第145話「襲撃②」
茂みの中に身をひそめながら、私とアリエッタは聞き耳を立ててその様子を観察することにした。
「ミリアム様、無事学園内に侵入できましたのですね」
「ええ、マリーベル。あなたのおかげよ、ありがとう」
マリーベルさんが仮面のエルフに跪くように頭を下げると、ミリアムと呼ばれた魔族は彼女の頭を優しく撫でる。
やはりアリエッタの予想通り、マリーベルさんはあの魔族と繋がっていたようだ。
「ミリアム殿、貴女が人間と仲良くしようが私にはどうでもいいのだが、早く目的を果たしてくれないか? 私も色々と忙しいのだ」
「バロガン、あなたはグリムリーヴァから、できる限り八鬼衆のサポートをするようにと命令を受けているのでしょう?」
ミリアムの言葉に、バロガンと呼ばれた山羊頭の魔族は面倒くさそうに溜め息を吐いた。
「サポートといっても私は戦闘向きではないのだよ。前線にまで駆り出されるのは勘弁願いたい。それに、貴方にはグリムリーヴァ様から配下のモンスターが与えられているはずだろう」
「こんな大陸の中央にモンスターの大軍を進軍させたら、連合軍が黙ってないでしょう? それに目的は学園の制圧じゃなくて賢者の石の奪取なの。大軍などむしろ逆効果でしかないわ。いいからあなたは自分の役割を果たせばいいのよ」
「はぁ……。私は他の八鬼衆の様子も見なければならないので、役目を果たしたらすぐに帰らせてもらいますぞ」
「ええ、それで構わないわ。ネムリーヌ、あなたにはもうちょっと付き合ってもらうわよ」
ミリアムがネムリーヌと呼ばれた、馬耳を生やしたシスター服の女性に視線を向けると、彼女はへにゃっとした笑顔を作り、ゆっくりと頷いた。
「ネムリーヌはぁ、人間どもを沢山眠らせられたらぁ、それで十分だからぁ~、ミリアムちゃんに最後まで付き合うのよ~」
「殺すのは駄目よ? 目的を達成したら、ちゃんと全員を元に戻してから帰るの。いい?」
「殺すだなんてぇ~、ネムリーヌはぁ、善良な魔族だからぁ~、そんな野蛮なことしないよぉ~?」
ネムリーヌは頬に手を当てて、くりっとした目を可愛らしく細めて答える。
魔族はヤバい奴ばかりだと聞いていたけど、なんだかこいつらは比較的まともそうに見える。これなら、話し合いとかでなんとかなるんじゃ――。
しかし、そんな私の甘い考えはマリーベルさんの一言によって打ち砕かれた。
「何が善良な魔族ですの!? あなたの悪夢の中で死亡した人は、全員廃人になってしまうと聞きましたわ!」
「くひひひ、人間が廃人になる瞬間のあの絶叫がぁ、ネムリーヌはたまらなく好きなのぉ~。だからぁ、殺すなんてそんな勿体ないこと、絶対しないのよぉ?」
前言撤回……。やっぱりヤバい奴らだった。
外見は人間に似てるけど、中身はまるで違う。話に聞いていた通り、人間のことを玩具としか考えていない、悪魔のような存在のようだ。
恍惚とした表情で、涎を垂らしながら笑っているネムリーヌを見て、マリーベルさんはゾッとしたように顔を強張らせた。
「ミリアム様! 何故このような者を配下になされたのですか! これでは学園の生徒達が危険ですわ!」
「落ち着いてマリーベル。彼女が一番都合がいいのよ。他の魔族では、生徒達を殺してしまう危険がある。悪夢は進行するまでかなり時間がかかるから、その前に賢者の石を手に入れて、この学園から脱出すれば、犠牲者はゼロに抑えられるわ」
「で、ですが……万が一生徒達に被害が出たら──」
「お前、さっきからうるさいのよ? これ以上ネムリーヌの邪魔をするなら……殺すのよ?」
眠そうな目をしていたネムリーヌの目つきが、まるで別人のように鋭いものに変わった。
彼女の全身から禍々しい魔力が迸り、周囲の空気が一気に重くなる。
離れた場所から様子を窺っていた私達ですら、思わず鳥肌が立ったほどだ。ネムリーヌの殺気をまともに浴びたマリーベルさんはその比ではないだろう。額からは滝のように汗が流れ落ちている。
「あれが魔族……。ヤバすぎるでしょ」
「あれでも、かなりまともな部類だと思います。他の魔族なら、問答無用でマリーベルさんの首を刎ねていたことでしょう。まだ会話が通じるだけ、彼女は理性的です」
えぇ……。あれでまだマシなほうなんだ。
なるほど、他の魔族があんなのよりヤバい奴だったら、確かに人間と共存なんてできるわけがないよね……。
私達がこそこそと話をしつつ様子を窺っていると、上空から光輝く人影がゆっくりと舞い降りてきた。
その人物は、真っ白な長い髪と髭を靡かせながら魔族達のすぐ目の前に着地すると、厳かな声で彼らに話しかける。
「君達が侵入者かね? やれやれ、面倒なタイミングで現れてくれたものじゃ」
学園長だ! よかった、これで何とかなるかも!
「ご無沙汰しています。ワーズワース学園長」
ミリアムがまるで久々に恩師に会ったような態度で学園長に挨拶する。
しかし学園長は言葉を返さず、そんな彼女を冷たい目で睨みつけた。
「君はミリアムくんか……。はぁ、本当に魔族になってしまったのじゃな……。君は非常に優秀な生徒じゃったのに。それが魔族に魂を売るような真似をするとは……嘆かわしい」
「あなたには私の気持ちなどわからないでしょう。早速で申し訳ないのですが、賢者の石を渡してください。目的を果たせばすぐに帰りますので」
ミリアムが学園長に向かって手を差し出すと、彼は無表情のまま淡々とした口調で答える。
「……賢者の石? 架空の物語に傾倒しすぎじゃないかね? この学園にはそんなものは存在せん。さっさと帰るがよい」
その言葉に、マリーベルさんは焦りの表情を浮かべると、学園長に懇願するように訴えた。
「学園長! ミリアム様は魔族と化しましたが、人の心を失ってはいないのです! 彼女は人々を救済するために賢者の石を求めているのですわ! どうかお力添えを!」
「マリーベルくん……。君まで魔族の側についてしまったのかね……。なるほど、儂の結界を解除したのは君だったのか」
「そのことは謝罪しますわ。ですが、こうでもしないと学園長は賢者の石を渡してくれないと思ったのです」
マリーベルさんが申し訳なさそうに頭を下げると、学園長は顔をしかめながら首を横に振った。
「君は……魔族のことを何もわかっておらん。人の心を失ってはいない? そんなことがあり得るわけがないのじゃ。魔族は皆、自分の欲望のままに行動する。ミリアムも表面上は人間だった頃の彼女と同じように見えるが、実際は違う。もう彼女は、内心では自分の欲望を満たすことしか考えておらんのじゃ」
「そんなことはありませんわ!」
「事実、以前の彼女であれば、このように学園の生徒を危険に晒すような真似は絶対にせんかった。マリーベルくん、君も薄々は気づいているのではないかね? 彼女は人々の救済を謳いながら、その実──」
「もういいわ。バロガン、お願い」
学園長とマリーベルの口論が過熱する中、ミリアムは苛立ったように舌打ちすると、バロガンと呼ばれた山羊頭の魔族に声をかけた。
「ふむ、彼のフルネームは?」
「エルヴィス・ワーズワース」
ミリアムが名前を告げると、バロガンはニヤリと唇の端を吊り上げる。
「エルヴィス・ワーズワース、賢者の石はどこにある?」
「……」
バロガンが質問するが、学園長は黙ったまま何も答えない。
だが、バロガンは学園長の反応など気にした様子もなく、ふむふむと頷きながらミリアムへと視線を移した。
「賢者の石はこの学園の地下に作られた迷宮の奥にある。そこの噴水にある像を右に2回、左に3回回したあと、5秒以内に像へ魔力を流すと地下へ続く階段が現れる」
「──心を読む魔術かっ!?」
学園長が苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべて叫ぶが、バロガンはそれ無視して話を続ける。
「迷宮には特級冒険者マキナの作ったゴーレムが多数徘徊しており、登録のない者が迷宮に立ち入ると、侵入者を感知したゴーレム達が迎撃にやってくる。迷宮内にいるゴーレムはどれも一級品の戦闘能力を誇り、並の冒険者では太刀打ちできないだろうが、まあミリアム殿なら問題ないだろう」
「ありがとうバロガン。これで賢者の石を手に入れる目処が立ったわ」
「それでは私は役目を果たしたので帰らせてもらいますぞ。先程からその老人が、殺気のこもった目でこちらを睨みつけてくるので、怖くて敵わん」
バロガンは執事服のポケットから鍵のようなものを取り出すと、それを目の前の空間に差し込んだ。
すると空間がぐにゃりと歪み、ドアのような形へと変化する。彼はその中に入っていくと、空間の歪みは徐々に小さくなっていき、やがて消滅した。
「さっきから何が起こってるか全然わかんないんだけど……」
私が混乱していると、アリエッタが詳細に説明してくれた。
「あの魔族達の目的は、この学園に隠されているという噂の賢者の石だったようですね。そして、あの山羊頭の魔族の魔術は、対象の心に干渉して情報を読み取る能力のようです。おそらく、相手のフルネームを呼んで尋ねることが能力を発動する条件なのでしょう。そして、最後に彼が使用した鍵のような物……。あれはたぶん転移系アイテムだと思います。世界でも数えるほどしか存在しない、非常に希少なアイテムです。学園長が何もせずに彼を見送った理由は、上級魔族相手に三対一で戦うより、賢者の石の情報を持ち帰られても、二対一の状況にして賢者の石を死守する方が最善だと判断したからではないでしょうか」
流石IQ180(もう私の中では確定事項だ)の天才美少女。説明が分かり易くて助かります。
私達がそんな会話をしている間に、ミリアムは学園長に背を向けて歩き出していた。
「どこへ行くつもりじゃ?」
「賢者の石が隠されているという、迷宮とやらに」
「行かせると思っとるのか? 賢者の石の在処は知られてしもうたが、それでも渡すわけにはいかん。何としてでもここでお主を止める」
「今は魔力が半減しているのでしょう? ならば、私の方が圧倒的に有利です。どうしても邪魔するというのでしたら、相手をさせて頂きます」
「そこまでバレているとは、アネッサのやつの仕業か……。じゃが、あまり儂を舐めるでないぞ?」
学園長の全身から光り輝く魔力が迸る。先程のネムリーヌとは対照的に、まるで太陽のように力強く、温かい魔力だ。
それに応じて、ミリアムも膨大な魔力を解き放った。2人の間で魔力の渦がぶつかり合い、大気がビリビリと振動する。
私達が息を吞んで見守る中、学園長とミリアムはほぼ同時に動き出し、激しい戦いを繰り広げ始めた。
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