秋の二本松
久しぶりの俳句です。
このごころ、私事がゴタゴタしていたり「作家」としての活動に勤しんでいたりして、なかなか詠めていませんでした。
ですが、今月の5日&8日に小説のリサーチも兼ねて「二本松」を訪問してきたので、それで詠んでみたいと思います。幼稚園生としては季節的には「立冬」を詠むのが正解なのでしょうけれど(苦笑)、せっかくなので「晩秋」の句で。
季語で「イチョウ」を詠み込んだのに、肝心の「イチョウ」が写っていないじゃないか!とお叱りを受けそうですが(苦笑)、ここの境内にはイチョウも植えられていまして、あちこちで
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8日は天気が穏やかで、行楽にはぴったりの日和でした。もっとも、小説のリサーチも兼ねていたので、午前中は大隣寺や大壇口古戦場を回ってきて、図書館で2時間ほどリサーチをした後、「城報館」で遅いお昼を食べつつPCの充電→霞ヶ城の菊人形を見学してまいりました。
幕末の頃、城主が日常生活を送っていたのは「菊人形」の会場となっている「三の丸」辺りだったと言われています。霞ヶ城は三の丸だけでもなかなか庭園が美しいところですから、一句詠んでみたくなるのではないでしょうか。余談ですが、この辺りまでは、「城報館」(ここは、藩校敬学館があった辺りだと思われます)から割と気軽に歩いて行けるところです。
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さて、訪問のメイン?になるはずだった菊人形。ですが、午前中に図らずも「武谷剛介ら木村砲術隊」が、大壇口で破れて四散したルートを逆に辿ってきたものですから、どうも今ひとつ菊人形に感動を覚えませんでした(苦笑)。
実は大隣寺ではノートPCを背負いながら墓地を散策し、そして大壇口へ向かってきた次第です。5日に、城報館の体験コーナーで実際に銃を手にして担いでその重さに慄き(4~5キロくらいはあるはずです)、あの重い銃を手にして、体の小さな少年たちが戦ったのかと想像すると、こみ上げるものがありました。意識したわけではないですが、今回ワタシが自転車で辿ってきたのは、当時の彼らの逃走とあまり変わらないルートのハズです。
……ですが、そんな悲話も「秋の風物詩」の題材の一つとなる位に、今は平和の世なのではないでしょうか。是非はあると思いますが……。ちなみに、「兵革」とは戦争、戦乱を指す言葉だそうです。
そんなわけで、晩秋の「二本松」からの句でした。
※note掲載文より転載・一部改稿。note版では、実際に訪問した場所の写真や、電動自転車で走り回った際の「マイマップ」のアドレスを公開しています。
https://note.com/k_maru027/n/nbb49ddf977a6
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