第二十五話 守るものと守られるもの
――守るべき何かがあると、自分の思い描く道を逸れて煩わしく感じることがあるかもしれない。そうだとしても守りたい何かがあるのなら、それを誇りに思うべきだ。あなたが思い浮かべたものはきっと宝物。測れなくても確かにある価値、守るものと守られるもの。――
その穏やかな性格と聡明な言動が支持を集め、生徒からの人気は高い。
各クラスでの最初の授業で、“タネのないマジック”という作り話を披露し、一躍話題になった。
紹介としては普通、ここで終わりで良い気がするが、俺の場合はそうはいかない。
彼がこの学校に関する情報を知っている、明軍の一員である可能性があるのだ。
そんな
「もしかして、私に何か用があるんでしょうか」
この先生の流暢な喋りにはいつも変な迫力がある。言葉一つ一つに引き込まれる力があるが、かといって強要はしないむずがゆい感覚。
「そうです。ちょっとお話ししたいことがあって」
即答した福沖は「ここは私に任せて」と言いたげに、俺に目配せしてきた。
「重要なお話でしたら中で聞きましょう。どうぞこちらへ」
先生は迷うことなく実験室の鍵を開け、俺と福沖を招き入れた。
カーテンはすべて閉められているため、扉から射す廊下の光を頼らねばならないほど暗い。先生がカーテンを一つ開けたが、雨雲に覆われた空のせいで、たいして明るさに変化はない。
「今日はあいにくの天気でしたね」
先生は続いて、うっかりしていたと言わんばかりに頭の後ろに左手を回し、実験室の電気をつけた。急な眩しさに目を背けながら、俺と福沖は背もたれのない直方体の木の椅子に座った。足元を四センチくらいのゴキブリが通り抜け、福沖が悲鳴をあげたところで空気が温まり、一段落付いた。
「それで、どんな要件でしょうか?」
先生は黒板を背にして、いつもの授業と同じように両手を作業台に付き、やや前傾姿勢になって話をする構えをとった。
「牟手先生は……最初の授業のときに変な話をしましたよね?」
「“掴み”の雑談ですか……どのクラスも良い反応を見せてくれたので嬉しかったですね」
「あれは本当に冗談なんですか? 百パーセント嘘なんですか?」
「完全に否定することはできませんが……なぜそう思うんです?」
「先生は
「そうですか。つまり、猫面人の正体を私が知っていながら故意に隠しているのではないかと、そう言いたいんですね?」
「はい。先生があんな話をしたから、猫面人を目撃したみんなは声を大にして言いづらくなったんです。『あんなまやかしを信じるなんて』って異端扱いされるのが怖いから」
「福沖……」
彼女はオカルトマニアとして物申しているというわけではなさそうだ。
「それは酷いことをしてしまいましたね。申し訳ありません。ですが、世の中には知らなくて良いことが山ほどあります。むしろ知らない方が良いとまで思えることが」
「先生は何を知ってるんですか? 俺たちに言えないことを隠してるんですか?」
ますます怪しい。そうまでして真実を話したくないのか。あるいは冗談の延長か……
「捉えようによってはそう表現できるかもしれませんね。しかし、余計な情報を拡散しないことで、あなたたち生徒の皆さんの学校生活を脅かすこぶから守っているとも言えるでしょう」
「それこそ余計なお世話です! 目撃しただけならまだしも、猫面人から記憶が奪われるなんていう被害も出てるんですよ!? まともに助けを求めることすらできないんです! 先生がもし猫面人のことを知っていて放置しているのなら、失望します!」
福沖の目には、はっきりと憤りの色が見える。
「ふ……私は期待されようと振る舞ってきたつもりは一切ありませんよ。この学校に得体の知れない何者かが潜んでいることはもはや確定しているも同然です。それに気づくかどうかはもはや早いか遅いかの違いしかない」
「それってつまり……」
「勘違いしないでほしいのは、私も猫面人の正体なんて全くわからないということです。存在自体は認めますが、それをわざわざ広める必要もないでしょう。混乱の渦が拡大するだけですから」
「そう。あなたたちがそれ以上知ろうとするのは危険すぎる」
「え?」
「誰? 女の子?」
二人して振り返った。
不意に聞こえた少女の冷たい声。実験室の後方の扉を音も立たずに開け、いきなり会話に参加してきた。
「お前は……!」
「何あの子。独瞬の知り合い?」
「い、いや……知らない。人違いだったみたいだ」
というのはやむを得ない嘘で、福沖には悪いがごまかさせてもらう。何せあの少女はつい先日、俺に呪いみたいなものをかけてきた張本人だからだ。
くるくるに巻いた黒のツインテールはこの前会ったときよりも螺旋度が上がっている気がする。白いコートに白いフリル付きミニスカート。真っ赤なエナメルの靴がきつく輝いている。“気を付け”に近いピンとした姿勢は不気味でしかない。
「なぜあなたがここにいるんですか?」
先生は黒板の前から少女に問いかけた。先生は少女のことを知っているような口ぶりだ。
「
「は? 何を言ってるのこの子?」
これはまた厄介なことになってきた。先生が少女と普通に会話してるところを見るに、俺の予想は当たっているという嫌な確信が一気に距離を詰めてくる。
「やれやれ。心配しなくても私は味方だと言ったはずです。それと……度々申し訳ありません、福沖さん。私もこれ以上は一般生徒のお遊びに付き合っていられないのです。今からあなたの記憶を部分的に消去します。見聞きしたことは全部忘れてすぐに教室に戻り、五限目の準備をするようにお願いします」
黒板前の作業台で話していたはずの先生は、俺たちが少女に気を盗られている間に、座っている俺たちの真後ろまで忍び寄っていた。
「記憶って……先生……?」
「ちょ、牟手先生、まじですか……?」
記憶を部分的に消去だなんて、まるでルージヤの記憶喪失事件みたいに……
「独瞬君、これは仕方がないことなのです。リーダーの命令は絶対ですから」
「リーダー?……お前は誰なんだ?」
残念なことに
「なに? わかんないよ……独瞬は何か知ってるの?」
「ん、いや……」
その質問に答えられたら苦労はしないんだ。俺だって助けを求めたい。でも、俺には事実を公にできないようにする刃が突き立てられている。常に死と隣り合わせでいるのだ。確たる証拠はないが、否定もできない。リスクがある限り、やはり俺の口からは言えない……
「でもな……」
一番まずいのは、福沖を餌に不当な要求をされることだ。それを防ぐならばやることは決まる。俺が福沖を逃がす時間を作り出す。
行動を起こせば結果は自ずとついてくるものだ。
「黙って従ってられるほど優等生のつもりはない!」
傍にある直方体の椅子と明軍二人をイメージしたロープでつなぎ、攻撃する準備は整っていた。
俺は二つの椅子を少女と先生に向かって同時に発射し、福沖の手を掴んだ。
「福沖、逃げるぞ」
「えっ?」
もうおしまいだ。一般生徒にほんの一部でも情報が漏れた以上、明軍の存在が明らかになるのは時間の問題だ。福沖から皆に話が伝わりさえすれば……!
福沖の手を引き、前方の扉へ走るが……
「独瞬!?」
頭がくらくらする。
あれ、俺って何をしてたんだっけか……
「きゃあ!」
「うっ! 俺は――」
福沖の悲鳴で我に返った。だが、そのころには眼前に迫る二つの椅子が視界を妨げていた。
「いっ……!」
「倍返し。どうだ、独瞬走人」
やや感情の乗った、少女の得意げなセリフが聞こえてきた。
二つの椅子は俺のこめかみと顎に当たり、その勢いで吹っ飛ばされた俺は実験室の壁にぶつかり、床に倒れた。
「独瞬! 大丈夫!? どういうことなのか教えてよ!」
赤い液体が床に垂れている。俺が血を流すなんて珍しい。大人しく生きる道を選んでからはこんなことは滅多になかったのに……
顔を上げると、棒立ちで俺を遠目から見下ろす少女がいる。その無表情で冷めた眼差しは俺を侮蔑しているようで、額の傷よりももっと深いところに痛みを覚える。
「くそ……」
さっきの
……なんて分析してる余裕はないな。
「やめてよ! なんでこんなことをするの!?」
「あなたが知って良いことではありません、福沖さん」
「先生は全部知ってたんですね……猫面人のことも、記憶喪失事件のことも、それどころか、加害者側だったなんて!」
「
「殺す? 冗談じゃない。私は人を殺めるつもりはありません。仮にも大事な生徒なのですから」
「わかった。できないならわたしがやる。牟手英士。福沖藍乃を殺すための武器をわたしの右手に生成してもいい?」
なに勝手に話を進めてんだ? させるわけが……な、い……
――俺はなぜここに? 会話だけが聞こえてくる。体が、動かない……
「どうしたの? 牟手英士。これはあなたを試すいい機会でもある。リーダーの意思に逆らうの?」
「わかりました。許可します……」
「いや、嫌だ……先生、助けて」
女の子の震えた悲しい声がする。
何をそんなに怯えているのか? 助けてあげたい。
助けたいと思うのに、そのたびに関係のない別のことが思い浮かんで、思考が定まらない。だが自然と涙が溢れてくる。俺は悲しいのか?
俺の目的は……
「待って!」
「……つ、つめ、さん…………」
涙が弾け、ぎゅん! と意識が一点に集中する。その声は確かに……
「おや、抱愛さん」
「
クリーム色のカールした髪を乱し、実験室の後方の扉に手をかけて立っている。
体が動く。思考も問題ない。元の状態に戻った。
ただ一つ、さきほどと変わっているのは、“夢乞い”少女が右手に刃渡り二十センチはあるナイフを持っているというところだ。
「わたしが必要ならわたしだけを狙えばいいじゃない! あなたたちの目的はわたしなんでしょっ!?」
「抱愛咲栞。あなたがわたしたちについてきてくれるなら、独瞬走人も福沖藍乃も生きて返してあげる。明軍に力を貸してくれる?」
「答えちゃだめだ抱愛さん!」
「独瞬走人、死にたいの?」
「ぐあっ!」
胸が張り裂けるように痛い。
「友達を傷つける人の力になんてなりたくない。だからわたしも戦う」
「咲栞ちゃん……? 何がどうなってるの?」
「ごめんね、福ちゃん。わたしのせいで。怖かったよね。独瞬君も怪我までして……ごめんね」
違うんだ。きっと俺がもっとしっかりしていればこんなことには。
抱愛さんは俺と福沖の元へ駆け寄り、瞳を揺らめかせた。
「抱愛さん、俺がこいつらの足を止める。その間に福沖を連れて逃げてくれ。そして誰でもいいから助けを呼ぶんだ」
「ううん。ここはわたしが引き受けるから、独瞬君が福ちゃんと逃げて」
「はい?」
「もうすぐ昼休みが終わるから、下に行けばいくらでも人がいるし何とかなるでしょ?」
抱愛さん、何を考えてるんだ? 下に行けばって、そりゃ下にしか道はないけれど。いや待て。下か!
「なるほど。よし、あとは任せた」
俺は抱愛さんの肩に両手を置いた。
「何か企んでいますね?」
「牟手英士。抱愛咲栞と独瞬走人の動きを止めて」
「わかっています」
「やめて……!」
一人理解の追い付かない福沖には悪いことをしてしまった。もう明軍との関りはこれっきりにさせるべきだ。
「福沖、あとでちゃんと説明するからな」
ずん、と体が重くなり、立つことさえできなくなる。意識が遠のき、自分が誰だかわからなくなる。
でも、これでよかったはずだ。自信は全くないが、間違っているとも思えない――――――
「わたしが無策で出てくると思った?」
どこか懐かしいような、温かい声を最後に、俺の目に映る世界は真っ暗になった。
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