一瞬の夏~約束の場所へ~

Youlife

第1話 この胸のときめきは

 八月十三日。

 お盆を迎え、帰省客で賑わいを見せる中川町。町で一軒だけのコンビニエンスストアを経営する金子和明かねこかずあきは、いつもより忙しい一日を過ごしていた。基本的には金子と妻の二人で切り盛りしており、アルバイトも雇ってはいるものの、地元で専業主婦をしている人達で、お盆になると帰省する家族の世話のため仕事を休んでしまう。そのため、お盆は猫の手を借りたいほど忙しくなるのが慣例である。

 しかし、この時期は昔「常連」としてこの店を利用していた子ども達が全国各地から帰省し、この店に顔を出してくれる。この日も、かつてこの店を良く利用していた中島匡史なかじままさしが意気揚々とした様子でレジの前に現れた。学生時代は坊主頭に相撲取りのようなふっくらとした顔と体格が目を引いていたが、数年経った今は少し髪が伸びた程度で、面影は当時のまま変わっていなかった。


「よう店長、久し振り。あれれ? 店長、ちょっと太りました?」

「何言ってんだよ中島。体に肉が付きすぎてるお前に言われたくないよ。少しは痩せないと、これからもずっと彼女ができねえぞ」

「え? 今度俺、結婚考えてる人間がいるんですけど」

「お前が結婚? 本当なのか?」

「ほ、本当ですって。おい、真奈美まなみ、こっち来いよ」


 すると、匡史の真後ろから小顔のかわいらしい女性がひょっこりと姿を見せ、軽く頭を下げて照れ笑いを浮かべていた。


伊沢いざわ真奈美です。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく。真奈美さん、こいつ、学生の頃本当にモテなくてね。何度も振られてはここに来てわんわん泣いて、その度に慰めてあげたんだよ」

「そ、そうなんですね。大変だったんですね」


 匡史の彼女である真奈美は、戦々恐々とした様子で金子の話を聞いていた。


「で、でも俺、ほんのちょっとだけど女子に人気があったんですよ。高校の時合唱部にいたんですけど、部の女子が独自にやっていた『彼氏にしたい部員ランキング』では真ん中ぐらいだったんですからね」

「あ、聞いたことあるな、そのランキング。確か……奈緒が教えてくれた記憶がある」

「奈緒? それって、佐藤先輩ですか?」

「お、知ってるのかお前、奈緒のこと」

「知ってますよ。一年先輩ですけど、勉強が出来て、いつも学年上位でしたからね。卒業後に自殺したって聞いて、本当に驚きました」

「……まあな」

「ど、どうしたんですか、そんなしんみりしちゃって」

「どうだっていいだろ? それより幸せにしろよ、真奈美さんのこと。男として、何があっても身体を張って守ってやれよ、いいな!?」

「は、はーい。というか、どうしちゃったんですか、急にマジな顔になって」


 匡史は驚きつつも、片手で袋を持ち、片手で真奈美の手を繋ぎながら店の外へ歩きだした。金子は匡史を見送ろうと店の外に出ると、西の空が真っ赤に染まり始めていた。


「そろそろ……迎え火を焚こうかな」


 金子は匡史の背中が見えなくなると、店に戻り、数本の木片とマッチを用意した。ちょうど店内には客もいなくなり、迎え火を焚くタイミングは今しかないと感じた。

 店の外は徐々に闇に包まれ、車のヘッドライトだけが流れるように通り過ぎて行った。金子はマッチを擦り、木片の上からゆっくりと火を近づけた。やがて火は木片を焦がし、ほの明るい光を放ち出した。


「奈緒、お前のために今年も迎え火を焚いたぞ。お盆の間、気が向いたらまたフラっと戻って来いよ」


 明かりに横顔を照らされながら金子は薄笑いを浮かべると、立ち上がり、大きく背伸びをしながら再び店内に戻ろうとした。その時、明かりに照らされながら、大きなリュックを背負った若い女性が徐々にこちらに向かってくるのが見えた。

 金子が店内に入った後、女性は店の前で立ち止まり、体をよろめかせながらも両手でドアを開け、一目散に店の中へと駆け込んでいった。


「わあ、涼しい。暑い中ずーっと歩いてきたから、天国みたい!最高だね、ここは」


 女性は大きな麦藁帽子をかぶり、三つ編みにした茶色の長い髪を揺らしながら、両手を広げて店内をふらふらと歩いていた。金子はレジに立ちながら、店内を無邪気に駆け回る女性の様子をじっと見ていた。派手な柄のアロハシャツを胸元で結んでちらりと臍を見せ、短いデニムのショートパンツからすらりと長く肉感のある脚を惜しげもなく露出し、斜め後ろから横顔を覗くと、目や口が大きく、少女のような可愛らしい笑顔が見えた。田舎では滅多に見かけない美女を目にして、金子は思わず赤面してしまった。すると女性は金子の視線に気づいたのか、振り向くと、頭を掻きながら駆け足でレジに近づいてきた。


「ごめんなさい、ちょっと相談したいことがあって……」


 女性はレジのテーブルの上に手を付くと、呼吸を整え、その後顔を上げて金子の目を見つめた。大きく開いた澄んだ茶色い瞳でまっすぐ見つめられた金子は、緊張で胸が高鳴り、正気を失いそうになっていた。


「私、東京から来たんですけど、ここまでヒッチハイクしながら旅してきたんです。でも、あっという間にお金が底を尽きそうで……もし状況が許せるならば、ちょっとだけアルバイトさせて頂けないかと思いまして」


 女性はそう言うと、財布を取り出し、ちらりと中を見せてくれた。その中には若干の小銭が残っているだけで、お金がないという本人の話はまんざら嘘ではなさそうだ。


「う、うちはいいけど……アルバイトの経験は?」

「ちょっとだけありますよ。野球場でビールの売り子やってたんです。こーんな大きなビールタンクを背負って階段を歩いてたんですよ」


 女性は甲高い声でそう言うと、金子に背を向けて大きなリュックを見せて大笑いしていた。


「ほう、そんな大きなリュックを背負ってそれだけ声が出るなら合格点だ。じゃあ、明日朝から来てくれるかな」

「わかりました。ちなみに、ある程度食べていける位稼いだら退職するつもりですけど、いいですか?」

「じゃあ、仕事出来るのはほんの短期間ってことかい」

「はい。実は私、人と会う約束をしていまして」


女性は少し顔を赤らめながら金子の顔を見つめた。


「約束の場所まで行きたいけど、学生だし、自由になるお金がないから、出来るだけお金をかけないようにここまでヒッチハイクしてきたんです」


 女性はスマートフォンを取り出すと、LINEを立ち上げ、フォロワーとのやりとりの一部を見せてくれた。


「この『マツオカハルキ』って人と約束したんですよ」


 そこには、熊のイラストが入ったアイコンと、「マツオカハルキ」という名前だけが書かれていた。


「この人はどういう関係? 幼馴染とか、学校の同級生とか?」

「ううん、そういうのじゃないです。全く会ったことが無いんですよ」

「はあ? まだ実際には会って無いのか?」

「そうでーす」

「じゃあ、君はこの人とどこで知り合ったんだ?」

「……ごめんなさい。それはちょっとナイショってことで」

「言いたくないの? まさか、出会い系サイトとか?」

「うん……まあ、そう言うことにしておこうかな。アハハハハ」


金子の言葉を聞いて口に手を当てて大笑いする女性を、金子は頬杖しながらあきれ果てた顔で見つめていた。


「マツオカさん、この近くの町に住んでる人みたいなの。私、学校が夏休み中だし、旅行を兼ねて私から逢いに行くって約束したんですよ」


 女性はそう言うと、スマートフォンを仕舞い込み、「それじゃ、明日からよろしくお願いします」とだけ言い、出口へ向かってふらふらと歩きだした。


「ちょっと待てよ!」


 金子は焦燥した顔で女性を呼び止めた。


「君、今夜寝る場所はあるのか? 良かったら我が家の部屋が一つだけ空いてるから、そこに泊まったらどうだい」


 すると女性は何度も首をかしげながらしばらく思案していた。


「いいんですか? お金、取らないですよね?」

「ああ、取らんよ。その代わり、明日からしっかり働いてもらうからね」

「ありがとうございます!」


 女性は両手を叩きながら甲高い声で金子に感謝の言葉を伝えた。


「あ、そうだ。君の名前を教えてくれないか?」 

岸野明日夏きしのあすかです。明日と夏って言葉を組み合わせて『あすか』って呼ぶんです。難しい名前でしょ? 友達はみんな、『あすな』とか『あしたなつ』とか適当な読み仮名で私を呼ぶから、頭に来ちゃうんですよね。アハハハ」


 明日夏は再び大きな声で笑った。金子は店の奥から出てきた妻の亮子りょうこを手招きすると、明日夏の背中を押して亮子の目の前に立たせた。


「明日からこの店を手伝ってくれる明日夏さんだ。お金が貯まったら辞めるそうだけど、うちも忙しいし人手不足だから、いいだろ?」

「そうね。でも大丈夫なの? この人……」

「球場でビールの売り子をしていたそうだ。頼りになりそうじゃないか。ただ、ヒッチハイクでお金がないみたいだから我が家に泊めてあげようと思うんだ。、まだ空いてるだろ?」

「ああ、ね。うん、何も置いてないわよ」

「じゃあ、そこを案内してあげてよ」


 とは、かつて奈緒が家出してきた時に泊めてあげた部屋だ。奈緒が居なくなって以来、思い出の場所として、物置にすることも無くずっと空き部屋のままにしていた。


「じゃあ、お世話になりますね」


 明日夏は満面の笑みで片手を振りながら、亮子に先導されて店の奥へと消えていった。あの部屋に誰かを泊まらせるのは久しぶりだ。感慨に浸っていた金子は、突如手を止め、店の奥を覗き込んだ。金子は明日夏に出会った時からずっと胸が高鳴っていたが、それは彼女のセクシーな立ち姿だけが理由では無かった。明日夏の顔は、どことなく見覚えがあったのだ。


「奈緒……」


 金子は奥の部屋で亮子と話す明日夏の横顔を見て、思わず奈緒の名前を口にした。でも、まさか……そんな訳がない。なぜなら、奈緒はもう数年前にこの世に思い残すことが無くなり、二度とここに戻らないと言って旅立っていったはずだから。

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