秋の二本松

 久しぶりの俳句です。

 このごころ、私事がゴタゴタしていたり「作家」としての活動に勤しんでいたりして、なかなか詠めていませんでした。


 ですが、今月の5日&8日に小説のリサーチも兼ねて「二本松」を訪問してきたので、それで詠んでみたいと思います。幼稚園生としては季節的には「立冬」を詠むのが正解なのでしょうけれど(苦笑)、せっかくなので「晩秋」の句で。


 大隣寺だいりんじ。ここに、二本松少年隊戦死者らのお墓があります。


 益荒男ますらお御霊みたまいだけり銀杏黄葉いちょうもみじ


 季語で「イチョウ」を詠み込んだのに、肝心の「イチョウ」が写っていないじゃないか!とお叱りを受けそうですが(苦笑)、ここの境内にはイチョウも植えられていまして、あちこちで銀杏ぎんなん特有の匂いがしているのが、なぜか印象に残りました。写真のキャプションでも書きましたが、ここは二本松少年隊の戦死者を始め、多くの藩士が眠るお寺です。丹羽家宗家の菩提寺でもあり、広大な敷地には丹羽一族を始め、主君を守るように「家老クラス」の家柄の墓標が数多くあります。上記写真の左手には立派な枝垂れ桜がありますが、春には見事に咲き誇るそうです。


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 その渡る心ばせ人りちの風


 8日は天気が穏やかで、行楽にはぴったりの日和でした。もっとも、小説のリサーチも兼ねていたので、午前中は大隣寺や大壇口古戦場を回ってきて、図書館で2時間ほどリサーチをした後、「城報館」で遅いお昼を食べつつPCの充電→霞ヶ城の菊人形を見学してまいりました。



 幕末の頃、城主が日常生活を送っていたのは「菊人形」の会場となっている「三の丸」辺りだったと言われています。霞ヶ城は三の丸だけでもなかなか庭園が美しいところですから、一句詠んでみたくなるのではないでしょうか。余談ですが、この辺りまでは、「城報館」(ここは、藩校敬学館があった辺りだと思われます)から割と気軽に歩いて行けるところです。


 ***


 兵革へいかくも遊びとしけり菊人形


 さて、訪問のメイン?になるはずだった菊人形。ですが、午前中に図らずも「武谷剛介ら木村砲術隊」が、大壇口で破れて四散したルートを逆に辿ってきたものですから、どうも今ひとつ菊人形に感動を覚えませんでした(苦笑)。

 実は大隣寺ではノートPCを背負いながら墓地を散策し、そして大壇口へ向かってきた次第です。5日に、城報館の体験コーナーで実際に銃を手にして担いでその重さに慄き(4~5キロくらいはあるはずです)、あの重い銃を手にして、体の小さな少年たちが戦ったのかと想像すると、こみ上げるものがありました。意識したわけではないですが、今回ワタシが自転車で辿ってきたのは、当時の彼らの逃走とあまり変わらないルートのハズです。


 ……ですが、そんな悲話も「秋の風物詩」の題材の一つとなる位に、今は平和の世なのではないでしょうか。是非はあると思いますが……。ちなみに、「兵革」とは戦争、戦乱を指す言葉だそうです。


 そんなわけで、晩秋の「二本松」からの句でした。



 ※note掲載文より転載・一部改稿。note版では、実際に訪問した場所の写真や、電動自転車で走り回った際の「マイマップ」のアドレスを公開しています。


 https://note.com/k_maru027/n/nbb49ddf977a6

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