第一話 第一の恋人 ジョスリーヌ

第1話 第一の恋人・ジョスリーヌ1



 信じられないミスを犯した。


 ワレスが多くの貴婦人の恋のお相手として、気ままにすごして、はや五年。

 数えていないので、今までの愛人が何人いたのか、自分でもおぼえていないものの、これまで、さしたるトラブルもなく、やってこれたのは、完璧な美貌のおかげ——というわけではない。


 もちろん、ジゴロなんだし、顔がいいにこしたことはないのだが、それ以上に重要なのは、抜群の記憶力だ。


 そう。つまり、夜会で愛人どうしが複数、顔をあわせない。そのスケジュールを把握する頭だ。

 ワレスはこの管理が比類ない美貌より、なお完璧だった。今夜、この瞬間までは。


(嘘だろ? なんで、ここにジョスがいるんだ? だって、今夜はサージェントのバースデイだから、侯爵家でパーティーをすると……)


 要するに、夜会で愛人がバッティングしてしまった。それも、おたがいに別の相手を同伴させて。

 困ったことに、夜会のぬしはジョスリーヌの友達であり、ワレスがエスコートしているファヴィーヌもまたその友人だ。そして、ジョスリーヌとファヴィーヌはたがいをライバルと目している。要するに、友達の前でライバルに負けるなんて、恥さらしもいいところだ。


 エントランスホールで出迎えるホステスを前に、見事に鉢合わせしてしまった愛人二人を見て、ワレスは一瞬、この世の終わりだと思った。

 というのも、ジョスリーヌはただの愛人ではない。路頭に倒れて死にかけていたワレスを救ってくれた命の恩人であり、現在の後見人でもある。言わば、正式な愛人だ。絶対に怒らせてはならない相手なのである。


 大丈夫。ジョスリーヌはこっちに背中をむけている。このまま雑談でファヴィーヌの気をそらして、しばらく外に出ていれば、ジョスリーヌはワレスたちに気づかない。


 そう思った瞬間、ファヴィーヌが友人のホステスにむかって走りだした。信じられない。貴婦人にあるまじき行為だ。ふつう、ホステスが別の客とあいさつちゅう、わきで待っているのが通例だ。話にわりこんではいけないし、ましてや、ジョスリーヌは広いユイラ皇国に十二しかない神聖騎士の家柄である。皇族以外には彼女より高い身分を持つ者などいない。その前にでしゃばっていくなんて。


 ワレスがファヴィーヌの腕をつかんでひきとめようとしたものの、まるで白鳥になって王子の求愛をすりぬけたという乙女の神話のように、見事な体さばきで彼女はそれをよけた。じっさい、ファヴィーヌは闘技場の戦士と互角でやりあえるだろう。乗馬も剣術も男顔負けだし、性格も勝気だ。


「あら、ラ・ベル侯爵閣下ではありませんの。お元気そうで何よりですわ。ご機嫌よう」


 さも、ぐうぜんを喜ぶていで、ジョスリーヌの前に宮廷風のおじぎをしてみせる。ふりかえったジョスリーヌが、すばやくワレスを見つけて冷たい眼差しをなげてくる。


「あら、プロパージュ侯爵。今宵は見なれないかたをおつれしているのね。あなたの夫君はごいっしょじゃないの?」


 ファヴィーヌは一年前に再婚している。相手は十歳年下のもと愛人だ。熱烈な恋愛結婚なので、当然、ふだんは夫婦で現れる。ワレスがエスコートするのは、ごくまれだ。たしか、今日は夫のマルティンが従兄弟の婚約パーティーに行くのだと言っていた。従兄弟と言っても愛人の子どもなので、正式な宴ではなく、一人で行くのだと。


 ちなみにジョスリーヌがファヴィーヌをプロパージュ侯爵と呼ぶのは、マルティンが入婿であって、侯爵家の跡取り娘はファヴィーヌだからだ。


 ジョスリーヌもラ・ベル侯爵家の一人娘で、夫亡き今、侯爵を名乗っている。境遇がよく似た派手好きな二人なので、おたがいに意識しているのだ。


「マルティンは風邪ですのよ。そういうあなたこそ、いつものかたではないのね?」


 ファヴィーヌが言ってのけるので、ワレスはギュッと胃がちぢむのを感じた。は、あんたのとなりにいるだろう、と。


 ジョスリーヌの目がますます厳しくなる。


「あら、そう? わたくしのとりまきはたくさんいますからね。全員は覚えきれないわ」


 それはそうかもしれない。庇護している芸術家などもよせれば、ジョスリーヌのとりまきは数百人といるだろう。ワレスはそのなかの一人にすぎない。おたがいになので、これまではそれでうまくいっていたのだが。


 それにしたって、ワレスのことは、ただのとりまき以上に溺愛されていると思っていた。少なくとも一年のうち半分をともにすごすくらいには。いや、三分の一か? 自由きままにしていたから、毎年同じとは言えない。にしても、ジョスリーヌのとりまきのなかで、もっとも多くの日のパートナーであったはずだ。それを見知らぬ人あつかいとは、そうとうをまげている。


 ワレスが沈黙を守っていると、女たちの罵りあいはますますヒートアップしていく。もちろん、あからさまに言い争うわけではない。ただ、戦場をとびかう矢のように鋭利な言葉がいきかうだけだ。


「じゃあ、彼はもういらないのね? わたくしがもらってさしあげるわ。こんなに美しいブロンドの子猫はほかにいないもの」

「ふん。それはなつかない猫よ。好き勝手逃げだしますからね」

「飼いかたが悪いからよ」

「猫は猫どうしよ。わたしたちは仲間ですもの」

「あなた、猫なのね? どおりでしつけがなってないと思った」


 おたがいが「キイッ」と毛を逆立てたところで、ワレスはいたたまれなくなって、その場から逃げだした。


 だから、事件の発生をこの目で見てはいない。

 何やら邸内がさわがしいと思えば、ジョスリーヌがつれのサージェントを殺したというのだ。しかし、そんなことあるだろうか?

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