第4話 雑魚キャラでも育てれば戦える
乱雑に扉が開けられ、にぎやかだったクラスはシンと静まり返る。まるで教室の温度が一回り下がったかのような空気の中、しかし遠慮することなく現れたのは、辰巳とそれに付き従う生徒たちだった。その中には茨木の姿もある。
「……げ、辰巳君」
「誰?」
柊の呟きに、明星がそう問いかける。
「一組の子で、一年生のボス?みたいな。去年の評定戦で優勝してて、強いんだけど――」
「――けど?なんだよ言ってみろ、柊」
柊たちが座っていた場所から教室の入り口までそれほど近くなかったにもかかわらず、辰巳はそう言うとこちらに近づいてきた。茨木達もそれに続くように。
問われた柊は「げ」と言った顔をすると、
「え、えーっと――……女性に対する口の利き方は落第点かなって……」
「ほー、相変わらず口の減らねぇ奴だな。いい度胸じゃねえか柊」
「ひぇ」
と柊は怯えて見せたものの辰巳にはそれ以上どうこうするつもりもないようで、フンと鼻を鳴らすと柊から視線を外した。
それよりも、元々の用事は――明星。
座っている明星を見下すように眼をつける辰巳に、しかし明星は立ち上がりもせずにきょとんとした顔で首を傾げた。
「早くも中ボスのお出ましかな?」
「あぁ?……フン、聞いてた通りふざけた野郎らしいな。どーも初めまして、俺は辰巳だ」
「初めまして。明星っていいます。よろしく」
明星が挨拶を返すと、辰巳は薄く笑いながら「よろしく」と言い返した。
「……で、何の用なの?」
「おぉ。なんでも今朝、茨木が世話になったみたいだからよ。その挨拶でもしようかと思ってな」
「茨木?今朝って言うと――……ああ、君。今朝のヤンチャ君か」
「あ?ヤンチャ君とか――舐めてんのか!?てめぇ!」
「うっさ。君、セルフで音量調節できないの?」
ほとんど覆いかぶさるように身を乗り出して怒鳴る茨木に、明星は耳を軽く手でふさぎながら迷惑そうな顔をする。辰巳はそれを止めるわけでもなく、ただ見ていた。
なるほど、茨木が怒っているのは素だろうが――どちらかと言えばこれは、辰巳の意向だな。辰巳が茨木の怒りを利用して、明星にいちゃもんをつけに来ている。
「てめぇが今朝邪魔してくれたせいでよ、海和に最後まで教育できなかったじゃねぇか。どうしてくれるんだ!?あ?」
「教育?」
「二度と逆らえないようにしてやんだよ。落ちこぼれのくせに生意気だから――はッ、そういやてめぇもよ、今朝はハッタリかましてくれたみてぇだが、結局のところ落ちこぼれかよ。てめぇも教育の必要がありそうだな。あ?」
凄む茨木に――明星は初めて「は?」と不思議そうな顔をした。
落ちこぼれと自らをそう評されて、初めて彼は疑問の顔を浮かべたのだ。
「落ちこぼれ?ふーん、雑魚らしくいいセリフを吐くな」
「はぁ?強がってんじゃねえよ。てめぇの強さなんざ五組に振り分けられた時点でお察しだっての」
「組分けがどう実力に関係する?能力の性質別で分けられるって聞いたんだけど?」
「あ?……なんだ、まだ誰にも聞いてないのか?は、ちょうどいい。オイ海和、教えてやれよ。このクラスが他に対してどんなに劣ってるのかってな」
「……」
茨木が立ち上がった海和に、いやらしい笑い声とともに海和に告げる。
自分が何故劣っているのかを――明星に説明しろと。そんな屈辱極まりない要求を。
海和は口をぎゅっと噤む。そんなこと言えるわけもない――そんな気持ちで胸がいっぱいだったが、だけどそれその自体の説明はただの誹謗中傷ではなく、純然とした客観的事実でないことにも海和は気づいていた。
……黙っていたい。目を背けていたい。だけれど、事実にすら目を背けて自身の無能さを否定することは、それ以上に恥だ。
だから海和は俯いて、口を開いた。
「……組み分けが能力の性質でなされるのは、そう。だけど五組は例外で、……五組は保留された人たちの集まりなんだ」
「保留?」
「そう。まだ能力が未成熟で、どう使えるのか、どんな性能が高いのかが分からない人たちの集まり。だから二年に上がるときには五組自体なくなるし、……他のクラスと比較して、成績が劣る人が多い」
「おいおい、言葉をはぐらかすなよ。成績が劣る奴が多い、じゃなくてそろいもそろって雑魚ばかり、だろ?一組(辰巳達)みてぇな火力もねぇ、二組(おれら)みてぇなピーキーな性能もねぇ。ゴミみてぇな能力しか持たねぇ雑魚どもがよ」
茨木がクラス中を見渡して、全員を敵に回すような発言を浴びせかけたが、しかしその言葉に反論する声はなかった。
単純に茨木や辰巳が怖かったのもあるだろう。しかし何よりも、茨木の言っていたことが真実に限りなく近かったからこそ、誰もが口を紡ぐしかなかったのだ。
そして海和もその内の一人だった。
能力の格差は、この学校において明確な数値として現れる。能力者全員に与えられる戦力指標――それを見れば、辰巳や茨木と海和たちの間にどれほどの差があるかは一目瞭然だ。
故に――茨木の言い方は問題があるにしても――その内容に、反論などできるはずもなかった。
「雑魚能力持ちが集まる五組、ってわけだ。わかったか?転校生」
「明星だ。ま、君の個人的見解は置いておいて――事実は、なるほど受け入れよう。その基準であれば俺がこのクラスに配属されたのも納得だな」
「はッ、そうかよ。自覚があって結構なこった。で――何だよ、てめぇの能力。言ってみろ」
「普通、むやみに他人に自分の能力を明かすもんでもないけど……。ま、公式プロフィール程度の情報なら」
明星は肩をすくめると、
「俺は能力が使えない。まだ実用の段階にない、って意味だけど」
「――はぁ?能力が使えねぇだぁ?」
茨木は明星の言葉をおうむ返しすると、腹を抱えて「ぷっ」と噴き出した。
「ぎゃははは!!マジかよてめぇ!落ちこぼれ以前に――基礎能力しかねぇんじゃ話に何んねぇだろうが!はー、雑魚ってレベルじゃねぇぞそれ!」
「ふーん、君はそう思う訳。じゃ、それが本当か確かめて――」
「――おっと」
明星が椅子を引いて立ち上がろうとしたその時、それまで言い合いを静観していた辰巳が割って入った。
「茨木が言い過ぎたみたいだな。悪いな、こいつはバカだから」
続いて発されたのは、茨木の失礼を謝罪する言葉――しかしそれが上辺だけの言葉であることは誰の目からも明らかだった。
辰巳が明星に「これでいいだろ?」と言う風に視線を送る。辰巳の言葉に毒気を抜かれたのか、明星は椅子から立ち上がりはしたものの、呆れたように口を開いた。
「……飼い犬の首輪はちゃんとつけて欲しいもんだね。危うく君の部下が一人減るところだった」
「は、大層なご自信だな。――が、それが本気かハッタリなのか、俺も疑ってんだ」
飼い犬とはよく言ったもので、辰巳が話し始めてからの茨木は飼いならされているかのようにおとなしかった――と言うには少し狂暴か、不満そうな態度を隠そうとはしていなかったが、それでも辰巳達の会話に口を挟もうとはしなかった。
「来な。茨木と試合させて、お前の強さを試してやる。ああ――お前らもついてきたいなら勝手にしな」
辰巳はそう言うと仲間たちを連れて教室を出ていき、明星が、そして少し迷って海和たちもその後についた。
■
特殊訓練棟に設置されたVR機で再現された、能力戦闘の訓練用に開放されている仮想世界。
痛みも感覚も偽物の世界で、どこかポリゴンチックな闘技場の上に茨木と明星が向かい合っていた。
「ルールをはっきりとさせておこうか。転校生ぇ」
透明な壁に阻まれたその向こうに、茨木は話しかける。
試合が始まるまでは決して攻撃を通さない破壊不能オブジェクトの壁ではあるが、声や光は相手に届く。
「ああ、よろしく頼むよ。ルールのはっきりしないゲームほどつまらないものはないからね」
「はっ、ゲーム気分かよ」
「違うの?昨日やったゲームのボスよりは手ごわいこといいけど」
「ふざけた野郎だ。まぁいい――……試合はこの場内だけだ。っつても観客席との間には壁があるし、上も下も一定以上はいけないようになってっから――場外は気にする必要はない。勝敗は、相手を戦闘不能にした方の勝ち。この空間には痛みはねぇが、傷の状態から戦闘不能条件が判断される。あぁ、それと――」
茨木はにやりと悪意のこもった笑顔を明星に向けて、
「降参も認めてやる。小便漏らしながら『ひぃー、降参しますー』って言ったらやめてやってもいいぜ」
「それはいい考えだね。なに、俺も戦意を喪失して惨めにうずくまる君にとどめを刺すのは気が引けるんでね。小便は勘弁してほしいが、両手を上げれば降参を認めてあげようか?」
「チッ、舐めんじゃねえよ。てめぇ、ぶっ殺されてぇのか?」
「できるもんなら、もちろん」
飄々とそうぬかす明星に、茨木は内心で苛立ちを感じていた。
この野郎、能力すらまともに使えねぇクズのくせに生意気が過ぎる――と。
明星を教室で煽り、戦うことになったのは辰巳の指示だ。曰く、転校生の力を試したいからと。
茨木は落ちこぼれクラスに転校してくる奴などたかが知れていると思ったが、おとなしく従った。辰巳は茨木よりも圧倒的に強い能力者であり、その考えが例え少しずれていたとしても、逆らうべきではないことを知っていたからである。
だから――茨木は海和のような人間が嫌いだった。弱いくせに身の程知らずで、いちいち突っかかってくるバカ。
今まさに茨木を煽り返した明星も、その同類だ。
(……潰すのは確定。だけどそれだけじゃ、このいら立ちを収めるのには足りねぇよなぁ!!)
――降参なんて関係ない。手足を動けなくなるほどボロボロにしてから、そのいけ好かない顔面に拳を食らわせてやる、と。
茨木は明星を睨み、そう決めた。
■
「なあ修樹。この試合――どう見る?」
コロッセオを模した闘技場。そのバトルフィールドから見えない壁で守られた観客席に、海和たちは座っていた。
下に見えるのは茨木と明星の姿。何か話し合っているのか――しかし観客席には、会話の声は聞こえないようになっている。
「……普通だったらこう言うだろうね。リーチが違いすぎる。ただのサバイバルナイフじゃ茨木に近づくことすらできない、ってね」
明星は武器として、サバイバルナイフを手にしていた。能力に攻撃性のない生徒は、近接戦闘の訓練において武器を使用することが多い。明星もそれに倣い、用意された中で最も攻撃性の低い武器を選択したのだ。
刃渡りの短いサバイバルナイフでは、最大で数メートルほどのリーチのある茨木の攻撃に対して非常に不利である。そのため、普通に考えればこの勝負は茨木に分があると言えるだろう。
しかし明星が何者であるかに気づいている海和には、単純にそうと言えるかどうかわからなかった。
「普通なら、ってことは、明星はそうは思わないんだな?」
「うーん、不利なのは……そうかも。だけど、明星が簡単に負けるとは思えない」
「ま、実戦経験もあるらしいしな。戦場で能力者と出くわしても生き延びれるだけの何かは持っているんだろうけど――……戦場と訓練は違うからな。俺は茨木が勝つに一票かな」
折本の言ったそれは、明星が『世界最強』であると考えなかった時の話。海和が言ったことはそれとは別の意味を含んでいたが、「……そうだね」と適当に返事を返した。
今、海和が気になっていることはただ一つ。
『世界最強の超能力者』は超能力を使わなくても強いのか?
彼以外の全てを対としても、天秤がどちらに傾くかは分からない。そう称される『世界最強』が、強いとは言え一介の学生に過ぎない茨木に負けるところは想像ができなかった。
しかしもう一方で、自身が経験した覆すことのできない絶対的な差――『能力』というそれを持つ者と持たない者の戦いで後者が勝利する、と言うのもまた、海和には想像できないことでもあった。
「――よし。じゃあ開始だ」
海和たちの下の席で何やらパネルで操作をしていた辰巳が、闘技場にも聞こえる声でそうアナウンスする。
海和の中にある、両立されない二つの確信。そのどちらが正しいか――それを確かめる戦いが今始まろうとしていた。
■
辰巳が告げたアナウンスの後、闘技場にブザーが鳴り響いて二人を隔てていた透明な壁が消え去った。
試合の開始。しかしそれが確認できた後も、茨木はすぐには動かなかった。
「よぉ、転校生。てめぇに俺の能力を教えてやる」
「……なんで?あ、自分の能力を人にべらべらとしゃべるのは不利になるって知らない?」
「舐めんじゃねぇよ。能力が使えないてめぇに、ちったぁハンデをあげるっつー話だ。終わった後で変な言い訳されても困るからな」
そう言うと茨木は、右手の掌を上に向け自らの能力を発動させた。
対人戦闘に特化したその能力を。
掲げた右手の五本の指がみるみる内に伸び、その先端が鋭く変化していく。長さは通常の指の数倍――その硬度を示すように、金属光沢を思わせるような黒色に変色していた。
「――へえ」
「これが俺の能力。『体の一部を棘にする能力』だ」
自らの体に対して働く『超人化』能力の内の変形能力。体の構造、形を変化させる能力はそのように呼ばれていて、これは基礎能力とは異なる固有能力である。
「ずいぶんと殺傷能力の高い能力だな。なるほど君が強さに自信を持つのも分かる気がするなあ。ただでさえ超人は対人戦闘が得意なのに、その凶悪な能力までついていたんじゃあ喧嘩では負けなしだったろう」
「は、分かったような口で解説してんじゃねぇよ」
「ま、簡単な能力は応用が難しいけどね。うまく扱えるか不安」
「あぁ?そうかよ、そう思うならよ――」
自らの能力を誇示してもなお、平静を失わないどころかむしろ感心したようにぺらぺらと口を開く明星に、茨木は我慢がならなかった。
茨木は足をまげてしゃがみ込むような体勢をとると、左手を地面に向けて能力を発動する。そして、地面に刺さった左手の指を支点にするようにして、まるで四足歩行の獣が地をけるように飛び上がった。
「――てめぇ自身の体で確かめてみな!!!」
鍛えられた超人の脚力と、左手を支点としたばねの力。大きく飛び上がった茨木は針のように尖らせた右手を振りかぶり――明星めがけて振り下ろす。
轟音がし、コンクリート程度の強度に設定された闘技場の床が削り取られる。人に当たったのであれば確実に殺傷し得るだけの威力――しかし人を裂いた手ごたえはなかった。
「ふーん、思ったよりちゃんとしててビビった。なるほど、棒高跳びみたいに使う訳ね」
「――っせぇ!逃げてんじゃ――ねぇ!!!」
続いて左手――それも避けられ次に右手――と茨木は鋭い爪でもってひっかくように名声を攻撃する。
ひっかく、と一言で言っても、それはその言葉で想像できる威力をはるかに超えている。指の硬度は鉄にも負けないほで、超人の力で繰り出される攻撃はコンクリートを軽々と削れるほど。
故に当てれば――特に先端部に引っかかれば――人体など容易に切断し、致命傷を与えることが可能な攻撃であった。
しかし――
(――ッ!当たらねぇ!!!)
二、三攻撃を繰り出して、しかしそれでも茨木の攻撃は明星の体をかすめることすらしなかった。距離を取られたわけでもない。むしろ近距離――明星は茨木が最も得意とする間合いに留まり続けていたが、それでも明星はわずかの所で茨木の棘を避けていた。
「――チッ、しょうがねぇな……」
単調な攻撃では明星に攻撃を当てられない――そう判断した茨木は、次なる手を打つことにする。
茨木の能力は体の一部を棘にすることができる。その棘の長さの上限は、優に数メートル。長くすれば操ることこそ難しくなるが、その長さの内であれば茨木は自由に棘を伸ばしたり引っ込めたりできる。
今の棘の長さは、茨木が振り回すことのできるギリギリの一メートル弱。明星はこれが茨木のできる最高長さだと思っているだろう。故に初撃はよけようがなく――当たれば少なくとも、明星のひ弱な体を貫くには十分だ。
そう考え、茨木は靴の上からつま先を上に向けた。狙うは明星から見えない足の指の棘化による攻撃。
そして――発射。
「――……おっと、下強か?」
「――はぁ!?」
それは、完全に不意を突いたはずの攻撃だった。茨木と明星の距離は二メートルも離れていないほど。この距離であれば、棘が伸びてから見て避ける――そんなことは不可能なはずだった。
つまり、予測されていなければ避けることのできないはずの攻撃――それを、明星は見事に避けて見せたのだ。
「いい攻撃だね。でも使った後、簡単に動けないでしょ。だから――こう」
「――は……――グハッ!」
しかし、そんな茨木の考えも束の間――左手の指を伸ばしてできた空間的な隙に明星がするりと入って来て、茨木の思考が吹き飛ぶ。
足の指を伸ばして踏ん張りがきかなくなっている茨木の懐に、明星が体勢を低くしながら飛び込んでくる。
――やられる、と。
そう茨木が思ってしまってもおかしくないほどの状況だった。
事実、明星がここで数歩前に歩き、茨木の胸にナイフを突き立てる――あるいは首を掻っ切る――あるいはどこか重要な器官を損傷させるようにナイフを振るっていれば、ここで茨木の負けは決まっていただろう。
しかし、
「――は……――グハッ!!」
まず、ポスッと軽く、ナイフを持った明星の右手の甲が茨木の左腕を押した。そして続いて、今度は腹部に圧がかかり――茨木は吹き飛ばされる。
――蹴られた。
そう判断できた時には茨木と明星の距離は、それが茨木にとって危険でないと判断できるほどに離れていた。
(……蹴られた?切られた、じゃなく蹴られた、だと?)
つまりそれは。
切りかかれるチャンスがあったのに、それよりも殺傷能力の劣る蹴りを選んだということは。
――手加減をされた?
「――めぇよ……――だから舐めてんじゃねぇって言ってんだろ!!!!どういうつもりだよ!!!!」
「うるさいなぁ。吠えんなよ」
茨木を負かそうと思えばそれができた状況で、ただ蹴られただけ。自身を舐めているとしか思えないその行為に、茨木ははらわたが煮えくり返るような怒りを感じていた。
腹部にダメージを受けたような違和感はあったが、それは茨木にはどうでもよかった。それ以前に、負けそうになったという事実ですら、今の茨木には些細に思える事実だった。
舐められた。その事実こそが茨木が最も怒りを感じた部分だった。だから今まさに、明星が無防備な自身に追撃を仕掛けることなくたたずんでいるということですら、それだけで茨木に怒りを覚えさせるのに十分だった。
「――死ね!!」
言葉を吐いて、茨木は右手の指を明星に向ける。蹴り飛ばされて距離は開いたが、しかし数メートル以内であれば茨木の間合いの中だ。
横一線。
人一人が通れる隙間なく、とはいえ左右に逃げられるほどの狭い範囲でなく。飛ぶにもしゃがむにも絶妙な腰と腹のあたりをめがけて、茨木の棘が明星を襲う。しかし明星は慌てた様子もなく、
「――ぐっ」
「おぉ、本当に痛みがないんだな」
先に伸びて来た中指――それを掌で横に押して隙間を作ると、左右に伸びて来た茨木の指をぐっとつかんだ。中指を押した明星の掌は、皮が破けてダメージを受けている――しかしそれだけのことだった。
「この攻撃は奇襲には良かったな。だけどこの距離で使うにしては単調。それほど速くない上に直線にしか伸びないから、冷静な相手には通用しないだろうね」
明星がぱっと両手を離すと、茨木は棘を引っ込める。地面に落としたナイフを「よいしょ」と拾う明星――その姿に茨木は、しかし追撃を加えることができなかった。
「少し話をしようか。茨木君」
「あ?」
「君の誤解を解いておこうかと思ってね。ほら――舐めてんじゃねぇとか言ってただろ?」
明星が言及したのは先ほどの茨木の言葉。
ピキッ、と、茨木のこめかみに青筋が走る。
「あ?誤解?誤解も何も――その通りだろうがよ!あんな真似しやがって!!」
「だから、それが誤解だと言っているんだ。少なくとも、俺は全力で君と戦ってるつもりだった」
「だったらなんで、あの状況で俺をやらなかった!」
「やなかったんじゃなくて――やれなかった。と言うより、まだその段階になかったと言った方がいいかな?」
明星の言葉に――茨木は眉間にしわを寄せる。
やれなかった?いや、あの時確実に、明星の腕が振るわれていれば自身は負けていたはずだ。そしてそれを妨害することは不可能だったはず――
「俺はあの時、確かめていた。あそこから反撃が来ないかってな」
「――は?」
「例えば腕の横から、ナイフを持った俺の手を貫くように棘が出ていたら。例えばナイフをふるえたとしても、同時に体から棘を出されていていたら。君がもっと優れた超人だったら、あの場面から俺を止められる――あるいは相打ちにできる攻撃を繰り出せていただろう」
そう――あの場面が決定的だと考えていたのは、茨木だけだったのだ。茨木が明星の腕を止める手段がない――そう知っていたのは、茨木自身だけだったからだ。
「能力戦において、よく相手が『できること』を考えがちだが――どちらかと言えば重要なのは、『できないこと』の方。実際に確かめられたこと以外は常に相手がし得ると考えて動く方がいい。能力者ってのはどいつもこいつも奥の手を隠すからな」
「――ッ!!」
最初――茨木が初めて棘を伸ばす攻撃をした時も、明星は避けて見せた。予期していなければ避けられない攻撃を避けた――しかし何てことはない。
予期していたのだ。茨木がまだ見せてもいない性能を、できてもおかしくないと考えて備えていたのだ。目の前で飄々と解説するこの男は。
茨木が高く見積もられていた?
否、これは単純に、明星が「そうあって当たり前」と考えていた水準に茨木が達していなかっただけのこと。故に、お互いの力量があまりにも離れすぎていたために――アンバランスな戦いになってしまったのだ。
「ま、でも大分はっきりした。これは予想だけれども、君は腕の横からとか、腹からとか、そう言ったところを棘にできるわけではない。元から尖っている部位しか棘にできないのか?指だけってことはないだろうが――ともかく、君は懐に入られたらそれでおしまい」
「な、あ――」
「俺はそこを突けばいい。ま、だからさっきと同じようにやれば、今度は君の首をとれる」
「――あぁあああ!!クソ!だから何だってんだ!!!」
明星の言葉は、茨木ですら明確に気づけていなかった自身の問題点を的確に指摘していた。仮に先輩や教師から告げられていたのだとしたら、なるほどそういうものかと納得してしまうほどの言葉。
しかしそれが、自身がさんざん侮って、軽く倒せるだろうと思っていた相手からの言葉であるということに、茨木の胸に言葉にできない感情が――怒りと焦りと、恐怖とが混ざったような感情が――溢れだしていた。
もはや、少し前に自身が負ける寸前まで追い込まれたこと、その後に放った渾身の攻撃を軽くあしらわれたこと――そこから導き出される当然の結論にすら気づくことができないほどに。気づこうとできないほどに。
こいつは能力も使えない雑魚のはずだ。そうでなくてはならないはずだ。
「てめぇがいくらそう思おうが、近づけなけりゃ意味ねぇだろ!!!もう油断しねぇ!俺が本気になりさえすれば、能力の使えないてめぇなんか――」
ジャキンッ!!!と茨木は伸ばした自らの爪を合わせると、見せびらかすように両手を広げた。自らの信を置くその凶悪な能力を明星に誇示するかのように。精一杯の虚勢を張るかのように。
「ほー、油断してたのか。それはまずいなぁ。じゃあ次は――本気でいかないと」
「うるせえ!!雑魚のくせに、上からもの言ってんじゃねぇよ!!!」
「雑魚、か。さっきまでの攻防を経ての感想がそれなら、君は相当アホらしい」
「――あぁぁ!!!黙れ!!」
茨木は、気が付けば明星に向かって駆けていた。近づくことが不利になる、と言う単純なことにすら目を瞑って。
右手の大ぶりの攻撃――当然かわされる。
左手の指すような攻撃――掌を合わされ、反らされる。
「ああぁああ!!クソ!!なんでだよ!能力が使えねぇてめぇより、俺の方が強くなきゃいけないはずだ!!それが摂理ってもんだろ!?なのになんで――」
「摂理、ね」
「――……ッ!!!!!」
その動きは、目に負えないほど速かった――そういう訳ではなかった。
むしろ非能力者ですら実現可能であると思えるほどに遅く、だからこそ茨木は明星の一挙手一投足、頭から足の先まで、その全ての動きを目でとらえることができた。
「――それを捻じ曲げる力を持ったのが、
そんな声とともに首筋に冷たい感覚が走り、茨木の敗北が決まるブザーの音が鳴り響いた。
■
茨木vs明星――その戦いの決着がついた後も、観客席はしばらく静寂に包まれていた。海和や柊らはもちろん、辰巳ですらも目を見開いて口をつぐんでいた。
理由はもちろん、眼下で行われた戦いに勝利した明星の圧倒的なまでの強さ。学年の中でも特に対人性能の高い茨木を相手に、終始それを手玉に取って見せた異質さすら感じさせる強さ故だ。
「――……
ぽつりと。
海和の口から言葉が漏れた。
事前に言っていた通り、明星は能力を使わなかった。それどころか最後の一撃まではナイフすらも使用せず、あるいは超人的な技術すら使用せず茨木を倒して見せた。それこそ彼が基礎能力すら使えなくとも、結末は変わらなかったと思えるほどに。
(――これが、世界最強……)
あの茨木が。凡百の能力者など比較にもならない、その強力な能力が。明星にはまるで通じなかった。
それはまさに能力が全て――そんな考えを切って捨てるような出来事で、海和は心の中に何か熱いものが――興奮とか、希望とか、そんな言葉で表されるような何かが――生まれるのを感じた。
「――よお、思った以上だったぜ転校生」
海和たちの体が試合の終わった闘技場にワープし、辰巳が明星に話しかける。
「それはよかった。で、次は君が戦いたいって言うのか?」
「ああ、合格だ。お前に俺と戦う権利をやるよ」
「……ずいぶんと余裕だね。今の戦い見てなかったのか?正直あのレベルだったら戦うまでもないと思うんだけど」
「は、言ってくれるじゃねぇか。だが――安心しろよ。俺は茨木のように甘くはない」
大きな口を叩く辰巳だったが――あながちその言葉も、間違っているようには聞こえなかった。
事実として、辰巳は前回の評定戦において茨木をあっさりと倒している。故に明星が茨木に苦も無く勝利したからと言って、それが辰巳を超えたことにはならない。
「――クソクソクソ!!待てよ辰巳。俺はまだ負けてねぇ!」
とそこで――怒り心頭、と言った具合の茨木が二人の間に割って入った。その様子に辰巳は眉を顰める。
「何言ってんだ?お前、負けただろうが」
「違う――そうだ!こいつ能力を使ってやがったんだ!!」
「ほう?それは興味深いな。で、こいつはどんな能力を使ったんだ?」
「それは――俺の弱点を見破る能力とか、動きを鈍らせる能力とか――そんなだろ!ともかくこの俺が能力も使えねぇような奴に負けるわけがない!そうだろ!?」
「は、残念だがお前の動きは悪くなかったよ。だが――こいつがそれ以上だったんだ。お前の負けだよ、茨木」
「――くッ……」
辰巳から直接告げられて、茨木は鋭い目で――それで人を射殺すことを狙っているのではないかと思えるほどの目つきで――明星を睨んだ後、不満そうに唾を闘技場に吐き掛けた。
「悪かったな、転校生。茨木がとやかく言ったが、勝負はお前の勝ちだ。安心しな」
「どうでもいいけど――で、君はいつ戦いたいんだい?今からでも俺は構わないけど」
「ふん、せっかちだな。だがお前との戦いを、こんなちゃちな模擬戦で終わらせる気はねぇよ」
辰巳は笑ってそう言うと――
「――評定戦だ」
「評定戦?」
「ああ。半年に一回、生徒の戦闘力を測定する評定戦――それが二週間後にある。そこで勝負しようぜ、転校生」
半年に一度の大舞台――そこが二人の勝負の舞台だと、辰巳はそう言う。
「ま、とはいえ次の評定戦は半年前のと違いチーム戦だ。一対一、とはいかねぇだろうな。どうするか――」
少し顎に手を当てて、辰巳は考えると
「――いいぜ、お前に好きにチームを組ましてやるよ。俺の派閥から誰を選んでも構わねぇ、好きなメンバーを選んで――俺に挑んできな」
「好きなメンバー?」
「ああ、どんな能力をピックアップしたって構わねぇ。なに――対等に戦うための準備みたいなもんさ。仲間がクズだと、お前もまともに戦えねぇだろ?」
「なるほど、じゃあ――」
海和は辰巳と明星の会話を黙って聞いていた。
自分とはステージがまるで違う二人。同じ学年、クラスに所属してようとも、今まさにそれほど距離が離れていなくとも、堂々と相対するその二人が――まるで自身たちとは違う場所に居るかのように感じていたからである。
だけど――
明星の視線がこちらを向いて、二人の目が合う。
「じゃあ――彼らを仲間にしようかな。海和君と、柊君と、折本君」
「――ぇ」
呼ばれた瞬間――ドクンと心臓が跳ねた。
「はぁ?こいつらを?そんな雑魚ども連れて、俺に勝てると思ってんのか?」
「もちろん。――あ、でも彼らが了承してくれたら、だけど。どうかな、三人とも」
「それは――……」
聞かれて海和は言葉に詰まる。
世界最強と共に戦う仲間に選ばれる。それは彼が力を認めてくれたという事にも聞こえた。自分たちと戦っても辰巳に勝てる、彼はそう言い切ったのだ。
だから――自分でもできるかも、そんな考えが頭の中に浮かぶ。
しかし一方で――それはつまり、少なくとも彼の邪魔をしない水準を求められているという事だ。しかし明らかに、海和たちはその水準に海和たちが達していない。だって少なくとも海和は、茨木にボロボロにされるぐらいには弱いのだから。
だから――自分にできるわけがない。そんな考えも同時に浮かぶ。
――どうすればいい?
相反する二つの考えに押しつぶされて海和が答えを出せずにいると、明星がふう、と息を吐いた。
「海和君。君は――君らは、どうやらずいぶんと小さなことが気になるみたいだね」
「小さいこと……?」
「能力さ。さっきから能力が強いだとか弱いだとか――はーあ、聞いてあきれる」
世界最強から告げられるその言葉に――海和は目を見開いた。
「ふん、それが一体どれほどのものだと言うんだ。少なくとも君らが今それを考える段階にないことは証明されたわけだ」
確かにその通りだ。
茨木は能力者――それも強い能力を持った超人で、明星は能力を使えなかった。その字面だけ見れば明星が勝つことなど考えられないが、しかし実際の所勝負は明星の圧勝だった。
「弱い能力だからと勝てないと思い込んでしまったらそこで終わり。戦闘における能力の優劣はあるかもしれないけど、極限まで試してみなければ分からない。だから――どうかな、海和君」
「……僕でもできるかな」
「どんな雑魚キャラでも最大レベルまで上げれば戦えるもんだろ?それと同じだよ。出来るさ」
差し出された手は、海和が望んでいた希望の答えを与えてくれているようだった。
決して変えることのできない固有能力が何であれ――海和の夢は叶えられると。弱い能力を持ってしまったとしても、世界を救う英雄になり得ると。
「じゃあ――頑張ってみようかな」
言葉とは裏腹に力強く、海和は明星の手を取った。
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