きみがわるい

ナタデココ

きみがわるい

「人をね、殺したんです」


その男は爽やかな笑顔を浮かべ、そう言った。


「は?」


私の開いた口から、声だけが勝手に漏れる。


「やっちゃったんです。その時の気分でガツンとね」


彼は振り上げた拳を振り下ろす謎の動作とともにそんなことを言ってのけた。


「……。あれ」


あれ、と、私は首を傾げて言う。


「アイスの名前で、そういうのなかったっけ?」


「ガツンとみかん?」


「なんでみかんなんだろうね?」


「知らないです。最近は杏仁豆腐味もあるらしいと聞きました。もうそれって、みかんじゃなくて杏仁豆腐ですよね」


みかんが可哀想、と大して中身もないことをポツリと呟いた彼は、コーヒーに口をつけて。


次に、再度中身のない言葉を投げつけた。


「キミ、文章書くの上手いでしょう?」


彼は甘く微笑んだ。


「殺しちゃった人、自殺に仕立てるつもりなんです。お金をあげますから、その人の遺書を作ってくれませんか」


ぼうっとストローでオレンジジュースを啜りながら、私はこくりと頷いた。


「わはっは」


ストローを口に入れながらそう言えば。


「それ、笑ってるみたいですね。面白い」


くつくつと笑う彼を前に、私はコップの中のオレンジジュースをすべて飲み干すと。


「めちゃくちゃ笑ってるよ。くだらないことするなーって……。ねえ。ところでそれ、いくらくれるの?」


「ワンコイン。1円」


「くそくらえ。そんなんで働くか」


「世の中のお金が1円以外無くなったら、1円が1番上ですよ。下克上ってやつですね」


「間違えて覚えてると思う、それ」


椅子に深く座り直しながら呆れ果てて言えば、彼は、少し困ったような顔をして。


「……あれら。下克上って、分解すると、『一ト十兄ト一』じゃないですか。1と10が兄と一くんを消して9になるもんだと思ってました」


「なんだそれ。なんで9になるの、気味悪っ!」


「それが僕の人殺しの理由だって言ったら、同じように『君が悪い』って言いますか?」


「気味悪いよ、キ・ミ・ワ・ル・イ!」


歯切れよく言った私は、ドリンクバー行ってくる、と言って一度離席した。


ぶどうジュースでコップで満たしたあと、席に戻る途中で、この『人を殺したよくない人間』とやらに今手にしている紫色の液体をぶちまけるか検討する。


「……なに、考えてるんです?」


彼の正面で、紫色の液体が入ったコップを高々と掲げたまま黙りこんでしまう、私。


「殴ろうかなって……思った」


「どうぞ?」


「……やっぱいい。掃除が大変だもの」


思い直して、席に座る。

すると、彼は心の底から嬉しそうに。


「賢明な判断です。キミがぶちまけた紫色の液体を誰が拭きたいと思うんですか。雑用を押し付けられた店員さんは、きっと、夜寝る前に一日を振り返って、「なんであの時、自分は床を拭かなきゃいけない運命にあったんだろう」って後悔しますよ」


「そうだよね。ごめんね?」


「遺書を書くのだったらそういうことも考えておくといいですよ。遺書とは、誰かの人生を、それをもってして終わらせるものです。後悔のある人生なんて嫌じゃないですか。僕だってそうです」


「ごめん。やっぱ謝ったのよくないわ。君ってすぐに調子乗るよね、なに人間サマ気取ってるの」


人間が可哀想、と大して中身もないことをポツリと呟くと、彼は、ひどく打ちのめされたような顔をして。


「あなた、人間に『様』を付けるんですか……?」


「君って誰かの苗字呼ぶ時、なんて呼ぶの? 例えば、そうだね。君がここのファミレスで働いていたとしてさ。『岩倉』って人を呼ぶ時、どうやって呼ぶの?」


「『いわくらぁ』! って。それはそれは、岩戸から出てこない天照大御神様を引きずり出す時のように」


「岩にめちゃくちゃ引っ張られてるね。というか、君こそ、神に『様』を付けるタイプじゃない」


「神『様』って言うでしょう?」


「あれれ? もしかして、神サマがどうして『神サマ』なのか、ご存知ない?」


私は机に身を乗り出すと、少しだけ、興味のある顔をした彼に顔を近づけて。


「なんです? ……なんだって言うんです?」


「なんとねえ。神様って、実は『神・サマー』なんだよ。ほら、さっき天照大御神って言ったじゃん?

あの人は太陽でしょ? 太陽と言えば夏でしょ? ほら!」


「ほら?」


「えー、まだ分かんないの? 夏こそが『神』ってこと! 春夏秋冬で、夏が一番偉いってこと! あっ、ちなみにさっ、地球温暖化が極まると日本の四季は二季になっちゃうんだって。500年後くらいには夏しか残ってなさそう! 4月から3月までぜーっんぶ夏っ!」


大きく手を広げて、4月から3月までを『これくらい』で表すと、彼は分かりやすくため息を吐いて。


「……友達になるべき人を、間違えた気がします」


「え? 何言ってんの。遺書を作ってくれる友達なんて私くらいしかいないよ?」


「世界中探せばきっと他にもいます。貴方じゃいけない理由は無いです。貴方が死んでも、きっと世界は、貴方無しでも十分に機能します。誰かが宝くじで1000万を当てて、誰かが福引でグアム旅行を当てることでしょう。貴方がこの世界にいる必要なんて無いです。本当に無いです。気味が悪い」


「酷くない? それ、今大人気のモラハラってやつよ?」


「ところで、さっき、遺書を書いてくれると言いましたよね。ありがとうございます、できれば朝9時までにお願いしたいです」


人あたりのいい微笑を浮かべて彼は言う。


私は「えー」と間延びした声を漏らすと、店内の時計にチラと目をやって。


「今三時だから、徹夜じゃん。しかも報酬ワンコイン……。やだよそんなの。もっと賃金上げて?」


「今の所持金が、11円なんです」


「闇金融でも何でもいいから借りてきて。最低2000円からね、話はそれから。おしまい!」


右手で『2』を作って彼に見せると、彼はしぱらく、真剣に私の右手を見つめたあと。


「2円なら、出せるんですけどね……」


「2円出したら所持金9円じゃん、それでどうやって生きていくの? 明日から」


「下克上するんです」


「無理だよ。無理に決まってるでしょ。9だから下克上できるってもんじゃないよ」


「僕ならできます。世の中の人間を全て消してしまえば、僕が1番です。下克上したことになります」


「それをするのに、どれだけの労力が必要か知ってる?」


「僕1人で十分だと思います」


「うーん、話にならないね」


今まで手をつけていなかったぶどうジュースにストローを放り入れ、ちびちびとすする。


すすったあと、私は、私なりに彼へと言った。


「君は……あれだね。少し理想が高すぎるよ」


「理想? 高くて何が悪いんですか?」


「夢見がちだ。雪見だいふくが空を飛ぼうと思って飛べるもんじゃない、でしょう?」


「見るにだいぶ引っ張られてますね。雪見だいふくだって空は飛べますよ、飛行機の翼に括りつければいいんです。NHKとかでやらないものでしょうか?」


「その『雪見だいふく、空を飛ぶ!』みたいなの誰も求めてないと思う。空飛んだら、凄いけどね」


飛行機の翼に括り付けられた雪見だいふくの想像をする。


地上に戻ってくる頃には、あの、白くて柔らかな餅の部分が伸びてしまっていることだろう。


でも、それはそれで美味しいかもしれない。


私はしばらく店の天井を見つめると、ぼんやりとしながら、呟いた。


「ねえ。帰りにさ、ガツンとみかんと雪見だいふく買って帰ろうよ」


「ありがとうございます。それも奢りになってしまいますね。ファミレスのドリンクバー代に加えて」


「くそくらえ」


一応、自分の財布を覗いておく。


ボロボロになった財布の中からは、1000円札紙幣が2枚ほど。


「……値上げしてないといいけどなあ」


「今はとにかく、何でも値上げの時期ですからね。夏はやっぱり偉くなんかないですよ。アイスが食べたくなってしまう。ちなみに、どれくらいの値上げを想定しています?」


「アイス1個100円が500円になる感じかな?」


「やばいですね。それは日本の終わりです」


大して思ってもいないことを呟いて、彼はようやく、手元のコーヒーに口をつけた。


彼がコーヒーを飲んだということは、時が進み、応じて、話が進んだということ。


「それでさ。なんで、人殺しになっちゃったの?」


まるで、他人の子供を傷つけた自分の子供をそっと叱りつけるような優しい口調で私は始める。


子供なんていないから、分からないけれど。


「大した理由じゃありませんよ」


彼は、苦々しいコーヒーのコップから口を離した。

そして、どこまでも甘ったるく微笑んで。


「『君が悪い』と言われたから」


「えー、怨恨なの? そりゃないよ、君はそういう悪口にのせられるような人じゃないと思ってたのに」


「否定されたような気持ちになったんです。お前なんていてもいなくても、世界はいつものように回る。誰かが宝くじで1000万を当てて、誰かが福引でグアム旅行を引き当てるんです。そのことに、絶望しました」


「絶望してみて、どうだった?」


「ガツンとやりたくなりました」


「そりゃご愁傷さま、さっさと出頭しておいで」


ぶどうジュースに口をつける。


「出頭はできません」


彼はそこで初めて、首を横に振った。


「君に遺書を書いてもらわないといけないんです」


「……べつに、私じゃなくてもいいんでしょ。世界中探してさ、他の人見つけてきなよ。私よりも文章が上手い人なんてごまんといるよ」


「1円で働いてくれる人は、貴方しかいません」


「てかさあ、自分でやればいいじゃん。なんで私まで巻き込まれなきゃいけないの、君がやった殺しでしょ。なんで私が遺書を書かなきゃいけないの」


そろそろ話も終わる頃だろう。

終わらなくても、私から終わらせてやる。


そう思って、ぶどうジュースを一気に飲み干す。


「だって、それは……」


彼はそこで初めて言い澱んだ。

私は、彼のことを上目遣いで見つめてやる。


「実は……私のこと、好きだったとか?」


「ああ、それは全然。……いや、違うんですよ。そんなに怒った顔しないでください、怖いです」


怖いです、と笑いながら軽々しく言い放った彼は、再度軽々しく言った。


「僕が殺しちゃったの、貴方のお兄さんだったもので」


「え」


非常に心地のいい静寂が辺りを支配した。


「いやですね、殺すつもりはなかったんですよ」


彼の弁解が始まる。


「ガツンと来て、気が付いたら……ってだけです」


たった今、それが終わった。


「え。さすがに怒るよ?」


私は机に身を乗り出し、彼の襟首をひっつかむ。

それでも、


「怒ってないじゃないですか」


爽やかな笑顔を浮かべ、彼は再度言い放った。


「ほら。なにも怒ってないじゃないですか」


「……怒ってるよ。君がわかってないだけだ。何もかも理解できてないだけだ。気味が悪い」


「それじゃあ、殴ればいいじゃないですか。今大人気のパワハラってやつですよ?」


ほら、と、彼は甘ったるく微笑んで。

両手を広げ、私の『パワハラ』を待ち望む。


私は近くのコーヒーカップを乱暴に掴むと、その中身を彼に向かって盛大にぶちまけた。


「あれら」


元々中身は少なく、既に冷めきっていたコーヒー。


彼の黒色の服に滲む茶色は、どこまでも、どこまでも黒と同化している。


「席が少し汚れましたね。店員さん、呼びます?」


困ったように笑いながら淡々と尋ねてきた彼に、私は身を乗り出したまま、囁いた。


「ねえ。私が、君の殺した私の兄の遺書作ってさ。自殺ってことにしてあげる」


「……。どうしてですか?」


至極当然の疑問だ。


「だって、怒ってるんでしょう?」


彼はこてんと首を傾げた。


「それは、だって……」


私は気まずそうに目をそらす。

彼は、少し嬉しそうに目を伏せて、言った。


「実は……僕のこと、好きだったんですね?」


私はそこで初めて彼に笑顔を見せて、言い放った。


「ああ、それは全っ然!」


***********************


三時半。


ガツンとみかんと雪見だいふくの入ったレジ袋を鳴らして、二人は坂を登り続ける。


「何円だったんですか?」


「220円」


「残念でしたね。値上がりしてなくて」


「値上がりしてなくて残念、って初めて聞いたよ。一度でいいから言ってみたい人生だったなあ……」


「今、言ったらどうです? 後悔のある人生なんて最悪ですよ。ちなみに、あれを言ったあとは爽やかな風が吹いた気がします」


「別に爽やかな風に興味ないからいいや」


そんな話をしながらいくらか坂を登り続けたところで、バテた私は彼に聞いた。


「兄さんの家、こんな変なところにあるの?」


「妹なのに家の場所も知らないんですね」


「もう四年会ってなかった」


「何かあったんですか?」


生ぬるい風が私の首筋を撫でる。


「べつに」


私は彼から目を逸らして、言った。


「……季節の変わり目が嫌だって言ってた」


「へえ。なかなか、特殊な体質をお持ちなようで」


「特に夏。夏って、やっばり神様がいるんだろうね。ほら、8月31日は国際鬱デーでしょ」


「そんな名前じゃないです。不謹慎ですよ」


やたらと真剣に言われる。


「人殺しにだけは言われたくなかったわぁ」


レジ袋を鳴らして、私は後悔するように呟いた。


「だからさ。私、地球温暖化がもっと悪化して、二季どころか一季になっちゃえばいいと思ったの」


「4月から3月まで全部夏、にするんですか?」


「うん。そうすればさ、死ぬ人も少なくなるかなぁって」


「季節を統一したって8月31日が国際鬱デーなことに変わりはないと思いますけどね」


「ねえ。ちなみに今日、何日か知ってる?」


「8月31日でしょう? 知ってますよ、それくらい」


当然のように言われるが、少しだけ、私の求めていた答えと違った。


めげずに、もう一度聞いてみる。


「ねえっ。じゃあさ、今日なんの日だと思う?」


「国際鬱デー」


「違う! 私の誕生日! 知ってたでしょ!」


「……あっ」


そこまで言えば、彼は事を察したようで。


「もしかして僕は……貴方にとって、最悪な誕生日プレゼントを渡してしまったということですか?」


声を僅かに震わせて、彼は取り返しのつかないことをしてしまったと後悔する。


もうどうにもならないと項垂れる。


「……いや、知っててやってるでしょ。知ってるよ」


そう言えば、彼はけろっと顔を表にあげて。


「あれら、バレてたんですね」


「君の誕生日の日、震えて待っておいてよ」


「怖いですね。ちなみに9月1日です、僕の誕生日」


「どうしてやろうかなぁ……」


「あ、人は殺さないでください。頼みます」


無感情の、真意のはかれぬ声で頼まれる。


「君でもアリだなって思ってる」


無感情の、真意のはかれぬ声で私は答えを返した。

私はそのまま、淡々と言葉を続ける。


「理想が高くて、夢見がちなやつは、さっさと消えた方が社会にとっていいと思う」


「酷いですね。いまの、今大人気のモラハラってやつじゃないですか?」


「君は少し勘違いしているようだから先に言うよ。誰が死んでも、誰かは宝くじで1000万当てるし、誰かはグアムに旅行に行くんだ。それは私と君でも変わらない。二人が同時に死んでも変わらないんだ」


「グアムがハワイになる可能性はあります」


「ハワイは新婚旅行のための場所だからダメ」


ようやく長い長い坂を登り終え、私たちは右に曲がった。


「ところで、貴方は今日で何歳になったんですか」


「19」


「9がありますね。いいですね。下克上ができる」


「そういう君は明日で21かな」


「あれら。……どうして分かったんです?」


本当に驚いていそうな彼に、私はファミレスでしばらく考えていたことを告げた。


「君がどうして下克上と9にこだわるのか考えてた」


「……急に推理ゲームみたいになってきましたね。楽しくて嬉しいです。結果は?」


「『一ト十兄ト一』。1と10が兄と一くんを消す。残るのは『一ト十』。足して11。ちなみにこれは、いま君の持ってる所持金と同じ。そこに主張しまくってた9を足すと20、これは今日までの君の年齢」


「明日20歳になるかもしれないじゃないですか」


「1円くれるって言ってたから。明日21歳になる君の1歳を私にくれるのかなって思って。そうしたら計算通り、20で辻褄合うでしょう?」


右に曲がって少し歩いたのち、左に曲がる。


「それすなわち、さ」


私は街灯に照らされる彼の横顔を見ると、全く躊躇うことなく言い切った。


「私が君を、君が21歳になるまでに殺さなきゃいけないってわけ」


すると、彼は最初の時のようにくつくつと楽しげに笑って。


「ああ、ちょっと惜しいです。僕、確かに言いましたよ。2円までは貴方に支払えるって」


「あれ、ほんとだ。じゃあ、2歳だけ削るの?」


「そうすると、今日19歳になった貴方と同い年になれますね。一緒に下克上でもします?」


「遠慮しておく。あと、家ここであってる?」


街灯に照らされた彼があまりにも普通に兄の家と思しき場所に入っていくため、念の為、確認をする。


すると、家の扉に手をかけた彼が私を振り返って。


「はい。昼間来たばっかりなので、間違えたり、忘れたりするわけがありませんよ」


「おー、そう。朝からガツンと来ちゃったの」


扉に鍵はかかっていなかった。

勝手に玄関で靴を脱ぎ、部屋の中に入る。


「こっちです」


彼が部屋の全ての電気をつけて、丁寧に兄のもとまで案内をした。


「貴方のお兄さん、二年前から飛行機の整備工場で働いていたそうですね」


2階へと繋がる階段をのぼりながら、彼は言葉を紡いだ。


「貴方のお兄さん、今日は機体の翼部分の点検をしていたそうです。左翼でしたかね? ですが、そこに偶然ミスをしてしまい、不運にもそれは大きな大きな事故に繋がってしまった」


「……」


「たくさんの人が亡くなってしまったそうですよ。それはもう、たくさんの……」


どこか故人を憐れむように呟いた、彼。

彼は階段を全てのぼりきると、言う。


「貴方のお兄さんは最後、僕の前でこんなことを言っていましたよ。──『くそくらえだ』ってね」


くそくらえ。

私は最後に階段を一つだけ残すと、静かに呟いた。


「でもさ。それ……君が、私の兄さんを殺す必要なくない? 正義気取り?」


確かに、不慮の事故とはいえ、人をたくさん殺したのならその人は殺されて当然なのかもしれない。


かもしれない。

かもしれない?


本当にそれは、『殺されて当然』なのだろうか?


まあ、四年も会っていなかった相手だというのに、今さら情を抱くのもおかしな話だが。


でも。


「でも……兄さんは、確かに私の兄さんだったんだけど」


兄の自室と思われる部屋の扉を開けようとする彼を見れば、彼はこてんと首を傾げて。


「怒っちゃいました?」


「……」


「無理もないですよね。僕もその立場だったら、さすがに怒ります。でもね、僕は……」


僕は、と、彼は、彼なりの言葉を続ける。


「貴方のお兄さんを殺すつもり、本当になかったんですよ」


「……本当に?」


「ええ。貴方を助けたかっただけなんです。この際、全部言いますよ。……僕、貴方のことを気に入っていたんです。だから、あなたの事を、殺人犯の妹だから『気味が悪い』と言って遠ざける輩が今後出てくると思うと、僕は心底悲しくなって……」


悲しくなって、とそれ以上言葉を続けようとする彼を止めるように。


「でも──君が悪いよ」


と、私は言った。


「どんな理由があっても、人は殺しちゃいけない」


「……」


「それに、シンプルに気味が悪い。なんで私を気に入ってるの。君に気に入られるくらいなら死んだ方がマシかもしれないよ。くそくらえ」


「酷いですね」


「……。もういい。帰ろう。なんかもう、全部どうでも良くなってきた、人生なんてそんなもんだ」


私は彼の手を取る。

手を取って、階段を駆け下りた。


「遺書はいいんですか」


彼の声が主のいない家中に響いた。


「僕たち、友達でしょう?」


「……」


「日本の警察は優秀です。僕はきっと、証拠を抑えられて、そのうち捕まります。早ければ明日か、明後日には。……だから、遺書を書いてください。自殺ってことにすればいい。貴方のお兄さんに薬を飲ませてしまっただけなんです。日本の警察は優秀なわりに真面目だから、遺書さえあれば、自殺と判断する」


「矛盾してる。日本の警察は優秀で真面目なのに、どうしてそんな、雑な判断をするの」


「真面目な人間は怠ける味を一度覚えると、もうそこからは離れられなくなるんです。自殺でいいじゃないですか。貴方のお兄さんに殺された人たちだって、本当は、犯人には他殺じゃなくて自殺してほしかったに決まってる。罪を償えって」


「なんでそんなことがわかるの。……勝手なことは言わないで。私、いま、怒ってる」


乱暴に彼の手を引いて、私たちは玄関にまで戻る。


「でも……っ」


それは、


「僕には……っ、貴方しかいないんです! 分かるでしょう!」


彼の、彼なりの弁解だった。


「本当に殺すつもりだけはなかったんです。貴方を助けようと、その気持ちだけで行動して……!」


うんざりだった。

私は首を振って、どこまでも突き放すように言う。


「──それが『気味が悪い』って、私は言ってる」


「貴方だって、僕がいないと生きていけないんだ。それを誰よりも分かってる。そうでしょう?」


「私は……」


私は、と、私は私なりの弁解をした。


「私は、君とは違って……今まで兄がいたから」


「……!」


彼は、追い詰められたように顔をひきつらせる。

しかし、私はそれでも、彼に向けて微笑むと。


「でもね、正直、今日で全部終わらせちゃうのはアリだと思ってた。君が何かの間違いで人を殺しちゃったんなら、巻き込まれるのは癪だけど、君の罪を背負って私も死んでもいいと思ってた。でも……」


でも。


私は玄関に置かれているタンスを開けて、そこに入っていたメモ用紙を取り出すと、同時に、中に入っていた鉛筆を取り出して。


そのメモ用紙に、つらつらと文章を書き始めて。


「君は、私の書く文章が上手いって、言ってくれた」


「……────」


「それが適当な誘い文句でも、構わないよ。私はそういう言葉で突き動かされてるんだ。今の私には、確かに誰もいない。君しかいない。私──君のその言葉を聞いて、もう少し生きてみてもいいと思った」


書き終えると、私は鉛筆をポケットにしまって、メモ用紙を玄関に放り投げて。


「今日は、国際鬱デーだ」


彼の腕を引く。


彼は、私の書いた『遺書』の中身を知りたそうにしていたが。


彼も私が腕を引くのにならって、家の外に出て。


「お祝いにケーキでも、食べに行こう!」


私は晴れ晴れとした笑顔で、夜の空に意気揚々と告げた。


「私の分と、君の分まで!」


見上げた空は本当に明るくて。

眩いくらいに、星がたくさん煌めいていて。


──そんな翌日。


私の書いた『遺書』をもとに優秀な警察は真面目な捜査を展開し、彼は捕まった。



君が、悪かった。








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きみがわるい ナタデココ @toumi_yuki

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