第6話
七月十七日
静子様と、仁と寿と共に大山咋命様のもとにお礼参りへ行くと、神社の敷地内で天様と白様が私たちを待っていたように立っていた。
「ご無事だったようでなによりです」
「このたびはどうもありがとうございました。あなたがたがいらっしゃらなければ天狗の一件、私だけの力ではとてもじゃないけど解決できなかったでしょう」
「主の命だったから仕方がありません。私もお役目を全うできて幸せです」
天様は誇らしげに笑う。静子様には見えないようだ。ただ静かに私の様子を見守っている。私はまだ、一人でなんでも解決できるわけじゃない。誰かの助けが必要なのだ。
「空、飛べるのですね」
「ああ。だから天と名付けられています。白のほうは飛べないが」
きっと神聖な気高い獅子なのだろう。だから大山咋命様も安心して神使として任せていらっしゃるのだ。
「さあ、ご挨拶をなさいませ」
天様と白様は素直に道を開けて下さった。
静子様と共に静かに拝殿に向かい、心の中で丁寧にお礼を言う。
爽やかな風が吹いた。きっと感謝の気持ちを受け取って下さったのだろう。
「天さん、白さん、千福を助けて頂きありがとうございました」
見えないはずなのに静子様はきっちり二匹の方を見て一礼をする。
天様と白様は満足げに頷く。静子様は微笑み、そのまま会社に向かわれてしまった。
天狗の件で無力さを痛感した。今日かはらどうしたら一人で悪しきものに立ち向かえるか、その術を模索しよう。一人でも悪いもの退治くらいできるようにならなくては。
神社の敷地から出て家に帰ろうと足を踏み出した、そのときだった。
千福! ごめん。ごめんね――
はっきりと静子様のお声が聞こえた。振り返っても誰もいない。
「千福様。駅前のほうからお声が聞こえてきます」
仁が言う。この叫び声。緊急事態だ。
急いで駅へと向かう。クラクションの音がやまずに鳴り続けている。
ひやりとする。
駅へと続く横断歩道の真ん中に静子様の倒れたお姿があった。周囲がざわついている。
信号が青だったのにあの女性に急に車がぶつかって――。そんなことを誰かが呟いている。近くには一台の白い車が電柱に激突していた。他の車は列をなして、信号が青になっても赤になっても停車したまま動かない。運転手は運転席で突っ伏したままだ。クラクションの音源はあそこから。
運転手からは命の灯火を感じられない。既に亡くなられている。車から病の余波を感じられる。なにか持病があって運転中に発症してしまったのだろう。
フロント部分が大破した車と、倒れた女性の周りに人が集まっている。静子様だ。
「静子様。静子様!」
駆け寄って声をかけるが意識がない。道路に血が多く流れ出ている。
手をかざし、どこを怪我したのかを探る。背中は打撲。治す。内臓は――破裂はしていない。が、脊椎。損傷が見られる。治せる程度の損傷だったのですぐにそこを治した。頭。
脳内部が全体的に歪んでしまっている上、血がたくさん溜まっている。静子様の頭に手をかざした。仁を治したときのように私の手から光が満ちて頭の中に入りこんで行くが、何度やっても治せるレベルに到達しない。脳内に溢れている血が邪魔をして私の通力が届かない。なにか強力な穢れが通力を弾き、血液と融合している。
なんだろうこれ。なに、この禍々しいもの。
ひとつずっと気になっていた。晴明様が言われていた「穢れを溜め込んでいた」という穢れってこのことだろうか。
静子様の血に、神にとっての穢れが潜んで流れている――?
今まで気づきもしなかった。
なぜ血液の中に穢れが紛れ込んでいる?
誰かが呼んで下さったのかパトカーと救急車が来て、救急隊員が担架を運び出している。
「お願いします。どうか静子様を助けて下さい」
救急隊員は私の声が聞こえないようだ。同じ町の人なのに。頭を回転させそうか、と思う。この人たちはビー玉サイズの信仰心すらない。神の存在を全く信じていない。信じる心が欠片もない人には、どれだけ町の人々から信仰を集めても私の姿は見られない。でもそんなことはいい。
仁と寿を置いて救急車に飛び乗った。隊員達が必死に処置をされている。私は息を呑んで様子を見守る。静子様に降りかかる災厄は、私でも跳ねのけられないのか。静子様は、自らの生い立ちが災厄だらけだから私を呼んだというのに、肝心の私がお守りできない。
これまで静子様は私がいるから難を逃れていると仰っていて、それは本当のことだったのかもしれないけれど、ただ私という存在があるだけではだめだったのだ。日頃からもっとお体を隅々まで調べておけばよかった。
救急車は花松総合病院へと入っていく。医師と看護師がストレッチャーを持って出てくると静子様を手際よく乗せ、急いで運ぶ。そうして集中治療室へと入っていった。
ただ呆然と、閉ざされた集中治療室のドアを眺めていた。
これで、静子様との関係は終わり?
昨日抱きしめてもらって幸せを感じたばかりなのに。
主をなくしたら、私はどうすればいいのだろう。一番幸せにしたい静子様をこのまま幸せにできずに終わってしまったら、もう神モドキでさえなくなる。なにより静子様との関係がこんな形で終わるのは嫌。絶対に嫌。
どうする。どうすれば静子様のお命を後遺症ひとつなくお助けできる?
軽い後遺症ならば治すことも可能だが、多分あの状態ではお命が助かっても静子様は重い後遺症に苦しめられる。話すこともままならなくなる。けれど今の私にはなにもなすすべがない。
病院を出ると、急いで大山咋命様のところへ走って戻った。
お賽銭を入れてからその場で土下座をする。
「静子様が事故に遭われました。何卒お力をお貸し下さい。あのかたの命をお助けしたいのです。ですが私の力がまだ及びません。やはり私はまだ、神モドキなのですね……」
自嘲した。私だけあの家に住むことになって、残されるなんて考えたくない。
静子様に降りかかる災厄が憎い。憎い。憎い。どうして静子様ばかりがこんなことに。なぜお助けできないのか。憎い憎い憎い悔しい――。
「堕ちるな」
ふと、太い声が聞こえてはっとする。
私は今、負の思考に支配されて憎しみのあまりこの神域の中で堕ちそうになっていたのだろうか。なんと愚かなことをしようとしていたのだろう。数秒目を閉じ心を無にする。
目を開けると影が差していた。ゆっくりと顔を上げる。そこには、上品な紫色の和服を身にまとった丸顔の男性のお姿があった。お優しそうな顔で私を見ている。
そのお顔を拝んだ瞬間、渦巻いた憎しみが一気に浄化された。
「黒い気が放たれておったぞ。まずは立ち上がり息を整えるとよい」
謝り、言われたとおりにする。そうして見上げた。
身長は百六十五センチくらいだろうか。見た目は人間年齢では五十代くらい。だが、お優しいお顔の中にもとても長い間生きて世の中を見てきたかのような貫禄がある。
「大山咋命様でございますか」
「いかにも。そなたの必死さが伝わってきた。そして静子が事故に遭ったことも知っている」
緊急事態だからお姿を見せて下さったのだろうか。
「はい。一体どうしたらよいのか皆目見当がつかず・・・・・・」
二つの影が、長く神社の石畳に伸びている。
「私も静子を助けたい。毎日毎日祈りに来るその姿が愛しくてな。この地へ引っ越してきてからは、静子は仕事で大事があるとき以外は欠かさず来てくれていたのだ。だからいつも見守っていた。が、あれは生まれながらにして強力な不幸体質を持っておる」
「一体なぜ・・・・・・なぜ静子様は災難ばかり」
「災難というならば、それは亡くなった家族皆のほうではないか。生き残ったほうは考えようによっては運がいい、そうは思わぬか」
確かにそれはそうだ。
「ですが、家族を全員亡くされ残されるほうも、深い傷が刻まれるかと思います。残された者が生涯背負っていかなければならない傷があるのなら、それはそれで災難です」
「まあそれも一理ある。希にそういうものが生まれてくるのだ。これまで数多の人々を見てきた。そして不幸体質である人間は一定数いる。先祖が己の利のために魔と契約していたか、神社仏閣で無礼を働いていたか、先祖の祟りにあっているかのどれかが多いな」
では静子様のご先祖様がその昔、なにかしたのだろうか。
「魔と契約すると子々孫々まで影響が及ぶと・・・・・・」
「さよう。契約は何百年、何千年と無関係な子供達まで行き渡る。なにかしら搾取される」
魔を魅力的に感じてしまう人間もいるのだろう。神が聞き届けない願いを、魔はなにかを代償に叶えてしまうこともあるのだ。
「一刻を争います。どうかお力を貸して下さい」
「私は万物発展の守護が得意だ。例えば仕事の成功を力添えすることはできても病には太刀打ちができない」
神様には神様の得意分野がある。大山咋命様ではお助けできない。ああ、私はまた他の神様のお力に縋ろうとしている。
「ではどうすれば」
「上野にある五條天神社を当たってみよ。医薬の祖の神がおられる。静子に流れる血――あれについては、私よりなにか知っているかもしれん」
五條天神社。以前調べたことがある。日本武尊(やまとたける)様が薬祖神にご加護を頂いたことがあって、そこから創祀されたのが起源とされている歴史のある神社だ。毎日のように健康祈願に訪れるものが少なくないという。
祀神は確か、大己貴命(おおなむちのみこと)様と、少彦名命(すくなびこなのみこと)様だ。大己貴命様は、大国主様の幼い頃の呼び名。薬学に長けていたと本で読んだことがある。お二柱とも、医薬に秀でていらっしゃる神様だ。
お姿を現わして下さったことに謝辞を述べて、急いで家に帰ると仁にまたがり、寿と一緒に最高速度で上野公園へ向かった。風を切り、生い茂る木々の中を通り抜けてカーブし、五條天神社の前で降りる。隣に稲荷神社があったので会釈だけして五條天神社の鳥居を潜り、階段を下る。小さな神社だが荘厳な佇まいだ。人々が列をなしてお参りをしている。
社務所にも、お守りや御朱印帳を頂こうとしている人々の列ができている。
焦る心を鎮めながら、人がほとんどいなくなるのを二十分ほど待って拝殿の前へ立ち、頭を下げた。自己紹介をし、事情を話してお力をお貸し下さいと願う。
「頭を上げよ」
声が聞こえた。見ると、濃紺に白く丸い模様の入った狩衣を着ている男性がおられた。
大山咋命様とはまた異なる、姿勢のよい神様だ。神様ってみんな束帯や狩衣を着ているものなのだろうか。神気をものすごく感じる。恐らく大己貴命様だろう。大己貴命様の掌の上に、全身白い衣をまとった身長三センチほどの小さな神様が鎮座されている。
こちらが少彦名様だ。
すぐにお姿を現して頂けるとは思っていなかったから、少々驚く。
「前にわしの子孫が酷いことを言ったようだな」
大己貴命様は穏やかな表情でそう言った。
「子孫?」
「今宮神社で国忍富に会っただろう」
あ。国忍富命様は、大国主命様の系譜だ。あの時用があって来たと仰っていた。
「代わりに謝ろうと思って姿を見せた。奴をちゃんと叱責しておいたよ。今は大己貴として名を縛られているから少しばかり窮屈なのだが」
「こうしてご尊顔を拝見させて頂きまして嬉しい限りです」
自然と涙がこぼれた。国忍富様の件の謝罪などいらないから、今は静子様を助けて。
「泣いているようだが、祈りは我々に届いている」
少彦名命様が掌の上から言う。拝殿奥で聞いて下さっていたのだろう。私は再び事情を話す。すると大己貴命様は少彦名命様を地に降ろし、笑った。
「ひとつ頼みがある。ここでは大己貴として祀られているから、そなたが一言大国主と名を呼んでくれ」
大己貴と名を縛られていると、制約があってできないこともあるのだろうか。
「では、大国主命様・・・・・・」
「よし、これで縛りが解けた」
特に変化は感じられなかったけれど、大国主命様は突如大きな金色の打ち出の小槌を出現させた。念じれば具現化させられるものだろう。
「大己貴ではこれが出せんのだ」
小槌を大きく振り上げた。左の掌に緑色の液体の入った縦五センチほどの小瓶を出す。
「打ち出の小槌・・・・・・大黒天様と同じ?」
「本来は持っていなかったのだ。わしと大黒天は本来別物だが大国と漢字が同じように読めるからと同一視する者もおる。そうした人々の信仰心からわしも持てるようになった。だがこいつの起源はもともと大黒天のもの。感謝しなければならぬ」
小瓶をそっと渡して下さる。
「それはわしと少彦名で数百年をかけて研究し続けた秘薬だ。人間が飲めば死んでも二十四時間以内であればたちどころに蘇生しなんの後遺症もなく元気になってしまうほどの貴重なものだ。死んでも喉を通るのだ」
「これを下さるのですか」
「国忍富の詫びも兼ねてな。そなたの主を助けてやれ。出雲分祠で守り札を買ったであろう? あの子は信心深くよくわしの名のある神社にも祈りに来ていた。だからわしも顔を覚え、そして以前より注目していた。守り札から気配を感じることができて、今朝静子の身になにかあったと悟った。あの子にかけられている祟りも、それが効けば溶けてなくなる」
「祟りとは、穢れのことでございますか」
「さよう」
やはりかつて先祖がなにかして、子孫に呪いがかかっているのだろう。
「静子様のご先祖様は一体なにを」
「静子の穢れは、子孫の繁栄を好まない先祖の祟りだ。母方の系譜にかつて父方の実家のほうから酷い目に遭わされた者がおり子々孫々まで祟り一家皆殺しにしてやるとすさまじい怨霊になっている者がいる。半ば魔物化しておるのだ。しかも普段は血液の中に巧妙に隠れておる。静子の両親は、先祖の因果が原因で結婚してしまったのだろうな」
巧妙に隠れているから力のまだない私には気配さえ感じ取れなかったのだろうか。
「その魔物がいる以上、穢れとなっているから我々も迂闊にあの子に手を出せなかった。だがおまえさんがいるおかげで、その魔の力は少し薄らいでいた。おまえさんがいなければ静子もとうの昔に死んでいただろう。ただそれも限界に来たようでな。おまえさんの影響のないところで、隙があれば静子を殺そうとしている。最後の一人だと喜びながら。本当は、出張中も危うく事故に遭いそうになっていたのだよ」
「まさか、それを助けて下さったのは」
「鞄につけていた守り札が働いた。人命優先。縁結びの効力はあまり発揮しなかったがな」
「ありがとうございます・・・・・・やはり守って下さったのですね」
全てを見通しておられるかのように、大国主様は続ける。
「まあ過ぎたことはよい。今回は守り札も効かなかったようだしな。脳に溜まった血。あれは人間界の医学上名のつくものでも、祟りの仕業――いや、人間の怨霊が魔物化した仕業といったほうが正しいか。だからその薬はよく効く。飲ませれば浄化もできるであろう」
血に感じた邪悪さは祟りの権化。隠れるために血脈として存在している。なぜ子孫の幸せを願わない先祖などがいるのか。しかし今は静子様のお命を優先させなければ。
この貴重な薬で助かり、祟りや呪いや魔物が浄化されるというのならこんなにありがたいご助力はない。
が。人間が飲めば失われた命を二十四時間以内に回復できるなら、半分くらいは亡くなった運転手に分けられないものだろうか――。そうすれば運転手も助かる。
「なにを考えている」
見通されたのかもしれない。少彦名様が問いかけられたので、私は思ったことを話した。
「半分に分け使うことはできぬ。それに運転手は生き返って幸せなのか」
「・・・・・・・・・・・・」
人の世は法での罰がある。運転手が生き返っても加害者となり、法的措置がとられ、ひょっとすると犯罪者のレッテルを貼られて生きていかなければならないのかもしれない。
履歴書や職務経歴書と名のつく、働く上で大事な紙に刑罰の有無を書く項目もある。
「そなたにとって人の幸福とはなにかを見極めよ」
小瓶を握りしめた。運転手は助かっても前科が残る。なにより小瓶はひとつしかない。
無理に生かすより幸せになる場合もあるのかもしれない。だが、助かる道具があるのに見捨てることはとても辛い。でもここで決断を鈍らせれば静子様は確実に死ぬ。
参拝客がまた、列を作り始めた。
運転手さん、ごめんなさい。私はあなたの命をお助けすることができません。心苦しく罪悪感すら湧きますがどうか、赦して下さい。そして安らかに、仏様に導かれますよう。
涙をこらえ、お礼を言って立ち去ろうとすると、「おい」と言う声が聞こえた。
振り返る。
「大己貴は詫びも兼ねてと言っているが、私は納得していない。その秘薬は本当に長い年月をかけて作り上げた大切なものだ。神ならともかく人には滅多に渡すことのできない代物。大己貴、もとい大国主の恩恵の代わりに、お前はなにを差し出せる」
少彦名命様は再び大己貴命様の掌にぴょんと乗るとそう言った。大己貴命様はそんなことを言うなと諫めているが、少彦名命様は腕を組んで私を睨んでいる。
それもそうだ。こんな大切なものを頂戴して、お礼だけ言って帰るのも筋が通らない。この薬は神の宝。それを私は大己貴命様の情けで特別に頂き、人間に飲ませようとしているのだから礼を尽くさなくては。
なにができるだろう。周囲を見渡し人々の深刻に拝んでいる顔を見る。私には聞こえないけれど、その心の声はこの二柱にはちゃんと聞こえているのだろう。人々は健康祈願に来ている。それぞれがなんらかの病を抱えていらして、深刻なものも中にはあるのだろう。
気持ちを落ち着け、一呼吸置いて言った。
「私は日本でただひとつ、幸福神と名をつけられています。中程度の病や怪我なら治せますがあなたがたには及びません。ですが、ここにいる人々をみな笑顔にさせることならできるかもしれません」
一柱、とはまだ言えない。だからひとつと言った。
少彦名様は「ほう」と言った。では見物してやる。そんな表情だ。
目を閉じて意識を集中させた。この上野の桜を全て季節外れに咲かせることもできるが、それではみんなが混乱するだけだ。私は公園の中の目立たないところにある桜の木を三本だけ咲かせることにした。
桜よ、蘇れ。綺麗に咲いて私のもとへ。
上野公園の中の空気を私の通力が走り抜け、三本の桜の木の中に入る。
葉が落ち、蘇生し、花びらが開く。
目を開け、大気中に気を注いで風を吹かせた。
木々の花びらが天から降り注ぎ、皆に喜びを与えられますよう。
空から幾重にも花びらが舞い落ちてくる。
「え。こんな暑い日に雪・・・・・・? 違う、桜だ」
「桜? なんで」
その場にいた人々が空を見てざわつき始める。
人々が階段を登ったり降りたりする音が聞こえる。
「この辺だけ桜が降っている。不思議」
桜の木に咲かせた花びらは全て地へと舞い落ちる。更にイメージで花びらを具現化させ、降らせ続けた。イメージの具現化が私にもできるようになった。更に応用してみる。
「綺麗。それに縁起がいいんじゃない?」
「記念に持っていこうか」
人々は落ちた花びらを拾い始める。みんな、上を向いて歩いて。私は両手を挙げ、更に大気中に通力を注ぎ込む。
「あ、ねえ見て。空に虹が架かっている」
桜の花びらを拾っていた人達が、ふと空を見上げていった。
「本当だ。雨も降っていないのにどうして。こんな真っ青な空の中に虹なんてすごい」
「神様がなにかして下さっているのかも。今日はご機嫌がいいのかもしれないし、もしかしたら病気が治る予兆かもしれないわ。神様が教えて下さっているのかも」
人々のざわめきが大きくなり、そして笑顔になっていく。青い空に広くかかる虹と、空から舞い落ちてくる桜を眺め、歓声を上げている。神主さんや宮司さん、巫女さんも不思議そうに、そしてなにかを感じているかのように空を眺めていた。
他のところにいた人々が花びらを追いかけてきたのか、急にたくさん入ってきて列をなし、社務所にも人が集中した。
「ほお、これはいいものを見せてもらった。みんな笑顔だ」
少彦名命様は感心なされたように周囲を見渡している。
「我々の仕事も増えるな」
「ご迷惑だったでしょうか」
「いいや。今急にたくさん入ってきた者達はみな桜に惹かれてやって来た。皆健康だ。健康であるが故に、さらなる健康を祈りに来たのかもしれん」
少彦名命様は何度も頷き、そうして言った。
「ありがとう。人々が笑顔になるのはとてもよいことだ。千福殿も神であったな。力はまだまだ弱いが、病と怪我を治せるというのならそのうち手伝ってもらうこともあるかもしれん」
静子様を案じる反面、少し嬉しくなった。少彦名命様から、神だと認められたのだ。
「神と・・・・・・。晴明様と少彦名命様が私を神と認めて下さいました。とてもありがたいお言葉です。これで二柱の神様に認めて頂きました」
「いや」
大己貴命様は首を左右に振ると私の肩に手を置く。
「わしを含めて三柱。大国主としてなら四柱。六本木の巫女からも話を聞いておる」
出雲大社分祠でお守りを買ったときの巫女さんを思い出す。神前で伝えて下さったのだ。
嬉しさと静子様への不安の両方の感情が湧いてきて泣きそうになった。
「さあ、早く彼女のもとへ行っておあげなさい」
「はい」
本当に、本当にありがとうございました。そう心の中で言いながら頭を下げると、仁に乗って五條天神社を去る。再び最上級のスピードを出してもらって、花松総合病院へ行くと、集中治療室の扉をすり抜ける。
静子様は色々なものを被せられ、チューブもたくさんつけられて手術台の上に寝かされている。緑色の服を着た医療従事者がたくさんいた。命のなにかを測るであろう機械の数字が0近くを差している。医療従事者の間に入り息を確認してみた。
ほぼ止まっている。既に雰囲気は暗く静かで、医師達も諦めかけている様子だ。
誰も一言も発しないがそのような空気が流れている。
諦めない。大己貴様と少彦名様を信じる。
脈を確認した。止まりかけているがまだ時々ある。口につけられていた器具を取り外した。
「静子様。どうかこちらへお戻り下さい。黄泉へ行かれるにはまだ早すぎます」
私は幸福神。泣きたいのをぐっとこらえ、笑って気道を確保すると、小瓶のコルクを開けて口に流し込む。すると、ごくりと喉が動いた。静子様は秘薬を飲まれたのだ。
微かに動いたのを見て、医師達が弾かれたように様子を確認しにくる。
「先生、酸素マスクが外れています。それに脈が。血圧が・・・・・・」
看護師と思える人が言った。
数値が急に跳ね上がる。計測値の音が、だんだん規則正しくなっていく。
それは、静子様が助かった証。
医療従事者が静子様の治療を続けようと一斉に動き始める。
見届け、半ば崩れ落ちそうになる足を踏みしめて集中治療室を出た。
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