悪いのは私じゃない

吉田定理

第1話

 自分がもう一人いたらいいのに、と思ったことはありませんか。

 見た目も声も性格もあなたそっくりの『バーチャルAIクローン』を作成して、自分の代わりに仕事をさせましょう。


 宮永由紀(みやながゆき)は、普段だったら、そんな広告を見ても詳細ページを見てみようなどと思わない。

 しかし、その日はいつにも増して残業で疲れていて、やろうと思っていたゲーム実況の生配信もまったくやる気にならなくて、要するにすべてが面倒になっていた。投げやりにもなっていた。

 だから宮永由紀は、ほんの十五秒間だけ表示されて消えるはずだったくだらない広告をクリックしていた。


 ようこそ、『バーチャルAIクローン』の世界へ。

 今すぐたった3つのステップで、無料であなたの分身を作成できます。

 作成したあなたの分身は、デジタル作業を行なわせたり、一緒におしゃべりを楽しんだりすることができます。

 さあ、始めましょう。


 飛ばされたサイト上の文章を流し読みして、「始める」をクリックした。

 このときはまだ、『バーチャルAIクローン』が人生を狂わせることになるとは思ってもいなかった。



***



 宮永由紀がYUKIKIとしてゲーム実況の顔出し生配信を始めたのは、一年ほど前。会社に勤め始めて三年が経った頃のことだ。

 何気なく始めたにもかかわらず、今ではフォロワーは一万五千人に達し、配信をすれば数百人から千人を超える人たちが視聴してくれるようになった。

 週に何度かの夜の生配信が日課であり、趣味であり、副業にもなっている。


 ゲーム実況の生配信というのは、自分がゲームをプレイしているところを、インターネットでLIVE配信することだ。配信者によってどんなゲームをどのように配信をするかは様々であり、視聴者をトークで楽しませる配信者もいれば、ゲームの華麗なテクニックを披露する配信者もいる。視聴者は配信を見ながら配信者にチャットでコメントを送ってコミュニケーションを取ったり、「投げ銭」をして配信者を応援することができる。

 由紀にとって、生配信をして視聴者から投げ銭を稼ぐことが副業だった。


「今日はもうちょっと早く配信始めたかったんですけど、帰り際に仕事振るなよクソ上司って感じです! マジもう仕事やめたいです。なーんて。あひゃはははははっ!」


 由紀はスウェット姿で、イヤホンを耳につけ、デスクトップパソコンのモニターの前に座っている。由紀がつぶやいた愚痴に対して、視聴者たちがすぐさま反応し、同調するコメントが画面の隅を流れる。


 視聴者の多くは由紀のトークを目当てに集まっている。独特の笑い方が面白がられ、「くせになる」と評判だ。


 仕事、辞めちゃえば?

 そんな無責任なコメントが画面の隅を流れた。


「いやいや、辞めたら生活が続かないし。なんだかんだ、サラリーマンって安定じゃないですか。せめて残業が減ればもっと配信できるんですけどね。それか私がもう一人いればね」


 本当は会社を辞めて専業の配信者としてもっと稼ぎたい。しかし、成功するかわからないのに安定収入を手放す勇気はない。


 自分がもう一人いたらいいのに。


 そんなことを考えていた矢先、『バーチャルAIクローン』の広告を見たのだ。


 『バーチャルAIクローン』の作成は簡単だった。

 まず、名前などのプロフィールを入力し、長すぎる利用規約に同意する。

 次に、WEBカメラに向かってしゃべり、現在の容姿や声を取り込む。

 最後に、過去の配信のアーカイブから、自分の配信動画をアップロード。


 アップロードした動画から、AIが由紀の話し方や性格などを学習し、模倣し、疑似人格を作るらしい。由紀は撮り貯めた過去の配信動画が100本以上あったので、これらを使って学習したAIによる人格の再現精度はかなり高くなりそうだ。


 由紀の分身が完成し、ディスプレイに自分の顔が映った。

 いや、正確には自分の顔を元にして再現した『バーチャルAIクローン』――宮永由紀クローンの顔だ。画面の中で、あたりの様子をうかがうようにきょろきょろとする姿は、本当に生きているみたいだった。


「へえ、すごっ。そっくりじゃん」


 由紀が関心してつぶやくと、画面の中の由紀クローンが得意げな笑みを浮かべた。


「そっちこそ、私にそっくり。さすが本物だね」


 本当にしゃべっているみたいに、口や顔の筋肉が動いている。声質や話し方もそっくりだ。

 生身の由紀は驚いて、さらに語りかけた。


「普通の会話だけじゃなくて、冗談も言えちゃうの?」


「それくらいできなきゃ、使い物にならないでしょ?」


 さも当然というふうに、由紀クローンが答えた。


「ひえー。AIなめてたわ。これじゃあ、何も知らない人が見たら本物の私と区別つかないじゃん」


「クローンなんだから、簡単に区別できたら三流」


「それもそうか」


「ゲームの実況生配信だって楽勝だよ」


 由紀クローンは、にやりと唇の端を上げた。


「マジ? 私、笑い方が特徴的って言われるんだけど、再現できたりする?」


「あひゃははははっ! ってね」


 由紀クローンがいきなり笑い声をあげた。


「うわ、私だ……。へー、すげー、マジかー、できちゃうんだー。あれ? じゃあ明日にでも私の代わりに生配信やってくれたりする?」


 半信半疑で尋ねてみると、由紀クローンは憎らしいほどのドヤ顔で、


「お望みとあらばね」

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