しがない勤務医が第四王女直属癒術士として祖国を救うまで〜転生したのは中世レベルのハチャメチャ国家でした〜

アクティブキュート破壊神

Prologue. アデレード・ジル・エスペランサ

第1話.トリアージ



 紅き眼をした王女はうっとりとした表情で夜空にただ一つ浮かぶ月を見上げていた。

 とろけそうな月の光は彼女の頬を照らし、神秘のベールで彼女を艶やかに包み込む。


「ダヴァンよ、約束しておくれ」


 彼女は凛とした声でゆっくりと言葉を紡いだ。


「時が来たら、私を⸺殺してくれると」




***



(伝達系統は既に崩壊しているとは思っていたが)



 俺は目の前の惨状をぼんやりと眺める。負傷兵たちを超えた先の戦火の熱がじわじわと肌に伝わっているというのに、どうも現実味を覚えない。

 同胞のスックが負傷兵たちの焼け野原に飛び込むのが見えた。

 彼は一体何をしようというのだろう。

 彼はただ、もがき苦しむ負傷兵たちの呻き声を聞きにいったのだろうか。とすれば、普段の彼の穏やかな印象を改めなくてはならない。




 竜国ドレク・ゴーンが休戦協定を破り、エル・オハラの国境に襲来したのが2日前。

 ドレク・ゴーンの武力は周辺国の中でもトップクラスだ。あっという間に国境は炎に包まれた。

 だが、国王軍の精鋭たちが予想以上に早く国境に到着したため、迎撃を早々に開始することが出来た。かの『紅爪こうそうの王女』率いる部隊もあの戦線にいるのだとか。

 とは言え、迎撃を開始して3日目でこの有様だ。戦況の詳細は知らないが、戦火の勢いはこの数十年のうちでも随一だ。



(これでは明らかに癒術士ヒーラーが足りない)



 俺は空から眺める猛禽類のように薄く、広く、現状を眺めた。癒術士ヒーラーの白い頭巾が点在している。あとは上級を示す紫色のライン−はほぼ見られない。中級の青いラインの癒術士ヒーラーがごくわずかだ。

 下級の赤いラインが入った白い頭巾を深く被り、俺は視線を数メートル手前に戻した。包帯を全身に巻かれ、応急処置の護符が貼られた負傷兵がいた。胸郭がわずかに動いている。護符で無理やり心の臓を動かされていると言った具合だろう。


 さて、この惨状を捌く我らが主導者リーダーはいずこか。

 なんて、探すまでもないということは、王都で命を受けた時からわかっていた。我ら癒術士ヒーラーの中でも権力を持つ名家、アルガド家の次男テトが指揮をとると聞いたとき、俺たちは相応の覚悟をしたものだ。いや、したつもりだった。


(しかし、ここまでとは)


 向こうから、スックが俺を呼ぶ声が聞こえた。

 ここで現状を把握するとて、屍が今この時点で増え続けている以上、何もしないわけにはいくまい。

 俺は意を決して、負傷兵の並ぶ隙間に足を入れた。


「ダヴァン!どうもテトはここにはいないらしい!」

「なんだと?じゃあ今誰が指揮をとっているんだ??」

「それがどうも、テトの下についたクルル・リュブルらしい。急にテトが消えたもんだから、現状を把握することで手一杯だとか」

 スックが10時方向を指差す。そこにクルル・リュブルがいるらしい。

 彼女はテトと違い、聡明な癒術士ヒーラーだが、ここまでの戦場での経験はなかったはずだ。

「ということは俺たちへの指示は」

「ない。ただ、負傷兵への治療に専念するのみだろうね」


 負傷兵が並べられた列の間を歩く。ところどころで俺たちと同じ下級癒術士ヒーラーが懸命に治療に当たっている。

 責務を全うするのは大いに結構だが、それでは貴重な魔力をいたずらに消耗するだけだ。そんなの普段の冷静な時分であれば自明であるが、ここまで混沌を極めた戦場では容易く見落とされる本質に過ぎない。

 水平線より飛ぶ戦火、攻撃魔法の余波はもちろん、足元で呻く負傷兵の姿がより俺たちの理性を鈍らせる。


 足元をわずかに動かすと、湿った土の感触がした。傍にいる負傷兵から滲み出た液体の仕業だろう。これは完全に『黒』だ。

 と、ぼんやり考えていた頃にふっと前世の記憶が戻る。



(『黒』だって?)


 確かにその成れの果ては黒々としているが、自分の脳裏に浮かんだのは黒い紙のタグだった。そう、横たわった人間につけられているもの。

 このような戦火はなかったが、自然の猛威に呑み込まれた人々の苦しみの声が彼方から聞こえた気がした。


『ペースが遅いぞ!早くしろ!!』


 人々の声を追うように、檄を飛ばす懐かしい声が頭に響いた。



 そうだ、この惨状ですっかり蓋をしてしまっていた。

 前世で俺が何をしていたのかを。


 あのとき、どうしていたのかを。



 ⸺俺は前世で医者をしていた。21世紀の日本のとある地方都市で勤務医をしていた。300床程度の中規模の総合病院で、経営が振るわず常に赤字の病院だった。近隣の大病院と合併するのも時間の問題であるくらいの。


 死ぬ数年前に数百キロ先の地域で自然災害が起きたため、災害救急の人員として駆り出されたことがある。勤務先にはDMAT(※災害派遣医療チーム)なんていうシロモノはなかったし、あくまで末端として、だ。

 そう、今このときと似た状況だった。思い出した。


 そこで医大生以来のトリアージを現場で実際にやったのだった。もう一生分くらい。

 黒、赤、黄色、緑。タグをひたすら傷病者の右手首に貼り付けたものだ。



(歩行ができるか、自発呼吸はあるか、従命反応はあるか、脈はあるか、呼吸数はいくらか)


 判断する項目をゆっくりと前世から手繰り寄せる。

 この世界の人間と前世の人間が全く同じとは思わないが、真似事でも効果はありそうだ。

 そうしなければ、俺たちが潰れてしまう。



 俺はもう一度、目の前の惨状を眺めた。


(正直、転生したこの世界の医療レベルは中世ヨーロッパ並みのものだ。明らかに『黒』の人間にも治療を施してしまうほどに)


 ふと、前世の俺が、無理やり今の俺の腹を据わらせた気がした。

 そうだ、あのときだって、生命の灯火が消えるか否かの瀬戸際で走り回ったじゃないか。



「⸺スック」

「どうした?」

「考えがある」

 呆けたスックの顔をちらと見てから、俺は10時方向を指差した。

「さっき向こうに行った時、同胞に会えたか?」

「あ、あぁ、オットーがいたよ。あいつも災難なこった」

「そうか。あとは確かウォルテ川の連中も駆り出されていたはずなんだ…」

とここまで来て、俺はどう説明しようか一瞬だけ悩んだ。


 が一瞬だけ俺を阻んだ。

 ただ、そうも言ってられない。

 言うしかない。


「スックよ、このままでは俺たちも危険に晒されてしまう。


⸺『負傷兵の』を決めて、俺たちだけでも効率的に治療に当たれないだろうか?」



 『優先順位』という言葉を聞いて、スックは目を丸くした。その場で立ち尽くしてしまった。

 しまった、と思ったが、俺は彼の反応を待った。俺は彼に賭けていた。


 この国の癒術士ヒーラーの間には「」という信条がある。それ自体は大いに結構なのだが、だからこそ、余計に命が葬られてしまう非効率さを引き寄せる恐ろしさも孕んでいた。

 特にこの信条を強く宣うのがアルガド家だった。それを踏まえれば、テトがこの惨状を投げ出すのも理解できる。俺がもしあの家に転生していたら、息苦しくてそうそうに出奔していただろう。


 俺が学府アカデメイアの時分よりスックと親しいのは、彼が癒術士ヒーラーの家系の出の割には柔軟に思考できる才があったからというのもある。

 俺自身、同じく癒術士ヒーラーの家系に生まれたのだが、どういうわけかなかなかに破天荒な人間が多い家系らしく、学府アカデメイア時代も「あのエドモントだ」と噂されたほどだ。

 そんな俺に興味を示したスックは、信心深いシャドウ家の人間の中でもかなり酔狂の部類に入るだろう。


 俺はスックを信頼していた。だからこそ、待った。



 しかし、予想よりも早く、スックは数分と経たないうちに口を開いた。

「分かった」


 少しだけ俺の心臓が跳ねた。



「……教えには背く行為だが、ここで教えを貫く意義も乏しい。僕は君に賛同する。最大多数の人命のためにもね」


 俺はここまでスックの酔狂さを礼賛することはなかった。


 思わずこの場にそぐわない笑みが溢れそうだったが、

「それで?どうすればいい?」

とスックが返事を待っていたので、俺も応えるように姿勢を正し、咳払いした。


 俺は腰に下げていた袋から羊皮紙を取り出し、魔法陣を描いた。そこに指示内容を声にして吹き込み、それをスックに渡した。


「この内容を伝達魔法を使って、同胞たちに伝えてくれないか?終わったら向こうの負傷兵のタグ付けを頼む。その間にクルル・リュブルに会ったら俺の行動を伝えてくれ。……彼女は信心深いから難色示すかもしれないが、そうも言ってられないこともわかっているはずだ。俺は先にここらでタグ付けを行う。『黒』を見つけたら移動魔法で脇に集めて、治療するスペースを取るつもりだ。『赤』は見つかり次第、護符を貼る。これを徹底的にやる。


もしわからないことがあれば、俺に言ってくれ。もう一刻の猶予はない」


 俺はそう伝えると、足元にいた負傷兵だったものに静かに『黒』を付けた。



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