は昼間自分が泣いてしまったことを思い出し、密かに赤面しながら、「うん、大丈夫」と答えた。向かい合わせ、目の前の雅人の眠そうな顔を眺める。綺麗に整ったその顔は、普段の雅人の性格を全く思わせないくせに、表情だけは子供っぽくて、そこに不思議な魅力の秘密が隠れているような気がする。


「なに?」


 私にまじまじと見られた雅人は、こっ恥ずかしそうに言った。


「なんでもない」


 同じく笑って、私は雅人の右耳に手を遣る。ふと、私は新たな発見をした。


「雅人、こんなところにホクロあるんだね」


 耳たぶの真ん中に、大きなホクロがある。ピアスの穴にも見えるそれは黒というより茶色っぽくて、一度気づくとなんで今まで気づかなかったんだろうと不思議に思えるものだった。


「そうなんだ~、だからこっちにピアスは絶対開けたくないんだよね」


 なんだそれ、と私は笑った。


「だって、せっかくここにホクロが生まれてきたのに、穴開けちゃったらかわいそうじゃん」


 不思議な価値観に、私は再び笑ってしまった。当の本人は至って真面目に話していたようで、少しムキになって「なんで笑うの!」と笑いながら怒った。そんなやり取りを繰り返して、私たちはいつの間にか深い眠りに落ちていた。



 二十二日目


「ああ、こんなに無防備に個人情報晒しちゃって……」


 男は相変わらず薄暗い部屋、ひとりパソコンに向かう。青白く照らされるにやけ顔。モニターには真希のSNSアカウントが一つ残らず映っていた。ツイッター、インスタグラム、そして今のところ動画投稿のないティックトック。

 前者二つは、投稿頻度こそ高くないものの、いくつかの写真が公開されており、一般人のアカウントにしては多くのいいね数を集めている。夏頃に投稿された海が背景の写真を見つけ、男は下半身をもぞもぞと動かす。

 夜なのか朝なのかも分からない部屋で、時間だけは確実に過ぎた。

 男は深く溜息を吐き、ティッシュで埋まったゴミ箱を虚しそうに眺めてから、再びモニターに向かった。


「写真一つでなんだって分かるよ、帆波ほなみ真希チャン」

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