第16話


「ーーーー……」



 芽依めいの言葉を聞いて、トキの表情が、若干じゃっかん……けれども先程までとは明らかに変化する。

 瞼を震わせ、彼の瞳にかすかに光が宿った。

 ーーーー刹那。辺りを満たしていた白い輝きが、徐々にトキに集まり始める。


「……ーーーー」


 光が完全に彼を包み込む。

 その時。

 パンッと黒い輝きが弾け、今までトキを追いめていた自身の魔王の力がぐ。だが、消えたわけではない。

 静かに燃える炎のように、トキの内側で確かに存在している。

 テヌートはその光景を上空から眺める。


「…………力の制御が……」


 ……出来始めている。

 今までトキは無意識に、魔王の力を使うのをこわがっていた。

 自分の育ての親を殺したその力。

 あの時の後悔を、もう二度としない為に。

 けれども今、トキにはそのおそれを感じない。

 いや。むしろ逆かもしれない。

 ーーーー恐れている。

 魔王の分身。その事実は変わらない。魔王の残虐ざんぎゃくな思考の一端いったんおのれの中に確かに存在している。


「………………」


 ーーーーでも。

 彼女は、彼は、教えてくれた。

 分身はあくまで分身。魔王であって魔王でない。それぞれに自分の意志がある。


『彼女は姫じゃない』

『似ているけれども、違う人間です』

『今回も、同じ結末になるとは限らない』


 前にトキがテヌートに述べた言葉が、次々と頭を過る。

 これは全て、自分に言い聞かせた言葉だったのかもしれない。

 自分が最もほっしていた言葉だと、今更いまさらながらに気付いた。

 それを彼女は、迷いもせずに自分にくれた。


「……ーーーー芽依」


 トキの呼び掛けに、芽依は振り返る。

 そして、何かに気付いたように、その瞳が揺れた。徐々に見開かれる瞳。

 ……今、初めて。初めて名前、呼ばれた気がする。


「…………トキく……」

「ーーーー……ありがとう」


 トキの瞳と芽依のそれが交差する。いつもは感情のとぼしい彼の表情。だが、その時だけは何故なぜか、彼の思いがハッキリ伝わってきた気がした。

 トキはそのまま、リーフィアに向き直る。


「………………リーフィア」


 トキに名を呼ばれ、芽依とは対照的にリーフィアの瞳がくらく光る。

 それは、ひどく悲しく、痛々しい表情にも見えた。

 トキは体に魔王の力をまとわせる。

 バチバチと静電気がう。

 けれども先程までのように、トキに苦し気な表情はない。

 リーフィアが間合まあいをめて、鎌を突き出す。トキがそれを受け止め、二人の間に火花が散った。

 ……トキの剣が、彼女の鎌を押し返す。


「…………僕は…………君のように……魔王様の為に生きたいと思った事……ない」

「……………………」

「魔王様の孤独もにくしみも……何をしたいのかも……分かってる。…………でも、僕は……」


 トキの体がちゅうに浮かぶ。

 後ろに押されるリーフィアの体。足に力を込めてるものの、ゆっくりと確実に押される事実に、ぐっ、と悔しそうな顔をする。

 トキの瞳はリーフィアを通り過ぎ、前だけを見据みすえる。


「…………叶えて欲しい、願いを…………守りたいから」


 ーーーーまだ、死ねない。

 最後の言葉は、言葉にならなかった。

 トキの言いたい事が伝わったのか、リーフィアの顔が、かたく、厳しいものになる。

 同じ分身でも、真逆の考えを持つ。魔王様の為に死にたいリーフィア。テヌートの願いの為に生きたいトキ。

 決してまじわる事はない考え方。

 それでも、共通している『誰かの為に』という思想しそう

 お互いに流れる血が、肉が、互いを無視するなと、心臓を伝って沸騰ふっとうするように熱く鳴り響く。

 リーフィアはトキをにらみ付け、血を吐くように呟く。


「…………どんなに言葉を並べても、私が貴方を理解する日は来ない」


 リーフィアが全ての力を解放する。


「私は、決して、貴方をゆるさない……ーーーー!!」


 トキも、今出来得る限りの全力で、彼女の力と向き合う。同じ力がじり合い、竜巻のように二人の外側をぐるぐると高速でうずく。

 いかずちが起こり、ぶつかり合って火花が散る。それと共にけむりも巻き上がり、辺りをめ尽くす。

 ブチッとトキの腕に切り傷が入る。鎌鼬かまいたちごとく、トキの体に傷を作り続ける。


「…………っ」


 目を細め、二人を見つめる。

 よく見れば、傷を負っているのはトキだけ。そこで芽依は、あることに気付いた。

 拮抗きっこうしていると思っていた力。

 しかし実際は、リーフィアのほうがトキよりも長く魔王と共にある。力がぶつかり合えば、当然、弱い方が押し負けるわけで……。

 トキではまだ、全力のリーフィアには勝てない。

 このままでは、トキのほうがあやうい。

 芽依はテヌートに配目する。

 その瞳はいつになく真剣で、確実な隙をうかがっているのだと分かった。

 迂闊うかつに手出し出来ないこの状況下。だがせめて、リーフィアの動きを止められれば。

 ……せめてもう一度、宝珠ほうじゅの力を使えれば。

 何故かそんな確信が芽依にはあった。

 芽依は宝珠を両手ですくい上げ、いのるように額を合わせる。


「……太陽神。どうか……」


 …………力を。

 どうか……。

 届いて……ーーーー。


「…………お願い…………っ」


 ーーーー刹那せつな

 宝珠の輝きが更に濃くなる。放たれた光が螺旋らせん状に渦を巻き、芽依の体を包み込んだ。それはそのまま上空へと延び上がる。

 それを見て、テヌートが動く。


「っ!!」


 光は触手のようにリーフィアの体に纏わりつき、腕と足を捕らえて動きをふうじる。

 トキとリーフィアは相対あいたいしたまま。彼女は鎌で、必死に応戦する。

 完全にリーフィアの意識が目の前の二人にれる。ーーーーその時。

 テヌートが彼女の背後に回り込む。剣をしまい、鎌を出現させた。


「…………しま……っ」


 気付いたリーフィアが慌てて振り返る。

 だが、もう遅い。


「……はぁあ……っ!」


 テヌートの鎌がリーフィアの体を横切る。

 鎌は彼女の体をすり抜け、彼女自身には傷一つない。

 自分の身に何が起きたか把握はあくすると、リーフィアは勢いよく顔を上げる。その表情はひどくあせったように見受けられた。

 テヌートが右手を広げると、そこには黒いもやが集まり始めていた。


「っ、返して!!」


 リーフィアが必死に飛びつく。

 しかし、彼女の体は宝珠の光に拘束されたままだ。テヌートは彼女をひらりとかわすと、リーフィアの鳩尾みぞおちを蹴りつけて地面に叩き落とした。


「…………!!か、は……っ」


 起き上がろうとするも、トキがたたみ掛けるように圧をかけ、彼女を地面に押し付けた。

 テヌートがゆっくりと降りてくる。その右手にあるものを、憤怒ふんぬ形相ぎょうそうで睨み付けた。


「……これは俺があずかっとく。これでお前は、満足に魔王の力を使えないだろ」


 テヌートの右手にあるもの。それはまさしく、リーフィアのたましいの一部だ。

 本来死神の鎌は、魂を狩る為の道具。

 魂を一部だけ切り離すことも可能だ。

 魂が不安定な状態では、力の威力も半減。もしくはそれ以前に、力を発動すること自体が困難となる。

 テヌートは靄の魂を自身の鎌の中へ収める。


「……これ以上やるなら本気で消す。ーーーー今すぐ下がれ」


 テヌートのその顔は、死神の統括とうかつ者としての威厳いげん冷徹れいてつさを持ち合わせていた。リーフィアは眉間みけんしわを寄せ、くやしげに呟く。


「…………このままで済むと思わないで」


 宝珠の光がリーフィアを包み込む。その光を嫌がるように、リーフィアは一瞬で姿を消した。






 辺りが光で満ちていく。

 その神秘的な光景の中、芽依の脳裏に、誰かの声と断片的な映像が流れ込んできた。

 宝珠が見せているであろうそれを、どこか遠くでながめる。

 自分が経験した記憶ではないのに、何故かなつかしくて、どこか、かなしい……ーーーー。


『……お願い。……けて…………』


『ーーーー……約束、だよ……』


『……もし、生まれ変わることが出来たら、今度は……ーーーー』


 おそらく、違う時と場所でかたられたであろう、そのことたち。

 それはその者の気持ちや表情を音に乗せて伝えてくれる。

 芽依はそっと目を閉じた。

 透明なしずくが頬を伝って流れ落ちる。

 再び目を開くと、光は宝珠に収束し、辺りは静寂を取り戻していた。

 ぷつ……と緊張の糸が解かれたのか、トキの体がぐらりと傾く。


「!トキくん」

「おっと」


 近くにいたテヌートが、倒れていくトキの体を地面すれすれで受け止める。

 芽依が駆け寄り、心配そうにトキの顔をのぞき込んだ。


「…………なんつー顔してんだ」


 芽依の顔が余りにも深刻だったので、テヌートは彼女の頭をがしりとつかんで、後ろに引きがす。

 ムッとした芽依が抗議の声を上げようとテヌートの手を退かす。

 だが、その手は途中で止まった。

 ーーーーテヌートが、何時になく優しげな表情をしていて。


「…………帰んぞ、芽依」


 そう言って、もう一度手の平で額を軽く押す。トキをかつぎ直すと、こちらに背を向けて歩き出した。

 その後ろ姿を眺めながら、芽依は額を押さえて、うーと低くうなる。

 …………何だろう。どうやら自分は、テヌートの笑った顔を見ると、妙に安心するらしい。

 芽依は黙ったまま、小さく微笑んだ。





 屋敷から外を眺め、聖堂の方角をじっと見つめていた裕祇斗ゆぎと

 ずっと上空に暗い雲が纏わりつき、空気がよどんでいた聖堂が、微かに明かりをびていく。

 無意識に強張こわばっていた体の力を抜いた。

 視線を下へととうじる。

 胡座あぐらをかいた裕祇斗の膝の上で規則的な寝息を立てる三津流みつるを見つめ、彼は笑みを浮かべると、その小さな頭をそっとでたーーーー。

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