雲の中のキッカ

可成あるみ

第1話 キッカとナズナ

「――宣誓、私たち、帷子かたびら学童院の、計三十二人の子供たちは、未来の発展に貢献するために、空へと旅立ちます――」

 卒業式の予行練習で、体育館の中に響き渡る幼い声。

 大人たちにはこれが僕たちの言う「長ったらしいリハーサル」には聞こえないらしい。

 本番は二ヶ月後だというのに、ここにいる全員がもう何度もこの台詞を聞き続けている。

 退屈が生んだあくびを噛み殺すと、横にいる少女が僕の頬をつついた。


「また寝不足? キッカは勉強ばっかりしてるからなあ」


 そう言って何も考えていなさそうな顔で笑う。いや、事実頭は空に近いだろう。

 そんな失礼なことを思われているのも露知らず、屈託のない笑顔を見せる。


「お前は毎日よく寝れてそうだな」

「もちろん!」

「……皮肉も通じないときた」

「キッカも一緒に寝ようよ。寝た方がすっきり勉強できるかもよ」

「結構です。どうせ僕は不健康不良児ですよ」

「フケ……何?」


 小首をかしげ、肩まで伸びたその銀髪を揺らす彼女の名前はナズナ。今年十六歳になる、僕と同様に帷子学童院に通う一人だ。

 良く言えば無邪気な美少女、悪く言えば騙されやすいバカ。

 腐れ縁で幼い頃からずっと一緒に過ごしているが、ナズナの周りにはトラブルも笑顔も絶えない。


「そうだ、私サースリのすいみんのしつ?ランキングで一位取ったんだから。えらい?」

「ああ、あの得体の知れないアプリか」

「得体知れなくないもん!」

「ランキングって地域一位か?それだったら相当優秀なんじゃないか」

「やった」


 サースリというのは、サーカディアンリズム・スリーパーという国から提供されているアプリだ。

 いわゆる睡眠計測アプリの一種なのだが、どうやらお国の技術は一味違うらしい。

 概日がいじつリズムという言葉を聞いたことがあるだろうか。

 サーカディアンというのは正に概日リズムを表す言葉なのだが、

 端折ってかつ簡単に説明すると、一日ほどの周期を持つ体内時計のこと。

 一日「ほど」と言ったのには理由がある。

 実は人間の概日リズムは二十四時間ではない。

 個人差はあれど、平均は二十四時間と十五分。

 この十五分というのが曲者で、このたった少しに感じるズレが睡眠障害の元になったりするのだという。

 そしてこのズレを修正するのが日光というわけだ。

 そう、世界とはうまくできている。

 できているはずだった。


「早く本当の日の光を拝みたいもんだな」

「そうだねえ」


 体育館の外に繋がる出口から見えるのは曇り空の下、一面の暗がりの草原の、更にその奥にある町の明り。

 丘の上に造られたこの学童院の窓から見える唯一の光である。

 僕たちは生まれてこのかた太陽の色も知らずに生きてきた。

 大人たちは今の子供たちのことを無陽ムヨウ世代などと呼んでいるが、

 これからのことを考えると正直そんなのはどうだっていい。


 新暦536年、世界が暗雲に包まれて太陽が消えてから、あと二ヶ月で五十年が経つ。

 今まで高所得者のみが牛耳っていた雲上の世界。

 空の青を取って、アズールなんて洒落た名前で呼ぶ人間もいるらしい。

 国の政策で、身寄りのない子供や希望する家族や子供を徐々に上へと連れて行く。

 そこで今回選ばれたのが、俺たち帷子かたびら学童院というわけだ。

 まあ、実情は上の世界にも労働階級は必要だから、ということなのだろう。

 ただ、そんなつまらない枠に収まるつもりは毛頭ない。


「ねえ、本当に空の世界に行ったら学者さんになっちゃうの?」

「少なくともその為に勉強してきたわけだが」

「だって、学者さんになったらなかなかお家に帰れなくなっちゃうんでしょ?」

「そうかもな」

「やだ!」

「何が。別にナズナには関係ないだろ」

「大アリだよ。一緒に過ごす時間が今よりずーっと減っちゃう気がして」

「そんなこと言われても……あ?」


 待てよ、こいつ、上に行っても僕と暮らそうとしてないか。


「ナズナ、あのな」

「くーいきとしじょうほー? に、十六歳からは男の人と女の人の二人で住んでいいって、ちゃんと書いてるって先生言ってたよ」

「空域都市条法!? 一体誰から聞いて……待て、分かった。一旦落ち着こう。

 上に行ったらもっとかっこよくてお金持ちの人間がいっぱいいるぞ」

「ううん」

「それに夜遅くまで帰ってこない奴より、仕事終えて帰ってきて一緒に寝てくれるような男が――」

「キッカがいいの」

「う゛っ」


 こちらの気を知ってか知らずか、真っ直ぐこちらを見据える目。

 ナズナは人の感情にはどこか聡いところがあって、

 たまにこちらの考えていることを完全にわかっているような素振りをする。

 こうやって言われるともう言い返せない自分が情けない。


「わかった、わかったよ。じゃあ朝は起こしてくれ」

「もちろん!」

「返事が良いと逆に心配になるな」

「なにおう」

「ちょ、脇腹はやめろっ」

「ンッ、ンン゛ッ!!」


 ナズナとじゃれ合っていると、真後ろの席から強めの咳払いが聞こえた。


「ご、ごめん委員長」

「何が悲しくてお前らが乳繰り合うのを見ながら暇を潰さねばいけないんだ」

「乳繰り合うってお前……っていうか、委員長もこのリハーサルが暇なのは認めるんだな」

「本番に誰が来るのか知らないが、私もこの座らされているだけの時間は惜しく感じるよ」


 周りを見ると、寝ている奴もいれば、こそこそと端末をいじっている不届き者もいる。

 学童院の職員はというと、それを注意するわけでも特段なくただひたすらに段取りを確認していた。


「退屈だな」


 委員長が頷いたのを横目で見てから時計を確認する。

 まだ五分ほどしか経っていない時計を恨めしく睨んで、僕もしばしの間仮眠を取ることにした。

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