結婚十年目の倦怠期〜お妃様は十五歳〜

宮前葵

第一話

 私が結婚したのは五歳の時のことでした


 サルバーン王国とエリクス王国は長年の友好国でした。そのため両国の友好を確かなものとするために、王族同士の婚姻がそれまでも幾度か行われてまいりました。


 その中でも目玉と言える重大な婚姻が、サルバーン王国第一王子であるローディアス様と、エリクス王国第一王女ソフィアの結婚でした。そういうわけで私、ソフィア・エリクスはサルバーン王国に嫁いだのです。五歳の時に。


 一応言っておきますと、貴族の結婚は年若い時に行われる事がままあるとはいえ、五歳で嫁入りというのはあんまり多い例ではございません。


 普通は、幼くして婚姻が取り沙汰された場合は婚約を致します。婚約なら五歳くらいで行われる事もよくあります。しかしながら私の場合はいきなり結婚致しましたから、これはかなり異例です。


 当時、私の実家エリクス王国は隣国との紛争を抱えて、サルバーン王国の支援を必要としていたそうでございます。そこで、私を言わば人質にする形で早々に嫁がせたのだという事でした。おかげで両国の関係は強化され、支援を受けたエリクス王国は戦争に勝利。で、私はそのまま十五歳の今に至るまでサルバーン王国にいたままだということですね。


 正直な話、嫁いで来た時の事はほとんど覚えておりません。馬車で何日も掛けてやってきて、見知らぬ場所でいきなり盛大な結婚式が行われて、それが終わったら知っている人はお父様お母様を含めて誰もいなくなり、随分と心細くて何日も泣いた、という記憶がございます。


 今ではもうお父様お母様のお顔は薄らとしか覚えておりませんね。故郷の風景は遠いものになってしまいました。故郷で過ごしたより長い多感な十年をこちらで過ごしたのですもの。無理もないと思って下さいませ。


 私の夫のローディアス様は結婚した時六歳でした。なんというか、よく覚えていませんけど、おままごとみたいな結婚式だったのではないでしょうか。おままごとにしては物凄く多額の費用が掛かったと思いますけど。銀髪で水色の瞳を持つローディアス様は当時から非常にお可愛らしかったのはしっかり覚えておりますよ。


 私の方は薄い金髪に緑色の瞳で「お似合いです」とよく言われますから容姿の収まりは良いのでしょう。背丈も、長身のローディアス様に並んで良い感じなくらい私の背は高いですし。


 十年もこちらにいて、延々と第一王子の妃、去年にローディアス様は王太子になられましたから私は王太子妃になっておりますが、そういう風に扱われていれば、私はもうすっかりサルバーン王国の王族でございます。私もそう思っていますし、周囲の者が私を他所者扱いするような事はもうございません。それどころか若い貴族は私の嫁入り事情なんて知りませんから、私が外国出身だと聞いて驚かれる事もありますね。


 この十年は平和で、サルバーン王国とエリクス王国の関係は安定しております。実家から贈り物や手紙が届く事もよくあり、実家とも仲良くやっておりますよ。でも私の気持ち的にはもうエリクス王国は外国ですね。サルバーン王国の方に愛着が強くあります。


  ◇◇◇


 そんなわけで、私はすっかりサルバーン王国の王太子妃として自他ともに認められて、毎日忙しく楽しく過ごさせてもらっておりますよ。王太子妃教育は結構大変で、毎日午前中は何人もの教師が入れ替わりたち変わりやってきては、様々な教科の授業を受けます。文学、歴史、地理、詩、数学、自然科学のような教養から、楽器、唄、絵画、彫刻、ダンスのような芸術。乗馬や護身術などの運動科目もあります。


 午後は社交の時間で、お招きを頂いた婦人のところに行ってお茶会や庭園での散策、観劇や演奏会、商人を呼んでお買い物を皆様で楽しむ事もあります。


 そしてほとんど毎晩、夜会にはローディアス様と夫婦揃って出席します。私は離宮で着替えて王宮本館の控室に参ります。すると、本館の執務室で夜会服にお着替えになったローディアス様がいらっしゃるのです。ここから本館の広間へ向かうか、ご招待を下さった貴族のお屋敷に馬車で向かうかは日によります。


 ローディアス様はかなり美男子ですから、夜会仕様に着飾るとかなりの破壊力ですね。空間がキラキラ輝いて見えるほどです。でもまぁ、それも毎日毎日見れば慣れますよ。年々美男子ぶりに磨きが掛かって凄いわね、と感心するだけです。


 私もドレスを着てお化粧をして、山ほどの宝飾品で身を飾り立てているわけですけど、ローディアス様がそんな私を見ても今更何とも思っていない事は明らかでした。


「ああ、今日も綺麗だね。ソフィア」


 とは言って下さいますよ? 毎日判で押したように同じお言葉ですけど。長いこと夫婦をやっていれば別にそんなものだと思いますので不満はございません。


 ローディアス様のエスコートを受けてシャンデリアも眩しい夜会の会場に入場いたしますと、皆様拍手をしてお迎えくださいます。挨拶にいらっしゃった皆様は口々にこう仰いますね。


「今日もお美しいですわ。ソフィア様」


「本当。殿下と並ぶと光の花が二つ咲いたようでございます」


「本当にお似合いですわ。こんなにお美しい王太子ご夫婦は古今東西いらっしゃいませんでしょう。我が国の誇りですわ」


「お美しいお二人のお子が待ち遠しいですわね」


 と、大袈裟に褒めて下さいます。美しいと褒められるのは悪い気分ではございませんし、ローディアス様に見劣りすると思われていないのであれば安心しますね。こう見えても私は美容には結構気を遣っておりますよ。ローディアス様の方が美しいなどと言われたら女のプライドが傷つくというものでございますからね。


 私たちは二人して皆様の挨拶を受けますと、ホールの中央に手を取り合って出ます。ダンスを踊るためです。こういう社交で踊るダンスは、幾つか種類がありますけど、男女が親密なペアである場合は体を寄せ合うワルツというダンスを踊ります。


 このワルツは男女の相性を見るのに最適なものだと見做されておりまして、貴族教育の必須項目です。若い貴族がお見合いをする場合、必ず最初にワルツを共に踊らされます。これで息が合わないようですと相性が悪いとされ、どんなに家柄が合致していてもお見合いが成立することはありません。


 ちなみにもちろんダンスは貴族の嗜みですから、下手くそだという噂が立つと大変な事になってしまいます。下手な踊り手と踊って自分まで下手に見られてはたまりませんから、ダンスを申し込んでくる相手、つまりお見合いの申し込みが減ってしまう事態にもなります。ですから貴族の子女は何をさて置いても幼少の頃よりダンスの特訓を受けるのです。


 私とローディアス様の場合は既に結婚している訳です。ですから、今更息が合わないなどという事になったら大変な事になります。結婚している王太子夫妻が実は相性が悪いという噂でも立ったら、サルバーン、エリクス両王国の関係を揺るがす事態になってしまいますよ。


 ですから私とローディアス様は結婚以来、ダンスの特訓をさせられましたよ。いついかなる時でも完璧にローディアス様と息を合わせて踊る事が出来るように、二人セットでコーチにしごかれました。いえ、今でも毎週一度は念入りにチェックされます。もっとも、私もローディアス様も音感もテンポ感覚も良い方でしたし、運動神経も悪くありません。呼吸が合わないという事もありませんよ。


 強いて言えば身体が急激に成長する頃、十歳ごろに私だけが急速に身長が伸びてローディアス様よりも大きくなってしまった時、逆にローディアス様が急激に成長して私を追い越した時は、距離感が変わって苦労いたしましたね。ですがそろそろローディアス様の身長も伸びが止まりつつあるようですから、この所は完璧に息を合わせて踊る事が出来ていますよ。


 私とローディアス様は三曲踊り終えるとここでお別れしてそれぞれの社交に移って行きます。私は何度か貴族当主の方と何度かダンスをご一緒して、その他の時間はご婦人方とお喋りです。ローディアス様はダンスを少しすると、男性方とお酒を呑んだりチェスをしたりしながら談笑します。


 こうして貴族の方々と交流しながら、いろんなお話しをするのが社交の目的です。私たちは王太子夫妻ですから、皆様方から様々な陳情や相談や要請を受ける立場にあります。もちろん、ローディアス様は執務の間に面会の時間を設けていますが、高位の貴族で私たちと頻繁に社交でお会いする方の場合、わざわざ予約を取ってローディアス様に面会するより、こうした社交の場で話をした方が早いのです。


 ですから、王太子夫妻や国王陛下ご夫妻と同じ社交に出られるというのはある種の特権なのです。自分の要望を国政に反映し易くなる訳ですからね。私やローディアス様の機嫌を損ね、出席する社交への出禁を喰らったりする事がありますと、どんな大貴族でも国政への影響力を低下させてしまう事になります。


 舞踏会は場合によっては夕方四時くらいから夜半過ぎまで続く事がありますが、大抵は夜の九時には終わります。私とローディアス様は特別な理由がなければその一時間前には切り上げてしまいますね。私がローディアス様の腕を取り、皆様の拍手に見送られて退場致します。


 王太子宮殿である離宮に帰るとまず軽い食事をします。舞踏会でも食事は出ますが、私もローディアス様も忙しくて食べる暇が無いからです。


 食事をしながら今日の社交であった事を伝え、場合によっては対処の方法を打ち合わせます。そして二人ともお風呂に入り(別々にですよ?)一緒に就寝です。ローディアス様と、二人で同じベッドに寝るわけです。


 ……誤解しないで欲しいのですが。いえ、誤解しても良いのですが。いや違いますね、皆様は誤解していますでしょうしその方が都合が良いので放置しておりますけども。その、私とローディアス様はまだ清い関係でございます。


 その、もう私達はとっくの昔に、十年も前に結婚しております。当時は私は五歳、ローディアス様は六歳ですから、それはちょっと子作りに励むには早過ぎる年齢でしょう。ですから結婚時には私もローディアス様もお互い、そんな事は全く全然考えなかった訳ですけども。その、今は私は十五歳、夫は十六歳です。そろそろ普通に子作りを考えなければならない時期に来ております。


 実際、私の友人の夫人は同い年ですけども去年子供を産みました。これはちょっと早い例だとしても、そろそろ私達も王族の義務として、子孫繁栄に励まなければなりません。


 たぶん恐らくですが、王国中の者達は、私とローディアス様が毎夜子作りに励んでいると誤解しておりますでしょう。まぁ、そうですわよね。十年も前に結婚した年若い男女が毎日同衾しているのですもの。それは誰だってそう思うことでしょうよ。


 ですけどね、私とローディアス様は神に誓ってまだ一度も、その、イタしておりません。


 言っておきますが、シかたが分からないという事ではございませんよ? ええ。貴族教育にはそういう方面での教育もちゃんとございますので。


 だって、貴族にとって子孫を残すのは重大な義務なんですもの。シかたが分からないから出来ませんでは済まないのです。ちゃんとそれ専門の教師の方が来てくれて、私はみっちり講習を受けました。男女の身体の構造から始まって、男性女性の快感を受ける身体の場所、強さや頻度、そして愛撫の具体的な方法も……。って、そんな事を言わせないで下さいませ!


 ちなみに、ローディアス様は恐らくですが、閨の実技指導まで受けていると思います。女性は処女性が大事ですけど、男性の場合は、結婚までに経験をしているのが貴族であれば当たり前です。でないと女性をリード出来ないではございませんか。当然ですが、六歳で結婚する前に閨指導を受けた可能性は非常に低いでしょうから、結婚後にそのような教育を施されたものと思われます。でも、これは浮気とは呼びません。必要な教育なので。


 ということで、私もローディアス様もその気になれば、立派に子作りが出来ますよ。教育の成果を遺憾なく発揮してみせますとも。


 ……ですが、私もローディアス様もどうもその気にならなかったのです。


 考えてもみて下さいませ。私とローディアス様は十年も前からずっと毎日同衾しているのですよ。


 結婚したのだから同衾するのが当たり前だと言われ、五歳の結婚初夜(あまりに昔なのでどんなだったかはもう忘れましたが)の時からずーっと毎日一緒に寝ているのです。ごく希に私が友人宅に泊まったり、ローディアス様がご友人の家に泊まったり王太子殿下のお仕事で遠方に出張したりする時以外は毎日です。


 結婚した時私は五歳、ローディアス様は六歳ですよ? 全くお互いに男女の意識はございません。そうですね。うっすらした記憶ではローディアス様と枕を投げ付けあって喧嘩していた事もございますね。


 ローディアス様がおねしょをして私のネグリジェを濡らしてしまい、お互いに大泣きして侍女に慰められたという記憶もございますよ。それでもベッドを分ける事無く毎日律儀に同衾していたのですけど。


 何時の頃からか私は寝る時に、ローディアス様を抱き枕代わりにしないと寝付きが悪いようになってしまいました。ですから、たまに夫が泊まり掛けで出掛けると寝られなくて困るほどです。ローディアス様も出掛けると寝付きが悪いと仰っていますね。どうも私の香りを嗅いでいないと寝られなくなってしまっているようです。一度私の香水をお貸ししたのですが、香水は個人の汗と混じってその者の香りになるものですから、香水だけでは私の代わりにならなかったようですね。


 お互いの安眠のためにはお互いがどうしても必要だというのですから、私達は非常に仲睦まじい夫婦だと思われておりますよ。いえ、事実として私とローディアス様は仲良しですよ。小さい頃は何度も大げんかを致しましたが、最近はしておりませんし。単に夫婦生活が無い、する気が起きないというだけなのです。


 というか、十年も夫婦をやっておりますとね。お互いの事は知り尽くしてしまいます。そうするとなんというか、相手の事をなんとも思わなくなってくるんですね。空気のように当たり前にそこにいる存在になってしまっているというか。


 なにしろ最近、私たちはあんまり会話すらしませんからね。話す事が無いのではありません。言葉が無くても良くなってしまうのです。例えばこんな感じです。


「ローディアス様、アレですけど」


「ああ、アレならやっておいた」


「ありがとうございます」


「ソフィア、アレはどうなっている?」


「上手く行っておりますよ」


「ああ、よろしく頼む」


 という具合です。側から聞いていると何の事やら分かりませんよね。


 これは「ローディアス様にお願いしていた友人のご夫人の陳情の件はどうなっていますか?」「父王に取り次いでおいた」「王宮で私たち夫婦主催で開催する園遊会の準備はどうなっているか?」「順調に準備が進んでいます」という会話なのです。


 私の侍女のメリアン曰く「暗号より難しい」との事ですけどね。こんな感じで言葉を必要としないので、会話が弾まないのです。私とローディアス様は離宮にいる場合、朝食は必ずご一緒しますけど、お互い黙々と食事を致します。別に何とも思いません。普通だと思っていますので。


 こんな感じで私たちは特になんという事もなく日々を過ごしておりますね。別に不満はございませんよ? 夫との仲は肉体関係が無い事を除けば良好ですし、毎日仲良しのご婦人と交流しながら楽しい日々を過ごさせて頂いておりますから。


 ただ、何でしょうね。少し飽きたというか、同じような日々の繰り返しに疲れた。退屈を感じている、感じはしております。十年も同じような日々を過ごしておりますからね。


 特にローディアス様との関係ですね。私たちは夫婦とはいえ、なにしろ五歳から一緒に育っておりますから、実情は幼馴染の友達みたいなものでございます。


 取っ組み合いの喧嘩もして、泣かし泣かされて、それでも強制的に一緒に居させられる内に、お互いが不快にならない距離感を覚えてしまったのです。近付き過ぎず離れ過ぎない。そういう安心出来る距離感です。


 今更その距離感は変更出来ませんよ。特に現状に不満がなく、不具合も感じていないのですから尚更です。私もローディアス様も夫婦生活に及び腰なのはそのせいでしょうね。慣れ親しんだ心地よい距離感を崩すのが怖いのです。


 そうやってなぁなぁとぬるま湯のような現状に安住していて、退屈だとか飽きたとか言っていては世話ないという感じでございますけどね。それにこのまま子作りを全くせずにはいられないのは確かなことでございます。王国の存続のためには。


  ◇◇◇


 そんなある日の事でございます。


 朝食の席でローディアス様が麗しい眉を少し顰めて仰いました。


「例の件は本決まりになりそうだ」


 おやまぁ。私は目を丸くしてしまいます。


「ではお役目は私たちが?」


「そうなるであろうな」


 少し前に、我がサルバーン王国の南に近接する、アラストーヤ帝国の皇太子ご夫妻から、我が国を表敬訪問したいとの申し出があったのです。


 アラストーヤ帝国はサルバーン王国に匹敵する大国で、これまではやや対立関係にある相手でした。近隣の国への影響力を競っている、くらいの対立でしたけどね。


 なので王族(あちらは皇族ですが)同士の交流はこれまでほとんど無かったのです。それが突然の表敬訪問の申し出です。国王陛下ご夫妻も困惑していらっしゃいましたね。


 ですが結局、王族同士が交流するのは悪い事ではないし強国との関係緩和は国益に適うという話になり、皇太子ご夫妻の訪問を受け入れるという事になったようでした。


 そうなると、接待役には皇太子ご夫妻のカウンターパートとして私たち王太子夫妻が当てられる事になります。


「どのような方々なのでしょうね?」


「分からぬ。随分と風俗の違う国であるようだからな」


 私はその時は別になんとも思いませんでしたよ。王族の表敬訪問を接待したことはこれまでにも何回かありましたし。確かにアラストーヤ帝国ほど大きく重要性の高い国ですと、気が抜け無くて大変だろうな、とは考えていましたが。


 しかしまさか、アラストーヤ帝国の皇太子ご夫妻があのような方々だとは。あんな騒動になろうとは。私は全く想像もしていませんでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る