「期間限定王妃になってくれ」と言われたので「契約料はおいくらですか?」と尋ねたら……たどり着いたのは溺愛生活でした

新 星緒

1話・貧乏令嬢、期間限定王妃の打診をされる

 あぁ、お腹が空いた。

 ようやくの昼休憩。支給されたパンとフルーツ、ゆで玉子をポケットから取り出した布で適当にくるみ、食堂を出ていつもの場所に向かう。ちょこっと遠いけど、衛兵の巡回すらこない穴場、放置された破れ温室へ。


 私が初めて入ったのは、王宮に勤めて三日目だった。ツテでランドリーメイドとして潜り込んだけれど仕事が想像以上にキツくて、誰にも見られずに体を横たえられる場所を探してのことだった。

 食事する気力もなく、しかばねのようになっていたら――。




 鍵が壊れた扉から破れ温室に入る。ガラスが割れている箇所があっても、外よりは暖かい。ぼうぼうと伸びた草の合間を縫って奥に進む。そこには腐りかけだけど一応まだ使用に耐えうる木製ベンチがある。大きいから余裕で寝そべることができる、すぐれものだ。

 でも実際に寝たのは数えるほど。誰も来ないと思っていたここは、私以外にも絶好の休憩ポイントだったのだ。


 今日も、屍のときに出会った彼がいる。

「アリア!」

 私の顔を見て嬉しそうに笑うのは、自称国王陛下のフットマン、ステファノ二十五歳。王宮には何百人もの使用人がいるから、全員を把握するなんて不可能に近い。彼がフットマンと名乗るのならば、きっとそうなのだろう。やけに綺麗な顔をして上品な振る舞いをしているけれど。もしかしたら事情があって身をやつした公爵令息なのかもしれない。私のように。


 私はこれでも伯爵令嬢だ。でも一般的な貴族令嬢のような生活は送れない。なぜなら阿呆で愚かでクズの父親が賭け事に狂い、全財産を失ったばかりか借金まで作ってしまったからだ。そのせいで私は適齢期だというのに結婚もできず、こんなところでランドリーメイドをしている。


 ツラいという感情はとうの昔に消え去った。私には守らなければならないものがあるから、頑張るのみだ。

 それにステファノという友達もいる。


「良かった。来ないのかと思った」とステファノ。

「午前の仕事がだいぶ押してしまったのよ」

「ご苦労」


 彼のとなりにすわり、布を開いて少ない食事を出す。食堂で食べればスープとかもあるのだけど、あそこはあまり好きではない。ほかのメイドたちが王族や貴族のゴシップばかりを話すから楽しくないのだ。


「アリア。食事をしながらでいいから俺の話を聞いてくれ」

「改まってどうしたの? 相談事とか?」

 ステファノが大きくうなずく。

 彼はとても美男だ。理知的なのに色気をまとう容貌。首の後ろでひとつに結ばれたクセのある艷やかな黒髪。ほどよく筋肉のついたバランスのいい体躯。絶対にモテるだろう。


 そんな彼が昼時にここに来るのは、息抜きのためらしい。彼に食事に誘われたい女性は多いだろうに。色気より休息を優先しているみたいだ。前にそんなことを言っていた。


「ちょっと困ったことになった。助けてほしい」とステファノ。「アリアしか頼れるひとがいない」

「私にできることなら」

「今すぐ結婚する必要ができた。そこでアリア。一年の期間限定、白い結婚でいいから王妃になってくれ」

「……ちょっと意味がわからないわ」

「そうだな」照れるステファノ。「気がはやりすぎて大事なところが抜けたな。俺の本当の名前はフィネル・ルドワイヤン。職業はフットマンではなく国王だ」


 下っぱメイドには国王の顔を見る機会なんてないけど、どんな容貌かくらいは噂に聞いている。

 ステファノの綺麗な顔立ち、ダークブラウンの瞳に艷やかな黒髪という特徴は、国王のものと一致する。けど、珍しいものじゃない。


「国王が護衛もつけずに、ほぼ毎日こんな廃墟にくるとは思えない。結婚詐欺ね」

「違う!」ステファノが強めの声で否定する。「参ったな、どうすれば。――そうだ」彼はズボンのポケットからなにやら取り出した。「いつもここに来る前に外している」


 開いた彼の手の中には、特大サイズの赤い宝石がついた指輪がひとつあった。そのアーム部分には国王のフルネームが刻まれている。


「……本物?」

「そう」とステファノ。いや、国王らしきひと。「結婚できれば誰でもいいというわけにはいかないんだ。条件その一、貴族の派閥に属していない」

 ふむ。確かに私はクリアしている。父は十代で家督を継いだものの、すでにクズの片鱗を見せていて社交はほとんどしていなかったと聞いている。現在貴族で親しい人はいない。亡き母の実家にだって絶縁されているくらいだもの。


「条件その二。最低限の知識と貴族のマナーを知っていること」と国王らしきひと。「調べたんだが、アリアは伯爵家出身で、母親から令嬢としての基本を教え込まれている」

「……いつからご存知だったのですか」

 本当に国王かもという気がしてきたので、口調を改める。


「わりと当初から」国王らしきひとは指輪をはめると、私の荒れた手を取り目を覗き込む「労働者の手だ。口調もややぞんざい。だが育ちを完璧には隠しきれていない。振る舞いも」

「……その三は?」

「ない。――いや、あるな」自称国王がにっこりとする。「信頼できるビジネスパートナー。半年接してきて、アリアよりほかに適任者はいないと確信している」


『ビジネスパートナー』か。ふむ。


「お話はわかりました」

 国王の顔がパッと明るくなる。

「で、契約料はおいくらでしょうか」

「ケイヤクリョウ」なぜか片言でオウム返しをする国王。

「ビジネスならば、契約料をいただけますよね? いくら期間限定の白い結婚でも、結婚は結婚。女の私にはマイナスの経歴になります」

「あ……そうだな。契約料。確かに」

「私のことをお調べになったなら、まだ十二歳の弟がいるとご存知ですよね。あの子にちゃんとした教育を受けさせたいのです」


 私のお給料は、そのために貯金している。実家に送金しても父親ロクデナシが使い込むだけだもの。ある程度溜まったら、私が家庭教師と年間契約を結ぶ予定だ。


「母親の実家も頼れないんだったか」と国王。

「はい」

 母の両親はすでに亡く、伯父が当主を継いでいるのだけど、資金繰りが苦しいようだ。私が実家を出るときに弟シャルルを居候させてもらえないか頼んだら、余裕がないと断られてしまった。本当なのか父のせいなのかは、わからない。


「わかった。ではこうしよう。アリアに払う契約料は、俺が持つエーデル領一年間の税収入すべて。これは個人資産だから、どう使おうが国に関係はない」

 なんて太っ腹!

「それでしたら喜んで契約します」

「現金だな――それと別に、シャルル・ローリエを城に住まわせ、王妃の弟としてふさわしい教育を受けさせよう」

「それは遠慮します」

「なんでだ」

「一年後にその立場を失うのですよ? あの子の将来を考えたら、よくありません。契約料だけで十分です」


 国王はなぜだか鼻白んだ表情をしている。

 提案を却下されて不満なのかな。


 彼から目を離し膝の上の、手を付けていない簡易な昼食を見る。

 私だって。

 ステファノはフットマンじゃないかもしれないと思ったことはあるけど、まさか国王だなんて思いもしなかった。悪気はなかったのだろう。彼と過ごす時間は楽しかった。だけど、それはもう二度と手に入らなくなった。

 これからはビジネスパートナー。


「かといって王の義弟をあの状況には置いてはおけない。なにかしらの対応はする」と国王。

「わかりました」

「それから、アリア」

「はい」昼食を見ながらうなずく。

「……」


 すいっと手が伸びてきたかと思うと顎を掴まれ、国王のほうを向かされた。

「急によそよそし過ぎる。今までどおりの口調で話せ」

「貴方様が国王陛下とわかった以上、失礼な態度は取れません」


 私の返答は元ステファノを怒らせたらしい。一瞬にして表情が険しくなった。


「申し訳ありません」

 頭を下げると顎をつまんでいた手が離れていった。

「……それは俺が思い描く王妃じゃない」


 そんなことを言われても。

 ただ、契約料は予想以上に高額だ。


「では陛下の想定する王妃像をお教えください。一年間、人前ではそのとおりに演じましょう」

「……そうだな」

「そのほか私に望む条件や料金について、書面にしたためていただけたら契約を進めましょう」

「……わかった」

 国王は不満そうな表情で答えると、顔をそらした。なにが気に食わないのかはまったくわからない。


 契約料は魅力的だけど。唯一の友達を失った私だって、あまり楽しい気分ではないのだけどな。

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