貴方を殺してしまうことなんて簡単だ。
伊予葛
起きて初めに目に入ったのは、見知らぬ男だった。
ㅤ貴方は死んでいるんです。
ㅤと、目の前の男は言った。
ㅤ見知らぬ部屋のベッドの上で、見知らぬ男を見つめる。昨夜のことを思い出そうとするが、記憶は朧気だ。サークルの飲み会があった。それは確かだ。翌日も講義があるので一次会で帰ろうと思っていたのだが、ずるずると気が付いたら三次会まで辿り着いていた。酔いの回った体を引きずりながら、帰巣本能に任せて河原を歩いていたことは覚えている。そして、そこからの記憶が無い。
「貴方は、倒れていたんですよ」
ㅤ男が言う。
「この時期、酔っ払いが倒れているなんて、珍しくもないんですけれど」
ㅤ親しげに微笑んでいるが、俺はこの男とは初対面だ。珍しくもない酔っ払い。そして見知らぬ人間なら捨て置いてくれてもよかったのに。助けてくれた、ということなのだろうか。それも自分の家に招待してまで。破格の待遇だ。
「あまりに可哀想だったから、連れて来てあげたんですよ、先輩」
ㅤ先輩。今この男は先輩と言ったか? 昨日飲み会のあったサークルは、メンバーが多い。半数ほどは幽霊部員だが、飲み会ともなればほとんどが参加する。となると、必然的に全員の顔と名前を把握しきれない。昨日どんちゃん騒ぎした中に、この男もいたのだろか。思い出そうとするが、俺の隣で延々と枝豆を食べ続けていた同級生のことしか思い出せない。少なくとも、最初に自己紹介をさせられていた新入生の中にはいなかったはずだ。とすれば、二年生だろうか。俺が三年生なので、この男が後輩なのだとすれば、恐らくそうだろう。本当に後輩なのだとすれば、だが。
「体調はどうですか?」
ㅤ少し頭痛がする気がするが、それ以外は何の問題もない。大丈夫だと答えると、男は、ふぅんと呟いた。
「死んでいるのに、どこもおかしくないんですね」
「さっきからその、死んでるってのは何なんだ?」
ㅤ初対面の相手に吐く冗談にしてはあまりにもタチが悪すぎる。否、対面したことはあるのかもしれないが、気持ち的には初対面だ。突っ込むべきか迷ったが、こう何度も言われてはやはり不愉快で、無視もできずに問うと、男は小さく笑った。ように見えた。
「倒れていた貴方を連れ帰ってきたと言いましたよね? 僕は貴方をそのベッドに寝かせたんです。そして、次の日起きたら貴方は冷たくなっていました。びっくりしましたよ」
ㅤ肩を竦める男に、びっくりしたのはこっちだと言いたい。朝になったら突然死んでいたというのか? 俺が?
「言いづらいんですけども、やっぱり貴方は死んでいるんです」
ㅤ真剣な光を宿した瞳を向けられ、ようやく気が付いた。この男はおかしい。早くこの家から出た方がいい。さりげなく部屋の中を見回すと、ソファーの横に昨日俺が持っていた鞄を見つける。
「その、なんだ。世話になって悪かったな。ありがとう。今度飯でも奢るよ」
ㅤそう言ってベッドから降り、鞄を手に取り、先程から男の後ろに見えていた玄関に向かう。逃げないと。その言葉が脳裏を支配している。しかし、掴んだドアノブは動かなかった。下にも、ましてや上にも動かない。確認すると、どうやら鍵がかかっているようだ。慌てすぎたことを反省し、鍵を開ける。が、ドアノブは動かない。そもそも鍵がかかっていたとしてもドアノブが動かない道理は無い。
「先輩は、地縛霊になってしまったんですよ」
ㅤ背後から男の声が聞こえた。伸びてきた男の手が、ドアノブを握る俺の手に重ねられる。指を絡めるようにドアノブから外され、寒気が走った。
「ここで死んでしまったから、ここから出られないんです」
ㅤね、先輩。
ㅤ困ったような声色に滲む愉悦。俺は男の手を振り払おうとするが、むしろ強く握られる。背後から抱き締められるような形になり、思わず声を荒らげた。
「ふざけるのも大概にしろよ!」
ㅤ男が笑う気配がする。
「先輩、今日一限あるでしょう?」
ㅤそれがどうしたというのだ。答えるよりも先に、男は続ける。
「なのに誰からも連絡来てませんよね? 貴方がもう死んでいるからですよ」
ㅤおかしな理屈だ。俺がもし今朝死んだとして、それを理由に誰からも連絡が来ないなんてことはないだろう。俺が死んだなんてことは、誰も知らないのだから。そもそも、死んでなどいないのだが。そんな疑問が顔に出ていたのだろうか。男は、愉悦を滲ませた声で言う。
「先輩、今日何日だかわかります?」
「は? 昨日が14日だから15日だろ。7月15日の月曜日」
ㅤ男が背後で笑った。俺は意味がわからずに、男から離れようとするが、やはり腕の中から逃れられない。
「22日、ですよ」
「は?」
「そして、この会話はもう7回目」
「お前、何……」
ㅤ何を言われているのかわからない。今日が22日なら、俺はまる一週間眠っていたというのか。
「先輩、起きると毎回毎回同じ反応なんですよ」
「毎日毎日、俺らはこれを繰り返してるってことです」
ㅤ可笑しそうに男は笑った。力が弱まった男の手を振りほどいて、鞄からスマートフォンを取り出す。通知が一件。ほら、やっぱり、誰かが連絡をくれているじゃないか。「お腹すいてるでしょう? 朝ご飯にしましょうか」という男の声を聞きながら、恐る恐るメッセージを開いた。
貴方を殺してしまうことなんて簡単だ。 伊予葛 @utubokazura
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