第九話 魔女イネス
第9話 魔女イネス1
皇都の大商人たちが豪邸をつらねる区域のかたすみに、その館はあった。屋敷街のなかでは小さなほうだ。二階建てで間口はせまく、大きな屋敷のあいだにはさまり、どことなく薄暗い。だが軒下には愛の女神アレイラのつかわす天使を浮き彫りにした看板がぶらさがっている。何かしらの商売をしているのだ。
その小さな建物の前には、いつも若い娘がならんでいる。人目をしのぶようでもあるし、ウキウキ楽しそうでもある。
というのも、その館には魔女が住んでいて、恋の占いをしてくれるというのだ。恋が成就するのか否かを占い、さらにはうまくいくように、おまじないをしてくれるらしい。
「ここだな。ワレス。ここがアレイラの占い館だ」
ジェイムズが言いながら、その館を示す。
すると、いならぶ娘たちがふりかえった。
それはそうだろう。こっちは男ばかり三人だ。ワレス、ジェイムズのほか、レヴィアタンがくっついている。というより、今回はレヴィアタンの頼みで来たのだ。いくら、ワレスがとびきりの美青年でも、女たちのなかに入っていくのは違和感があった。
「やっぱり、おれは帰る。こんなの、おまえらが見張りでもなんでもして解決したらいいじゃないか」
ワレスは言い残して、くるりと背をむけようとした。が、両側からガッチリ、肩をつかんでひきとめられる。
「ワレス。頼む。おまえしか任せられるやつはいないんだ」と、レヴィアタンが今にも泣きそうに言うと、ジェイムズはいかにも人のよさそうなおもてに同情の色を浮かべた。
「ワレス。こう言ってるんだから、力になってやろう」
「どうせ、ただの浮気だろ?」
ワレスの一言で、レヴィアタンがうちひしがれた。槍で串刺しにされたのと同等ていどの威力はあった。
「浮気……私の愛するメロディが浮気……」
以前、ある事件で知りあった治安部隊の中隊長であるレヴィアタン。これまでにも何度か事件解決に力を貸したが、今回はひじょうに私的な頼みごとだ。
レヴィアタンの婚約者である、ル・メルル伯爵令嬢メロディが浮気をしているみたいなので、真相をたしかめてほしいというのだ。
「浮気といったところで、恋占いの店に通いつめているというだけの話だ」
「私という婚約者がありながら、毎日、占ってもらうんだぞ? そんなの、ほかに好きな男ができたに決まってる」
「まあ、そうだな」
ワレスはめんどくさいので、てきとうにうなずく。レヴィアタンがなおさら嘆いた。
そういえば、前々から美人の婚約者がいると、やけに自慢していた。たぶん、メロディ嬢にくびったけなのだ。
たかが女の占い通いごときで大さわぎするのもバカらしい。が、そこまで言うなら、どんな女か見てみたい——と思った。
「いいだろう。行ってやるよ。ほんとに美人なんだろうな?」
「メロディより美しい女は世界中さがしてもいない」
いならぶ女たちの目がまた集まる。今度は冷たい視線があびせられた。
「このなかにはいないのか?」
「今はいないな。しかし、昨日はたしかにいたんだ。朝早くから列の先頭にならんでいた。おとついも、その前もだ」
「ふうん。熱心だな」
「だから、ほかに好きな男ができたんだ!」
「たぶんな」
「うわー!」
ジェイムズがクスクス笑う。ワレスがレヴィアタンをからかっていると気づいているのだ。
それにしても、これほど目立つと、メロディが来たとき、ひとめで見つかってしまう。明日からは別の方法をとったほうがいいだろう。
その日は列にならんで待ち、ようやく、三人の順番になった。
前の女が出てくるのを待って、なかへ入る。貴族の邸宅ではないから、当然、そこにエントランスホールなどない。家族の居間のようだ。フローリングの床に丸テーブルのセット。占いに使うのか、ドライフラワーが壁にたくさんかけてあり、液体の入ったガラスの瓶が棚にならんでいる。
そして、女が一人、丸テーブルの席にすわっていた。ただし、顔や年齢はわからない。頭から紫色のビロードのヴェールをかぶっていて、造作がまったく見えないのだ。
女は無言のまま、テーブルをトントンと指さきでたたいた。その前にすわれというのだろう。それにしても、あのビロードのヴェール、ちゃんとこっちが見えているのだろうか?
「どうする?」
「私はとくに悩みはないよ?」
「そこはもちろん、レヴィアタン。おまえの悩みのために来たんだ。おまえが占ってもらえよ」
「えっ? 私がか?」
三人でゴチャゴチャ話していると、女は急に立ちあがった。
「男は出ていけ」
ぼそぼそとヴェールの内でこもる低い声で言うと、戸口を指さす。
「男はダメなのか? せめて、私の婚約者のメロディが、なんのためにここに来ているのか知りたいのだが」と、レヴィアタンがごねる。
「出ていけ」
話にならない。
ワレスたち三人は早々に追いだされてしまった。
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