第2話 137日目②/15日目
次の講義が始まるので、私と雅人は別館の講義室に向かっていた。建物と建物を繋ぐ連絡通路は昼休みが終わるころ、私たちと同じ目的の学生たちで賑わう。「次の講義めんどい~」とか「やば、課題やってない」とか、学生としてそれはどうなのだろうと思わざるを得ない声がちらほらと聞こえる。かく言う私も、雅人に「もう帰りたい。帰ってネットフリックス見たい」と愚痴をこぼしたばかりはであるのだが。
「やあやあ! このクソ暑いってのにアツアツだねえ二人とも!」
夏の気だるい空気感をものともしない元気な声が、背後に聞こえる。この声の主は、顔を見なくても分かる。
「のえりー、あんたが一番暑苦しいよ……」
私に文句を言われてあははと笑うのが、
「あ、のえりー。元気?」
雅人はのえりーとの身長差がだいぶあるので、背中を少し丸めて挨拶をした。のえりーはそんな雅人に脇腹にチョップを入れ、「やあやあ!」と声を張り上げる。OUCHI!と外国人でもないのにいい発音で痛がった雅人は、笑いながらチョップの被弾部をさすった。
「雅人くぅ~ん! 相変わらずこんないい女隣に連れていいですねえ~! 一年生にしてもう今度の学祭のベストカップル候補だ!」
近所のおばさんかよ、と言いたくなるほど下世話なセリフに、爽やかに笑い返す雅人と、顔をしかめる私。神よ、私にも彼のようなおおらかな心を与え給え……。
「ベストカップルって?」
雅人は首と傾けて、のえりーに訊く。そう、この大学最大のイベントである駒早祭は、ミスコンの代わりとなるベストカップルというプログラムが存在する。
「ええっとねえ、まあ簡単にいうとー、みんなが一番羨ましいカップルを決める大会みたいな? 美男美女カップル決定戦的な? 言葉にしてみると趣味悪いよね~」
のえりーの言ったとおり、つまり大学のナンバーワンカップルを決めるということだ。これに選ばれれば、みんなが私たちを見ることになる。ちやほやされる。きっとSNSのフォロワーも伸びる。いいことずくめである。
「キミたち二人なら、マジで獲っちゃうかもねえ、ベストカップル」
ニヤリと笑うのえりー。きょとんとする雅人。まあ、雅人はこの手の話題に興味などないだろう。
謎の沈黙が流れた。
これで私が乗り気になるのもなんか違うよなあ、と思う。
「真希ちゃんは興味ある? 出たい?」
「出たい」
おっと、即答してしまった。まあ、出たい? と言われたら出たい。だって私と雅人だよ? ほぼ優勝決定だし、おいしいことしかない。
「ほっほぉ~! じゃあワタクシのえりーがお二人をエントリーさせておくとしようじゃないか!」
おお! のえりー! 流石!
正直、自分でエントリーするのはキャラ的に違うかな~って思っていたのだ。本当にこういうところ、感謝感激なんとやらである。
「ありが――」
「おっと! 感謝の言葉はいらぬ……その代わりと言ってはなんだが」
出た。いつもの。この時間、昼休みが終わったころ、大抵のえりーは私のところに頼みごとをしにくる。
「さっきの哲学の講義! なんちゃらの船? って話が私には理解不能だったんだ……教えてよ真希えもん」
誰が青狸だ。と声に出さず顔で示すも、まったく通じていないようで、私は下唇を軽く噛んだ。
「あ、俺もよくわかんなかったからお願い真希えもん」
お前もかい、まさ太くん。
「はあ、仕方ないな」
私はスマホを取り出し、まだ次の講義に間に合うかだけ確認して、歩きながら口を開いた。
「テセウスの船、ね。有名なパラドックスのひとつってのは分かるでしょ」
二人がこくりと頷くのを見て、私は続ける。少し複雑な話ではあるので、私も頭の中でひとつひとつ整理しながら話さなくてはいけない。
「著述家プルタルコスが投げかけた思考実験で、ギリシャ神話から来ている話なんだけど」
先程まで前のめりだった二人が、すぐに苦い顔に切り替わる。少しでも聞き慣れない単語が出るとこれだ。まあ、人名とか名称にあまり意味のある話ではないので、気にせず続ける。
「かつてテセウスが乗ったとされる、いわゆるテセウスの船がアテネに保管されていたの。でも当たり前だけど、その船は年々老朽化するでしょう?」
「うん」
「諸行無常、だねえ」
なんとか二人は話についてきているようだ。まあ元々頭が悪いというわけではないので、あまり心配はしていない。通知表で授業態度の欄が毎年一になっていたタイプの人間なだけだ。
「古くなったテセウスの船は修復されることになるよね。それで、腐ったり痛んだりしたパーツを順番に、何年もかけて交換したとするでしょ。それをずっと続けていくと、テセウスの船を最初に造ったときのパーツはいずれ全て無くなって、新しいパーツだけの船になる。見た目も性能も、全てかつての船と同じだけど、かつての船のパーツは何一つ残っていない」
二人の顔が険しくなる。あれれ? そうなると……? なんて唸り声が聞こえてきた。
「そう、その船は果たして『テセウスの船』と呼ぶことはできるのか……っていうパラドックスだね」
私は言い切り、君たちと違って私はちゃんと講義を聞いているんだぞという意を込めて、ふんと鼻を鳴らしてみた。無視された。
「つまり、たくさんメンバーがいるナントカ坂みたいたアイドルグループがいるとして、メンバーが卒業と加入を繰り返した結果、オリジナルメンバーがいなくなっちゃっても『ナントカ坂』であるかどうか、みたいな?」
「なるほど、分かりやすい」
のえりーが雅人に完璧な例え話をしてくれたので、私は「そう」と二文字言うだけの簡単なお仕事をすませて再び時間を確認する。
「やっば! もう講義始まるじゃん!」
スマホ画面は午後の講義が始まる一分前を示しており、私たちの焦りを煽ってくる。教室まで走れば間に合うか瀬戸際なところだ。
「え、走る? 走るの? おっしゃどんと来いや!」
ノリノリののえりー。のりのえりー。いや何でもない。
「え~、面倒臭い……これ走りにくいし……」
自分が履いているクロックスをのえりーにアピールしながら、気だるい声色で言う雅人。そして私は。
「まあ、十五分過ぎなければ遅刻扱いで済むし、いっか」
雅人に加勢した。走るとメイクと髪が崩れるから。
そんなこんなで、私たちは三人、ゆったり廊下を歩いて午後の講義に遅刻した。
十五日目
mi@愚痴垢 @m_xxxxxxx_i 3分前
あーマジ萎える。自分がこの世で一番かわいいみたいな態度でさあ。今でこそこんな感じだったけど、昔は酷かったんだよ。ほら、写真。
相変わらず部屋の電気は点けない。エアコンの掃除は、男がこの部屋に住み始めてから一度たりとしていないので、カビの臭いが充満している。頭を掻き毟り、親指の爪を噛む。充血した生気のない目は、パソコンモニターに映し出された二枚の画像ファイルを凝視している。
「……かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい……」
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