第10話 断ち切る
「レン……」
俺を呼ぶお嬢様の声が何やら切なげだが、それどころではない。
(切れた……切れたけど、俺は何もしてないぞ!)
自然と切れる事など今まで目にしたことはない。
どんなに酷い縁であっても、そんな事はなかったのに。
今やお嬢様の指に繋がっているはずの赤い糸は、髪の毛一筋分も残っていない。
俺は目を見開き、ただお嬢様の手元を凝視していた。
「ゴーシュ様とはもう関わり合いになりません。それで戻ってきてはくれませんか?」
そんな事簡単に出来るとは思えない。しかしこうして切れたという事は、少なくとも恋愛の繋がりは切れたという事。
(お嬢様が決断したからか? でも)
戻るかというのは話が別だ。
旦那様も怒るだろうし、またすぐに別な婚約者が出来るだろう。
あの野郎よりもいい人ならばいいが、そうであっても間近でお嬢様とその相手が寄り添うのは、見ていられない……。
(あれ?)
今更ながら俺は自分の中の矛盾に気づく。
(お嬢様が良い人と結婚するのを望むのに、俺はその幸せな姿を見ているのが辛いと思っている。お嬢様に結婚して欲しいのに、幸せな家庭を築いて欲しいのに)
しかし自分の心はそんな未来を見たくないと訴えている。
「レン?」
無言のまま頭を下げた俺に訝し気な声が降ってくる。
(俺は、お嬢様を誰かに渡したくないんだ……)
そんな思いに至ったと気づいたからには、まともに顔を上げられず、何とも返事が出来ない。
身分は勿論釣り合わないし、俺がお嬢様を幸せに出来るなんてないからだ。
でも渡したくない、誰かに触れられたくない、そんな気持ちを抱いているのを認識してしまった。
ハイスペック男子を求めていたのは、お嬢様の為というよりは自分が諦める為。
(自分が逆立ちしても勝てない相手ならば、潔く身を引き、お嬢様を安心して託せる)
無意識にそう考えていたんだろう。
「お嬢様……」
戻るとは言えないが、悩んだ。
俺が戻らないと言えばお嬢様は悲しむだろう、でも戻ったところで幸せは来ない事はわかっている。
ならばここで分かれる方がお互いに良いだろう。
お嬢様への一方的な恋慕を諦めるいい機会だ。
「俺は貴族の方に粗相をして屋敷を追い出された庭師です。これ以上何かすればティナビア家の評判がさらに下がりますし、他の使用人もいい顔を致しません。お互いに迷惑が掛かりますので、もう会う事は終わりにしましょう」
俺はそう言って手を離した。
笑顔を作り、ドアを開け、話を終わらせようと促した。
「久々に会う事が出来て嬉しかったです。お嬢様の幸せを願っていますから」
「それはもう戻っては来ないという事ですか?」
お嬢様が詰め寄ってくる。
「えぇ。もうあそこに俺の居場所はないですし、新たな場所もありますから。トム爺によろしくお伝えしてください。きっと後任もすぐに決まりますよ」
今度庭師の手伝いをしてくれそうな人が来たら縁を繋いでおこう。
「ゴーシュ様が来なくなっても駄目という事なのね」
「そうですね。まぁ元から俺がいるべきところではなかったという事です」
そうだ、拾われた時から分不相応だっただけだ。
ここまで生かしてくれていただけでも感謝している。
「私があなたに戻ってきて欲しいのよ」
「俺は戻りたくありません」
その言葉にショックを受けたお嬢様は、険しい顔をして振り返ることなく部屋を出ていった。
これでもうここに来る事も、会う事もないだろう。
俺はお嬢様を見送ることなく、そのままドアを閉め、鍵を掛けた。
「もう会う必要もなくなるはずだ」
お嬢様に繋がっていた糸、それら全てを強力にしておいた。
これでお嬢様は財力も人脈も、名声も得るだろう。
そうなれば忙しくなり、ここになんて来れないし、俺を探す暇も時間も無くなる。
そんな中できっと結婚するに相応しい良い人が現れるはずだ。
「副長とリジーに相談したのは無駄になったな」
そう呟いて俺は涙を拭った。
恋心に気づいた事と、失恋した事で胸は痛むし頭の中はぐちゃぐちゃだ。
俺が貴族であったら違っただろうか?
ゴーシュなんかではなく、お嬢様の婚約者がもっと良い人だったら、こんな風に自分の気持ちに気づくことはなく終えられただろうか?
それか――。
「俺が自分の縁を見る事が出来たら違っただろうか?」
この未練ある気持ちは、自分の糸が見えないから断ち切れないのだろうか。
諦めきれない心と幸せを願う気持ちがない交ぜになり、途方に暮れる。
その夜は結局部屋の外に出る事なく、そのまま座り込んで朝まで過ごしてしまった。
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