第2話 マルゴの箱庭5

 *



 翌朝。まだ夜明け前に、ワレスはマルゴと二人で役所へ出むいた。ここはまだ皇都のうちなので、街々に治安部隊の詰所がある。強盗が捕まれば、ここから皇都へ護送され裁判となる。


「やあ、ワレス」

「なんだ。やはり、おまえの入れ知恵か」


 詰所には、ジェイムズと顔見知りの役人レヴィアタンがいる。


「君の忠告どおりにしたら泥棒は捕まったけど、たいそう後味の悪い思いをするね」


 悲しげな目をジェイムズがするのは、牢屋のなかに大道芸の団長と子ども二人が入れられているからだ。こうなるとわかっていたなら、なんとかごまかしようがなかったのかと、情け深いジェイムズはワレスを責めるような目すらしている。


「この男が子どもたちを使って、盗みをさせていたんだ。ある邸宅から金のゴブレットを持って出てきた子どもから、コイツがそれを受けとる最中に捕まえた」


 ワレスはうそぶいた。


「それはどうかな? ほんとに子どもだったか? 真夜中だし、昨日は月も暗かった。ちゃんと見えてなかったんじゃないか?」

「えっ?」

「ほんとは猿だった。そうだろ?」

「猿?」

「そう。大道芸で使われてた猿がいたろ。芸を仕込まれて飼いぬしの命じるままに盗みを働いてたんだ」


「猿なんていなかった」と言ったのは、レヴィアタンだ。

 空気を読まない発言に、ワレスは思うさま、ひじてつを食らわせてやる。それでも黙らなければ次はまわしげりをお見舞いしてやろうと考えていたが、身の危険を察知したらしく、ようやく黙る。


「猿だったんだよ。猿だから、檻から逃げだしてしまった。そうだよな? ジェイムズ」


 ジェイムズはさすがに察するのが早い。


「ああ、そうだ。猿だった。子どもみたいに服を着せられてたから見間違えてしまったんだ!」

「そうそう。猿だよ。猿。というわけで、この子たちはおれがひきとるからな」


 ぼうっとしている牢番の手から鍵のたばをひったくり、ワレスは牢屋をあけた。


「フェベ。ルチア。おいで」


 二人は事態の急変にとまどっている。だが、このまま牢屋にいれば、縛り首だという認識はあったらしい。やがて、おずおずと鉄格子の扉をくぐって出てきた。


「待ってくれ! おれも……おれも助けてくれ! 死にたくない! 何が悪いんだ? 金持ちからちょっとくすねただけで……それに、おれ自身がやったんじゃないぞ! その子たちが勝手に盗んだんだ。おれは何も悪くない。コイツら、育ててやった恩も忘れて! 待て、フェベ! ルチア!」


 団長がわめくのを無視して、子どもたちだけをつれて外へ出る。

 あろうことか、最後はフェベやルチアが自分たちの考えで盗みを働いたと言った。自分だけ逃がれるために、子どもを犠牲にしようとしたのだ。そんな大人は、さっさとこの世からいなくなるにかぎる。それが世のためだ。


「あ、あ、あの、おれたち……」

「わたしたちをつれだして、どうするの? まさか、また泥棒させようなんて——」


 警戒するノラ猫みたいな二人に、思わず、ワレスは失笑する。たしかにワレス一人なら、この子どもたちを救いだしたとしても、そのあと自分でめんどうみようなんて考えない。どこにでも行けとつきはなすか、よくて、ジョスに相談して里親を探すくらいだ。幼くして苦労してきた姉弟がにわかに信用できないのはしかたあるまい。


 すると、マルゴが石畳にしゃがみこみ、子どもの目線になって両手をひろげた。


「あなたたちは今日から、うちの子になるのですよ」


 そのおもてに浮かぶのは聖母の笑みだ。ノラ猫の警戒だって瞬時にといてしまう。


「マルゴ。子どもは言いすぎだろう。みなしごを使用人としてひきとってやるんだ」


 すると、マルゴは厳しい顔でワレスをにらんだ。

「いいえ。わたしの子どもよ。親のいない子をひきとるのは、それくらい覚悟が必要でしょ?」


 まあ、たしかにそうだろう。孤児だったワレスには、その違いが切実にわかる。


「フェベ。おまえが花を盗んでいた屋敷の貴婦人だぞ。彼女の優しさを、おまえはもう知ってるはずだ」


 姉弟はたがいの目を見かわしたのち、ためらいがちにマルゴの腕のなかへ入っていった。

 ワレスの腕に抱きしめられていたマルゴはかよわい女性だった。でも、今、子どもたちを抱きとめる彼女はもう、かよわいだけの女ではない。母の顔をしている。


「子どもたちのためには、使用人も増やさないとダメね。馬丁と下男と台所女がいるわ。そうね。教育係も」

「そうだな」


 あれほど未来をこばんでいたマルゴのこの大きな変化に、ワレスはおどろいた。

 彼女のなかで、ずっと停止していた時間が流れだす。


「あなたのおかげよ。ワレス」

「……それは『ありがとう。さよなら』という意味?」

「まあ! そんなわけないじゃない」

「わかった。あなたの庭で、もう少し、おれもなごませてくれ」


 箱庭に、何度めかの春がおとずれる。もうじき。光は満ちて——




 了

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