第1章 モノローグ 始まり

 エアコンの低い音が鳴り響く教室。椅子に跨り零が話し終えた教室にはそれ以外の音はなかった。

 優友は机に腰を下ろして何もない床をジッと見つめる。頭をクルクルと巡る情報にこみ上げてくる感情。混乱という言葉が今の優友を表す最も適した言葉だった。

 それを分かっている零は優友の言葉をジッと待つ。時間が止まったような二人の空気の中エアコンの音だけが時間の経過を教えてくれた。

「正直、信じられません」

 優友は口を開いた。

「そもそも天音ちゃんがそんな虐待みたいなことを受けてた様子なんて全然なかったし、ずっと仲良かったのに僕の命を狙うなんて考えられない。それに僕の知っている天音ちゃんとは性格も何から何まで離れ過ぎてて、国見さんの作り話って言われた方がしっくりくるんですよ」

「だろうな」

 優友から出た強い意志の込められた否定に零は、説得をする訳でもなく分かっていたように同意した。

 天音と優友の付き合いはおよそ十年。天音が一条家に引き取られてからの縁だ。初対面の零の話よりも今まで見てきた天音を信じようとするのは仲が良かったなら当然だと、零は最初から分かっていた。

 それでも話したのは天音がついに動き出したから。無警戒にホイホイと天音の誘いに乗られては零にも守り切れない。少しでも警戒心を持ってもらい最低でも天音から連絡が来た時は報告をもらうところまでは零としては漕ぎ着けなければならなかった。

 どうしよう、と零は頭を悩ませる。そもそも同性の同級生と話すのが年単位で久しぶりな零は、かなり手探りに不安を抱えながら優友と会話をしていた。いきなり自分語りを始めてしまった零だが、ただ流れと困り果てた末に直球なやり方しか出てこないコミュニケーション能力の低さからやってしまったに過ぎず、説得の方法は一切考えていなかった。

 また静けさが訪れる。

 だが、この静けさはすぐに時を動かした。

 静かに扉が開く音が教室内に響く。ふわりと長いスカートをなびかせ、三つ編みした二つの髪を揺らした天音が教室に現れた。

「天音ちゃん!」

 優友は驚きと喜びの色を露わにして天音の名前を呼ぶ。教室に現れたのは優友が十年間一緒にいた見慣れた天音。全然変わっていないじゃないか、と優友はさっきまで渦巻いていた不安が嘘のように歓声を上げ、天音の方に駆けていった。

 そして、零は優友が無警戒に飛び出したのを見て、急いで優友の首根っこを掴み後ろへ投げ飛ばす。見慣れない天音に見蕩れていた零は、優友を静止させることを忘れていた。優友が動き出して我に返った零は、申し訳なく思いながら手荒く優友を天音から引き離すしかできなかった。

 美空の剣先が後ろに飛ばされる優友の額に掠めかける。優友は目の前を体感ゆっくりと通過する剣先を眺めてギョッと言葉を失った。

 零は急いでポケットから護符を取り出し、美空の第二撃に備えて護符を構える。美空の大太刀を受けきれる武器のない零には、自作した護符しか有効な手立てがなかった。

「天音ちゃん?」

 尻もちをついた優友が目を見開き言葉を零した。

「久しぶり」

 天音は美空の隣からヒョコっと姿を出して笑った。

 優友は天音が自分に返した言葉だと思い口を開きかけたが、天音の目線は優友ではなく零に向いていることに気付き言葉を詰まらせた。

「新鮮な髪型だな。似合ってる」

 自分に向けられていた言葉ということだと気づいていた零は、構えを解くと笑って率直な感想を伝えた。

「ありがとう」

 ご機嫌そうに笑う天音と少し照れくさそうに笑う零。気づけば二人だけの世界が出来上がっていた。

「それにしても随分な挨拶だな」

「そう?これでも軽めのつもりだったけど?」

 これが普通と言うように話す天音に零は溜め息をつく。

 そして、ようやく天音の目線は床に座り込んでいる優友に向かった。

「久しぶりだね。一年半ぶりかな?」

「……久しぶり」

「なんか元気ないね」

「あ、あのさ。僕の命を狙ってるなんて嘘、だよね?」

 優友は信じたくない気持ちを込めて天音に尋ねた。

「本当だよ。君が零から聞いた話は全部ね」

「冗談だよね。嘘なら嘘って言ってよ」

 信じたくない優友は縋るように早口で天音に望む言葉を願った。

「冗談じゃないよ」

 優友は言葉が出なかった。今まで信じてたものが全て崩れるような衝撃。情報が溢れすぎて纏まらない。混乱ではなく虚無が優友を襲った。

「全部聞いていたのか?」

「そうだよ。私が仕込んだ『堕天』が祓われたのが分かったからお母さんに見張ってもらったんだ。私とお母さんは感覚の共有ができるから話はお母さんを通して全部聞かせてもらったよ」

「技量の差か。全然気が付けなかった」

 自戒を込めるように零は言葉を胸に刻みつけた。瘴気を敏感に感じ取れる零が、美空の纏う濃密度の瘴気を察知できなかったことは由々しき問題だ。零は美空に対する警戒心を強めて、意識のリソースをさらに割いた。

「それより、なんで私の動き出す日が分かったの?」

「占ったんだよ。天音の動き出す日を」

「へ~。さすが本物だね」

 天音は揶揄うように零を笑った。

「そういう才が俺にはあるらしいからな。それで?わざわざ挨拶に来たってだけじゃないだろ?」

「いや。挨拶だけだよ。明日から学校に復帰することにしたから。その挨拶をね」

「「え?」」

 その発言に虚無だった優友も零に釣られて驚いた。

「よろしくね」

 天音が初めて優友に向かってニコリと笑った。


 優友の平凡な日常が終わる。

 波乱な新学期がもたらすのは幸か不幸か。

 窓の外は月の光のない闇夜が世界を包んでいた。


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君と一緒に地獄に行く 獅子堂桜 @44Saku

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