序文

わたしたちの愛するあの美しい男へ

 https://kakuyomu.jp/users/kaoru-todo/news/16817330661527709899(表紙)



 あの甘い蜂蜜色のブロンドを輝かせた美青年を、あなたはおぼえているかしら?

 後世、伝説のジゴロと呼ばれる男よ。

 そう。わたしたち共有の恋人ね。


 彼はみんなのもの。でも、誰のものでもなかった。自由の翼をひろげ、大空を舞いながら、いつか、はるか彼方へ飛びさってしまう。そうなることが、ひとめ見れば誰にでもわかる。そういう人ね。


 わたしたちのあいだに彼がとどまってくれていたあの奇跡の十年間。

 今思うと、夢のような、現実ではないような心地がするのだけれど。あの人の存在こそが謎そのものだった。


 ああ、あの肖像画ね。そうよ。あれがゆいいつ、わたくしのもとに残った彼の面影。彼は絵を描かれるのも好きではなかったから。あれはわたくしが援助してあげている画家にこっそり描かせたの。


 大きくうねる金髪があの人の奔放な性格を表しているでしょ? 寝起きの彼の髪は、ほんとに可愛いのよ。少年みたいにクシャクシャで、ふざけてなでまわしたものだわ。


 サファイアより青い瞳はどうしても、絵の具ではほんとの色が出せなかったの。だって、鏡のように瞳のなかにキラキラと不思議なきらめきが千も宿っていたんだもの。闇のなかでは猫のよう。光に透けると薄水色の天使の双眸。


 肌はふつうに白いわね。ユイラ人ですからね。しぼりたてのミルクに薔薇の花びらを落としたような。

 わたくしが出会った当初はまだ少年だったから、身長のわりにとても華奢でね。でも、力は強かった。わたくしをかるがる抱きあげて、クルクルまわってみせたわ。


 長いまつげのさきを青く染める瞳を、いつも物憂げにふせているので、その細い鼻梁びりょうから唇のふくらみまで、見つめる者の視線をいざなっているみたいだったわ。芸術の域に美しい男だった。


 だから、当然だけど、彼の恋人は数えきれなかったのよ。一度や二度の相手も数に入れたら、それこそ千人ではたりないんじゃないかしら?


 トラブルは意外と少なかったのよ。愛人どうしが夜会でかちあわないように、あの人が気をつかっていたんじゃない? そういうところも伝説よね。一度だけ失敗したのよ。あのときは怒ったけど、あれも今は楽しい思い出ね。


 でも、あの人が女の心をつかんで離さなかったのは、容姿の端麗さや愛の言葉の巧みさのせいではないの。


 彼の心の深いところには、いつも消えない悲しみがあって、それがあの人を女たちから遠ざけていたの。誰にでも優しかったけど、それはあの人のほんとの愛が墓穴の奥に封印されていたからよ。


 とても傷ついていた。

 わたくしがあの人を見つけたときには、それこそ、全身ボロボロで、骨折もしていたし、青あざだらけで、綺麗な顔がはれあがっていた。正直言うと、ブロンド以外、どこにも美点は見いだせなかった。泥酔していたし、錯乱さくらんしていたから、悪い薬でも飲んでいたのでしょうね。ちまたではそういうものが流行っていると聞いたわ。


 まだ十六、七の少年だけど、きっと、この子は治らずに死ぬ。そう思っていたの。貧しさのせいで生き急ぐ、かわいそうな男は大勢いるものね。

 せめて、最期まで見てあげよう。

 なのに、あの人ったら、見かけによらず、ものすごく頑丈だったのよ。笑っちゃうわ。あれほどの大ケガを負って、折れた骨が見えていたのよ。まさか、それがちゃんとつながるなんて! ふつうは骨折すると、一生、障害が残るじゃない? 足の形が変わったり、ひきずったり。

 でも、あの人はまったくもとどおりになって、ひと月もすると歩いたのよ。


 なんだか、魔法を見ているみたいだったわ。時間があの人のまわりだけ逆まわりして、ケガをする前に戻ったみたいだった。


 そしたら、白い薔薇みたいに綺麗な少年になったの。

 黄金細工の葉やがくに包まれた真珠色の花弁のまんなかに、あざやかな青い宝石を抱いている。そんな薔薇。


 でも、彼の瞳のなかにある深い悲しみの色だけは消えなかった。ほんとに傷ついていたのは体ではなく、心だったのよ。


 彼とすごした十年のあいだに、彼は生まれ変わったわ。よく笑うようになったし、ウィットに富んだ会話も上手だった。わたくしにも甘えてくれていた。それはわかるの。信頼を得てはいたし、親友のように愛しあっていた。


 でも、あの瞳のなかの孤独だけは、どうやっても消せなかった。彼は女たちといながら、いつも一人であの悲しみと秘密の逢瀬おうせを重ねていたのよ。


 かわいそうな人。


 だから、砦へ行くなんて言いだしたのかしらね?

 いつかそうなると、わかってはいたわ。

 いつか、ワレスが旅立ってしまうことは……。




 ジョスリーヌ・レンド・ラ・ベル

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