第1章 第20話 心

「なんて話しても君には分からないよね」

 話し終えた天音は一瞬諦めたような顔を見せ、投げやりな声で締めくくった。

「分かるよ」

 最後まで静かに聞いていた零は、目を逸らさずに天音に告げる。

「同情は止めて。そういうのは好きじゃない」

 その言葉が琴線に触れた天音は、機嫌の悪い低い声で天音は零を拒絶した。

「違う。共感だよ」

 それでも零は臆することも怯むこともなく天音から目を逸らさなかった。

「何言ってんの?」

「本当は知ってたんだ。天音の過去のこと。俺の左眼は幽霊が亡者に成るまでに至った記憶を体験させるんだ。右目で繋がり追い、本人が知り得ない過去も鮮明に。体験だから見るだけじゃない。触覚や痛覚、その時の感情の全てが俺の中に流れてくる。この眼が覚醒したとき俺は天音のことが知りたいと強く願ってた。そしたら入ってきたんだよ。天音の痛みがさ」

 天音は目を見開いて零を見る。そして、寂しそうに零から顔を逸らすと、それが悟られないように部屋の中を歩き出した。

「なら、私の計画を手伝ってよ。私と同じものを見てきたならわかるでしょ。この世界を「地獄」に変えるこの意義が」

「それはできないよ」

 零は天音から目を離さずに優しく告げた。

「私と同じことを経験しても私のことを否定するの?」

「否定はしない。俺が天音だったら同じことをやろうとすると思う。それに天音のやろうとしていることはたぶん正しい。平和な世界を目指すなら天音のやり方が一番だ」

「なら!」

「けど、俺はそんな世界で人の優しさに支えられた。人を良くするのは罰だけじゃない。人の中には優しさという可能性があるんだ。もし、罰と言う恐怖で人を縛り付けるなら良心という人の優しさははたらかない。俺は人の優しさの可能性を否定したくないんだよ」

「決裂だね。そうだ!決裂もしたことだし、零にイイことを教えてあげる」

 部屋を眺めるように歩いていた天音は立ち止まり、零の方を振り向いて感情のない瞳で笑った。

「君の恩人。穂波慶介は私が殺した」

 そう言うと天音の口元の笑みはさらに深くなる。

「な……」

 零の時が止まった。

「私がこの家のことを清算してたら穂波慶介が邪魔しに来たんだよ。『これ以上はこの世界が成り立たなくなる』って言ってさ。だから、殺した。腐り切った陰陽師の世界がどうなろうと私には関係ないしね」

 天音はまるで雑談をするような、そんな軽さで語る。人の命など微塵も興味も関心もないように。

「本当に厄介だったんだよ。穂波慶介の特殊霊媒体質『破邪契創』《はじゃけいしょう》は亡者に対して絶対的な契約を強制的に結ばせるんだから。しかも、死ぬ間際に私にまで契約を結ばせて。おかげで陰陽師の世界に縛り付けられたわけ。生きてても面倒なやつだったけど、死んでも本当に嫌なやつだよ」

「……穂波さんは死ぬ間際に何か言っていたか?」

 零の口調は重かった。明るく話す天音とは対照的に、話が進むにつれ零の表情は暗く、重くなる。握りこぶしの強さが言い表せない零の感情を強く表していた。

「『お前が新たに作る陰陽師の歴史を見てみたかった』だったかな。勝手に契約で私を陰陽師としての人生に縛り付けてよく言うよ。満足したように死んでいったせいで『束霊封魄』で取り込めなかったし、解除の条件も言わないしで本当に嫌になる」

「そうか」

 それを聞いて零は上を見上げ、目を瞑った。それ以上のことはなにも言わない。涙を流すわけでもない。ただ、気持ちを落ち着けるように呼吸に意識を向けていた。

「……それだけ?ほかにもっとないの?ここに君の恩人の敵がいるんだよ。怒りだって、恨み言だって、殺意だってなんだってぶつけられるんだよ」

 天音は凪いだように上を向く零を説得するように話しかける。その様子はどこか焦ったようで、さっきまで軽い口調はなくなっていた。

 零は天音の少し必死さの混じった言葉を聞き、深く息を吐きながら天音の方に視線を戻した。

「それはできない。穂波さんが恨みなく清らかに旅立ったなら俺がそれを汚すわけにはいかないから」

 零は怒りにも恨みにも囚われることない澄んだ瞳で天音の目を見た。

「……なんで?」

 天音から言葉が零れる。

「なんで私を恨んでくれないの?なんで私に怒りをぶつけてくれないの?私は君を殺そうとして、君の恩人を殺したんだよ。おかしいよ。なんで君はそんなに私の思い通りに動いてくれないの?」

 天音の本心。心からの絶叫だった。天音は握りこぶしを強く握りしめながら、睨むわけでもなく悲痛な表情で零の澄んだ瞳に語りかけていた。

「好きだから」

「え?」

「天音のことが好きだから」

 その熱は「好き」よりも「愛している」に近い激しい情熱を静かに帯びていた。零はその言葉に恥じらいも雑念も一切交えず、ただ優しい瞳で天音の叫ぶ心を包み込んだ。

 その瞬間、天音の頭上に現れた天秤が砕け散った。

『契約解除の条件を達成。親族を除くものからの一条天音に対する純粋な愛。一条天音を越える陰陽師の出現。設定された二つが確認されました』

 どこからか響く無機質な声。だが、互いに互いを意識し合い、関係ない無機質な声が二人の間に入り込む余地はなかった。

「……本気なの?」

 天音が大きく目を見開き言葉を漏らす。

「ああ」

「零は勘違いしてる。私が零に優しくしたのは打算なんだよ」

「俺は天音の言葉に救われた。それは否定しようのない事実だ」

「それは甘すぎるよ」

「いいんだよ。甘くて」

 零は満足しているように天音に笑いかける。

「……理解できない」

 天音はそう言うと零の笑みには応えず、零に背中を見せて歩き始めた。

「帰るのか?」

「戦う気がそれた」

 天音は止まることなく簡潔に言葉を返す。

「そうか。またな」

 零は晴れた顔でそう言うと、困ったように急いで帰る天音を優しく見送った。

「天音に悪役は似合わない」

 天音の姿が暗闇の先に消えていくのを見た零がポツリと言葉を溢した。その言葉がかつて穂波が天音に送った言葉と同じだったことは零は知らない。

 俺は俺のために地獄を守るよ、と零は暗闇に見ながら心に誓い、一条家の広間を後にした。

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