廃世界にきらめく星河

AcetyleSho_A

The star of twilight

「緊急地震速報です。強い揺れに警戒して下さい。」


ある日突然、何気ない日常があった世界は失われた。

突如として眼前の景色は歪み、轟音と共に体を突き上げられ、平衡感覚を失い、世界は反転した。

その中で大地は割れ、鳥たちは鳴き叫び真っ黒に空を覆い、建造物は無事でも、ブロック塀や電柱たちが雪崩のように崩れていく。

大地というある一点が不安定化するだけで世界は無へと向かって崩れていく、それはまるでジェンガのように。

世界を滅ぼす全ての儀式が終わったあと、荒廃した町を眺めて、俺は………



高校2年の夏が終わったばかりのある日。そこにはいつもと変わらない日常があった。

「お弁当持ったの?お金は?」

いつものように学校に行こうと支度をして靴を履いていると、リビングから母親の声が聞こえてくる。

「ああ、どっちも持ったよ。行ってきます。」

「そう、それなら良かった。気をつけて行ってらっしゃい。」

普段と何ら変わりないやり取り。時間は繰り返し、繰り返し、毎朝目の前に現れるのは同じ景色。

外に出て、バス停に向かって歩き出す。

何もないど田舎だ。周りには娯楽施設なんてなにもないし、学生というご身分が重りとなって身体に巻き付いていると退屈さはエスカレートする。勉強も独りで黙ってやるものなせいで、予定のない休日なんかは最悪である。

バスが到着した。乗り込み、座席に座る。片手にスマホ。訳もなく眺めやるのは辺りの景色ではなく画面の中。

バスが動き出す。一瞬だけ辺りを見回す。死んだ目をしたサラリーマン、所在なげに窓の外を仰ぐ中年の女性、眠る老人、音楽でも聴いているのか、イヤホンを差してスマホを眺める女子高生。バス内の誰もいないかのような静寂は、周囲に誰の存在も持たない人々によって構成されていた。

そうして再び視線をスマホに落とす。目の前を通り過ぎる、ビラの貼られた無数のクローシュを眺めながらぼうっとフィルムを撫でている。

そのうち、ひとつが目に止まった。

「巨大地震、今年度中にも発生か」

それは何年もの間界隈で騒がれ続けている地震についての記事だった。いつ起きるかも分からないと言われつつ結局起きないし別に地震に興味があるわけでもないから、どうしてこの記事を見て手を止めたのかは自分でも不思議に思った。夜空に浮かぶ星々はどれもほとんど似通った輝きを持つのに、その中で名前も分からず、これと言って目立たぬ特定のひとつに目が行ってしまったようで。

俺の指はそのままその記事の中に誘い込まれた。しかしその姿が眼前に現れた途端多少の拒絶を覚えた。表面だけさっと舐めて、すぐにクローシュを被せる。


「間もなく、〇〇高校前です。お降りの際は、バスが完全に停車してから……」


単調な自動音声が鳴り響き、バスが学校前に到着した。

降車口に数人の列をなし、誰もが運転士と目も合わせずに降りてゆく。それは俺も例外ではない。が、降りた途端がっしと肩を掴まれて、部屋の電球がついたようにパッと景色が開けた感じがした。

「よーおっ、隆誠。元気かー?」

耳元からは聞き慣れた声が聞こえてくる。

振り向くとそこには友人の高田がいた。

ちなみに隆誠とは俺の名前である。

「なんだお前かよ…びっくりした」

低めのトーンで重く返してやると、そいつは「そんな怒んなって」と軽い調子で言いながら俺のトントンと肩を叩いた。

別にこの程度日常茶飯事だし気にしてはいない。むしろこいつの陽気さは俺にとって木漏れ日のようなものだからありがたいとまで言える。

ところで、折り入ってこいつに聞きたいことがあった。

「なぁ高田。」

「ん?どした?」

「お前、今日大地震が来るって言われたら、信じるか?」

「え?どうしたんだよ急にー。」

高田は俺に不思議そうな視線を向けたあと、豪快に笑いだした。

「んまあやばくねー?とは思うけどそんな信じ込みはしねえかなあー」

彼のいつも通り軽い調子の返答を聞いて、一瞬黙り込んだが俺もまぁそうだよなと笑い飛ばすことにして、二人で適当な話をしながら教室に向かった。


教室に入って、席に着く。

高田は隣の教室なので扉の前で別れたところだ。

この時期はまだ暑く、横の窓を開けて制服でパタパタと扇ぐ。

「あちぃ…」と口からこぼれるくらい暑い。


「おはよ、今日もあついね」

仏頂面で座っていると前方から爽やかに呼びかける声が聞こえた。目を上げるとそこには幼馴染の奈美が立っていた。

「ああ、おはよ、そうだな」

頬が自然と緩むのを感じた。

どうやら教室にいるのはまだ俺と彼女の2人だけなようで、そんな中2人だけで話すのはちょっと贅沢な気がした。

「そうそう、数学の課題やった?あれ難しくない?」

「あー、分かる。習いたてでやるものじゃないだろって感じだったよな。」

「だよねー。」


ガララッ


「あっ南ちゃんおはよー」

「おはよー」

「お、よう賢司」

「うぃーす」


他愛もない会話をしている二人の生徒が教室に入ってきた。しかし彼らとも仲は良いので彼らも会話の中にも混ざってくる。

そうしてまた次、次と生徒が登校してきては、俺たちと、または彼ら彼女らの間で会話が始まり、一つまた一つと輪が増えては広がり色とりどりの輪が重なって教室内は鮮やかになってゆく。毎朝こうである。

この間は暑さを忘れられる。俺はこんないつもと変わらない朝が好きだ。

毎日変化せず繰り返し巡る時も良いものだとつくづく思う。


キーンコーンカーンコーン…


「あっやべ、チャイム」


時の節目を告げる音が鳴り響き、皆がぞろぞろと席につき出す。

その後先生が入ってきて簡単な朝礼を済ませたあと、1限目の授業が始まった。

授業中はとにかく暑かった。もう秋が近いのに一体気温はどうなっているんだと心の中で文句をたらたらと垂れる。

そんな中での授業は川の流れを見るようだった。だが時間は体内のそれよりゆっくりと進んでいて煩わしい。



そんな長い苦行を終えていよいよ昼休憩に入った。

ようやくただ座っているだけの退屈な時間から解放されたと思い廊下にでると今朝よりも一段と暑くなっている。もう昼間だから、知らぬ間に気温はほぼ最高値に達していた。

仕方なく教室に戻って、席で弁当を取り出す。と、背後から子猫に触れるような温かな手つきで肩を叩かれ、振り向くと奈美がいた。

「ねね、今日は一緒にお弁当食べない?」

彼女が普段言うことのない台詞に俺はキョトンとする。

「どうしたんだ?急に。いつもなら他の女子と食べてるじゃん。」

「んー、そうだけど、なんとなく?」

彼女めがけて飛ばしてみた矢を彼女はさらりと避けて俺の前の椅子を動かして座った。

「それじゃ、いっただきまーす。わ、キミのお弁当おいしそー。」

「お前もな。それよりさ…」

二人向かいあって食べるのはなんだか新鮮だ。

なんだかんだ会話も弾んでるし、こういう時は忖度無しで本当に楽しいと思える。

「ところでさ」

最中、俺が敢えて深刻な雰囲気を持ち出して言った。

「もし今日大地震が起こるとしたら、どう思う?」

「えー、なにさー急に。どしたの??」

と、この問いを聞くや否や彼女は笑い飛ばす。

だが俺は「さぁ、なんとなく?」と彼女と同じようにはぐらかす。

「なんとなくで出る話題じゃないでしょー」

彼女はきらびやかな文旦を口に運びながら笑う。その笑顔はすこし作りもののようにも見えたのは気のせいだろうか。

結局そのままその話題からは逸れていって、奈美がその質問に答えることはなかった。

不思議にも重い空気を少しだけためたまま。

「ごちそうさまー!それじゃ次移動教室だから、また後でね!」

「お、おう。」

次は理科だが、俺と彼女では取っている科目が違うこともあり彼女はそそくさと去っていった。

その背中が遠ざかるのを見ていると、なんだか不思議な心地がしてきた。


そのまま午後の授業を終え、放課後を迎えた。今日はたまたま部活がないため、本来まだ沸かない安堵と解放感が一気に起こってくすぐったい。

少し残って勉強を…する気にもならず、今日は何故か一直線に家に帰りたくなったので、そのままバス停へと向かい、やってきたバスに乗り込む。

その中の静けさは今朝と変わらなかったが、今度は本当に人もほとんどいなかった。

俺は今度は、画面の中ではなく窓という仕切りによって隔てられた外側の世界を眺めていた。



バス停を降り、家に向かって歩き出す。

今日も変わり映えのない一日が終わろうとしている。しかし少し遅くなってしまったかもしれない。空はもう黒に覆われつつあった。それでもその闇の間で燃える紅は尚猛々しく辺りの陰りを払わんとしているようである。

俺は真横に見えるその光に吸い寄せられるようにその方角に視線を向け続けて歩いていた。

しかし、曲がり角に突き当り、道に俺の視線を逸らされる。そうしてかの紅は視界から外れた。

次に視界に飛び込んできたのは宵闇。

外縁に後方の赤色を纏いながらも中心はあらゆるものを引きずり込む虚無のようだ。

それは人の意識さえも吸い込むのか、気づいたときには先程まで背の紅にあった俺の意識は完全に目の前の黒にあった。

その美しさは「崩落」の美しさだろうか。完全なる「無」か。俺にはわかりかねた。

しかし確かなことが一つある。

毎日見るこの景色が、いつもの日常がいつか消え去る時は来るのだろう。「不変」はありえない。それが自然と変わってゆくのか、何かに奪われてかは分からないけれど。


そう思った次の瞬間だった。

それは思ったよりもずっと早く、何の前触れもなく始まった。


突然下から突き上げられる感覚を覚え、地面に投げ出される。起き上がろうとするが、そのまま激しくあらゆる方向に揺られて体勢を立て直せない。ひっくり返った虫のように藻掻いていると付近の電柱や石垣が崩れ、建物の窓がけたたましい悲鳴を上げながら砕けてゆく。

何とか身を転がして上から降る残骸たちを避ける。

大地は楽しげに地上の万物を揺さぶっている。

カバンからスマホが飛びてて、画面が光る。

そこに映るものを見て、ゾッとした。

震度7、それは体感で分かる。だが津波警報が来ている。―ここに居ては死ぬ。

揺れと降り注ぐ残骸をしのぎながら、何時間にも及ぶ凄まじい時間足掻き続けた気がした。

するとある時点で急激に揺れが弱まった。最初の死神はどうやら飽きたらしい。


揺れがおさまったことを確認して、俺は一目散に走り出した。震源が不味い。直ぐに津波が来る。いやもう来ているかもしれない。ここは海から多少距離があるが、高い津波なら十分飲み込める範囲にある。

幸い、距離のない所に一つ丘がある。俺はそれを目指してただただ脚を前へ前へと動かしていた。

しかし走り始めてすぐ、自分の家がすぐそこにあることに気づき、脚を止めかけた。だが俺の本能はそれを許さなかった。自分の命を優先しろと言わんばかりに、母は大丈夫だろうかと心配する俺の気持ちとは裏腹に走る速度を全く緩めてはいなかった。

立ち止まっている場合ではない。食事を始めたあの魔物は止まることを知らないのだから。とにかく脇目も振らずに走り続けた。一刻も早く、あの丘へ、たどり着かなければ。大海原の胃の中へと引きずり込まれる前に。

今は親にはただ「生きていてくれ」と祈ることしかできない。


そして丘に繋がる坂道を登り始めた―その時。


ザザアァァ…ドオォン


背後で凄まじい轟音が鳴り響いた。もう振り返らずとも分かる。そこには大口を開けた巨大な悪魔が目の前にある物全てを喰らい尽くしながら迫ってきているのだと。

悪魔が俺を追うけたたましい轟音を背後に、俺は無心で坂を登り続けた。

そしてある程度の高さまで上り詰めた時、巨大な海水の塊は一切勢いを緩めず爆音を立てて丘に衝突し、そいつが伸ばした腕が俺の脚に一瞬絡みついて離れた。

もう一時遅かったらがっしりと掴まれて、この魔物の餌食になっていたと考えると、どうしてかかえって笑いがこみ上げる。

そうして俺はそのままその場に座り込んだ。

…嗚呼、なんという眺めだろう。


俺は宵の明星が輝く黄昏の空を背景に、沈み消えた故郷せかいをぼんやりと見つめていた。

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