第2話 仕事をクビになった

「トレイシー、今日もキレイだね」


 ニコニコとしながらお嬢様の婚約者であるクソ野郎が来た。


 俺の綺麗にした庭にお前なんて入れたくないが、お嬢様の頼みだ。入れてやるよ。


 昼間は庭師として働いている俺は、一定の距離を保ってクソ野郎を見張っていた。


 このところ二人の距離が近く違和感を感じる。


 いやクソ野郎が一方的に擦り寄っているだけみたいで、お嬢様は適切な距離を保とうとしていた。


 俺は気づかれないように気をつけながら、眼鏡の内からクソ野郎を睨みつける。


 今までこうして顔を見に来ることがあっても、外で散歩しながら談笑するなんてなかった。

 室内でお茶をして、そこそこの時間で帰る、それくらいだったのに。


(捨てられそうだとか、危機感を感じたのか?)


 やがてひと通り見終わった後は外のテーブルにて、お茶をし始めた。


 侍女たちも遠ざけ、二人で話をしているのだが、お嬢様の顔にどことなく翳りを感じる。


 笑顔だけれども困っているような感じだ。あまり近くにいたくはないような……。


「愛しているよ」


 様子を伺っているとクソ野郎がそんな事を言いながらお嬢様の手をとる。


 やめろ、離せ。


 そう思いながらも赤い糸が繋がっているのが見えて落ち込む。


 もっともクソ野郎からは細い赤い糸が何本も伸びているから、相手はお嬢様だけではない。


 お嬢様の指には相変わらず一本だけ。何か腹立つ。


「あの話してください。婚前ですし、この距離はちょっと」


 お嬢様は困ったようにいい、重ねられた手を振りほどいて立ち上がる。


 それを追うようにクソ野郎も立ち上がった。


「いずれ結婚するのだからいいだろう」


「きゃっ?!」


 そう言って腰に手を回されたのを見て、俺は走り出す。


 お嬢様が嫌がっているのだから、深く考える事は出来なかった。


「わぁ!」


 慌ててコケた風を装い、クソ野郎に持っていた肥料をぶちまけた。


 花々の栄養になる貴重なもので、クソ野郎には勿体ないがお似合いだ。


「貴様、なんてことを!」


「申し訳ありません、すぐに洗います!」


 頭を下げる俺の顔をぶん殴ってくる。


 これくらいは想定内だ。


「レン!」


 お嬢様が駆け寄ってくれて、顔を覗き込まれる


「大丈夫? 痛かったわよね」


「いえ、大丈夫です、お嬢様に何もなくて良かった」


 お嬢様は急いで侍女を呼んでくれて、迷いながらも婚約者の方へ行く。


 掛けていたメガネは多少フレームが歪んだが仕方ない、俺は一人立ち上がった。


「申し訳ありませんゴーシュ様、当家の庭師がとんだ無礼を働いてしまって、すぐに湯浴みと着替えを用意させますわ」


「トレイシーは悪くないが、あの庭師は許せないな」


 汚れた服を見下ろし、ゴーシュが俺を睨んでくる。


「申し訳ありません、よく言って聞かせますので、どうかお許しください」


 そう言ってお嬢様は頭を下げる。


 そんな事をしなくていいのに、元はそいつが悪いのに。


「申し訳ございません。お嬢様の悲鳴が聞こえたために、何かあったのではないかと思いまして」


 俺はせめてと言い訳をつかせてもらった。


 お嬢様のためなら頭を下げるくらい安いものだが、この男がしたことは許せない。


「トレイシーが転びかけたのを俺が支えたのだ。余計な事をして」


 まるで殴り足りないとばかりに睨まれたが、お嬢様がゴーシュの手を取って屋敷へと誘導して俺への追及は終わった。


「情けないな、俺」


 好きな人一人助けられない自分に嫌気が差す。



 ◇◇◇



 古い縁が切られる時が来た。


 どうやら俺は長年勤めたここを追い出されるらしい。


 俺を許すことのできないゴーシュが、俺を辞めさせるようにと迫ったそうだ。


 仕出かした事を考えればそうだろう、誇りを傷つけたわけだし平民な俺は切っても支障はないだろうし。


 どちらが優先なんて考える事もない、旦那様はあっさりと俺に解雇を言い渡した。


「わたくしのせいで……レン、ごめんなさい」


 白い頬を赤くさせ、ぽろぽろと涙を流す様に心が痛む。


「そんな風に泣かないでください。俺が悪いのです」


「いいえ、あなたはわたくしを庇ってくれたのに。それなのにこんな仕打ちはあんまりだわ」


 お嬢様が旦那様に何度も話しをしてくれたのはわかっている。


 何の力も持たない俺が悪いのに。


「お嬢様の幸せを願っていますよ」


 俺は少ない荷物を手に、少ない見送りを受けて屋敷を出た。


 心の残りはあるけれど、ここにはもういられない。


 けれどまだ恩返しを出来ていないので、不貞腐れている場合ではないのだ。


 やや心配だが当てはある。


 俺は昏くなる空を見ながら、歩き出した。



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