三毛さんは僕の体を(腐女子的な意味で)狙っている

英 慈尊

腐女子な彼女とショタ系(らしい)な僕と

 クラス全員で仲良しになれればいい、というのは、あくまでこれを受け持つ担任教師の理想であって、教え子である僕たちに、それを叶える義理はない。

 むしろ、一定以上の集団になれば、どうしてもそりの合わない相手や、そうでなかったとしても、あまり交流を持たない相手が生まれるものだ。

 これは、僕が斜に構えたものの見方をしているからとか、あるいは中二病だからというわけではなく、人間が集団を形成する上での、必然であるといえるだろう。


 必然であるからには、僕にもこの二年一組内で交流の薄い相手がいるわけで、目の前にいる女の子――三毛さんは、そんな女子の一人だった。


 ――三毛さん。


 何しろ、交流が薄いので、下の名前は知らない。

 正確にいうと、クラス編成時の自己紹介などで聞いてはいたはずなのだが、これを全員分覚えている奴は、よほどに記憶力がいいか、あるいは、クラス全員仲良くという担任教師の理想を体現する者だろう。

 そのどちらでもない僕が、彼女のパーソナリティとして知っているのは、せいぜいが、その外見的特徴くらいなものである。


 腰まで伸ばした黒髪は、ウェーブがかっていて、これは、そのように整えた結果ではなく、むしろ、日々の手入れを面倒臭がっているからではないかと思わされた。

 体格は、小柄。

 多分、私服で街をうろついたなら、小学生……は、言い過ぎにしても、中学生と間違われるだろうことは、想像に難くない。

 顔立ちは、かわいいか、かわいくないかでいったなら――かわいい。

 ただ、どうにも表情筋の鍛錬が足りないというか、感情の起伏が薄いというか、いつ見ても、半ば真顔じみた無表情さが印象的な女の子である。


 そんな彼女と、僕は今、夕陽が差した教室の中で向かい合っていた。

 教室内には、他に誰もおらず、ただ、半開きにされた窓の向こうから、部活動に励む生徒たちのかけ声が聞こえてくるだけだ。


「太刀川君……。

 あのね。聞いてほしいことがある」


 両手を前で組んで、やや顔をうつむかせた三毛さんが、ぼそぼそとつぶやくようにそう告げる。

 さて、長々と前置きをしたけど、もう、この状況について説明はいらないだろう。


 ――いよっしゃあ!


 ――僕は今、告白されようとしている!


 脳内でガッツポーズをしながら、必死に真面目な顔をキープした。


 ――ま、まだだ……まだ笑うな!


 ――し、しかし……!


 これまで、スカしたモノローグかましてきたけどなあ! 男子高校生なんていうものは、女子と付き合うこと……ひいては、その先にあるアレやコレやしか、考えてねーんだよ!

 己の中に潜む獣性を抑えつけつつ、次なる言葉を待つ。

 これも、個性ということか……。

 告白する場面だというのに、三毛さんの顔からはいかなる感情も読み取れなかったが、無表情かわいいからオッケーである。


「今日、わたしの家に来てほしい。

 ……駄目?」


「いいですとも!」


 ――ええ? どんな用事で?


 ……しまったあ! 脳内で叫ぶ言葉と、実際に口へ出す言葉が逆となってしまった!

 ええい! 言っちまったものはしょうがねえ!

 ここは、押し切っていくだけよ!


 ……ん? いや、ちょっと待て。

 これ、向こうからお誘い頂いて、僕はそれを快く受け入れたって状況だよな?

 別に全然アリじゃね? ややがっつく形にはなったけど、変に遠慮して「そう……ごめんね。変なこと言って」とか言われて、何もかもご破産になるよりはマシだろう。


 それにしても、何もかもかっ飛ばして、いきなりお家にお誘いかあ……うふふふふふ。

 いや、まだだ。取らぬ狸の皮算用をするな。太刀川あおいよ。

 どうせ、これ、両親なり兄弟なりが家にいるパターンだぞ。

 し、しかし……ワンチャン!

 ワンチャン、学生証の裏へ仕込んだコンドームの出番もあるのでは……!


「ん……ありがとう」


 そんな僕の超高速思考をよそに、三毛さんが薄く――けれど、確かな笑みを浮かべる。


 ――キュンヌ!


 ああ、駄目! 小生、無表情な娘がたまに見せる笑顔に弱いの!


「じゃあ……いこ」


 顔は多分きっと真顔を維持!

 だが、心中ではもだえる僕へ、三毛さんは、ささやくように告げたのであった。




--




 同級生の女子と! 二人で! 一緒に下校する!

 よくよく考えてみれば、割と一大イベントのようにも思えるが、その時間はあっさりと……そう、実時間的にも、内容的にも、実にあっさりと終わりへ向かったものだ。

 何しろ、三毛さんは余分な言葉をしゃべらない。


「ん……この電車」


「ここで乗り換え」


 終始こんな感じで、手をつなぐでもなく、どこかへ寄り道をするでもなく、淡々と僕を先導するだけだったのである。

 そんなわけで、一切の無駄なく乗り継ぎを終え、辿り着いたその駅は……。


「ここから……家まで歩く」


「へえ、池袋か。

 結構、すごい所に住んでるね?」


 そう――池袋駅であったのだ。

 右を見れば人。

 左を見ても、やっぱり人。

 さすがに、上や下には天井と床があるだけだが、いっそ、三次元的に振り分けられれば、この混雑ももう少しマシになるのではないかという、人混み具合である。

 と、それは不意打ちであった。


「え……?

 三毛さん……?」


「ここは人が多い。

 はぐれたら、面倒になる」


 なんと! 三毛さんは不意に! 僕の手を握ったのだ!


 ――うっひょお!


 ――グレイッ!


 ――冷やっとして、やわっこい!


 いや、もう、さすがに真面目な顔のキープは無理ですわー。お顔が真っ赤になっちゃいますわー。


「ついてきて」


 身もだえする僕を、小柄な見た目通りの弱い力で、三毛さんが引っ張っていく。

 それはなんだか、散歩中の小型犬がリードを引っ張っているようで、どうにもほほ笑ましい。


 そう……僕が笑っているのは、ほほ笑ましいからなのだ。

 断じて、この後にワンチャンあり得るムフフイベントへ思いを馳せているからではない!


 同じ高校の制服を着ていなければ、きっと、妹か何かが兄の手を引いているように見えるだろう二人で、駅構内を抜ける。

 東口を出てすぐ……交通島内に設けられた満員の喫煙所を横目にしながら、サンシャイン通りを二人で歩んだ。


 今日は平日だが、さすがは我が国でも有数の繁華街……カップルやカップル……そう! カップルでいっぱいだ!

 まあ、僕の心理的状況を多分に前面へ打ち出しても仕方がないので、物珍しい情景などについて語っておくと、客引きの若手お笑い芸人の姿を見られたりする場所は、他にそうそうないだろう。


 それにしても……サンシャイン通りだ。

 何はなくとも、サンシャイン通りだ。


 サンシャイン水族館にプラネタリウム!

 ナンジャタウンやサンシャインビレッジ!

 変わりどころでは、古代オリエント博物館や、光の国からやって来た巨人と撮影できる広場も忘れてはならない!


 がっ……! 三毛さん、特に意外性もなくこれらを全スルー!

 ……まあ、そもそも、今は彼女のお家に向かってるという状況だしね。

 何なら、ここら辺は彼女の居住圏であるわけで、観光地という認識すら薄いのかもしれない。


 手を引かれるまま、てくてくと歩くこと……十五分といったところか。

 小柄な彼女の歩調に合わせていたので、健脚なら、十分くらいで踏破できる距離かもしれない。

 この辺りまで来ると、大分人の往来も減って、マンションやアパートが目立ってくるようになり……。


「ここ」


 三毛さんが指差したのは、そんなアパートメントの一つであった。


「ここに……家族で住んでるのかい?」


 それを聞いた僕は、思わず首をかしげてしまう。

 彼女が指差したアパートは、築年数が浅いのかそれなりに小綺麗な造りをしているが、どうも、外から見た感じ……単身居住者を対象とした物件に見えたのである。

 ミケさんの回答は、シンプルなものだ。


「家族では住んでない。

 わたしは、上京して一人暮らし」


 ――上京して一人暮らし。


 ――上京して一人暮らし。


 ――上京して一人暮らし。


 その言葉が、天から舞い落ちる雷のように脳天を直撃する。

 状況を整理しよう!

 三毛さんは一人暮らしで、今日、僕に家へ来てほしいと誘ってくれた。

 以上! ヨシ!


 ……何か。

 ……何か、ひどくドス黒く、それでいて、限りなくピュアなものが、胸の奥底からこんこんと溢れ出て、体内の隅々に至るまで浸透していくのを感じる。

 太刀川あおい! いざ! 戦地へ赴かん!


「入って」


 なんてことを考えている内に、いつの間にか僕らはオートロックを前にしていて、開錠したミケさんがそう言ってくれた。


「喜んで!」


 僕は、勢い込んでそう答えたのである。




--




 なるほど、外から予想した通り、三毛さんが住んでいる部屋はワンルームの小ぢんまりとしたもので、七畳ほどの空間へ、生活に必要なあらゆるものが揃えられていた。

 それはつまり、シンクで水に漬けられた使用済みの食器や、洗濯機脇のカゴへ入れられた洗濯物などが、嫌でも目に入ってしまうということで……。

 僕はそれらを見て、言いようのない羞恥心から目を逸らしてしまう。


「狭くて、ごめん」


 そう言いながら、三毛さんが招き入れた室内……。

 なるほど、そこは、本人が言う通りに窮屈な空間であった。

 何しろ、くつろげるスペースというものが、ほとんどない。


 生活スペースに存在するのは、なんだか高そうな椅子と、同じく高そうなペンタブレットが特徴的なPCデスク……。

 座るものへ金をかけているのと対照的に、ベッドはごくごくシンプルな安物だ。

 そして、それらと向い合わせに、壁面のほぼ全てを占領している本棚。

 その本棚であるが……なんだ、これ?

 収まっているのは、学術書や漫画の単行本ではなく、こう……例えば、修学旅行のしおりめいた、薄い作りの冊子群だ。


 何しろ、一冊一冊が、薄い。

 それらが、びしりと本棚へ敷き詰められているのだから、果たして、この中には何冊のこういった書籍が収まっているのだろうと思えた。


 そのようなわけで、僕が三毛さんの部屋を見て、第一に抱いた印象はこうだ。


「漫画家の部屋……?」


 そう……。

 どこがどうだから、と、明確にいえるわけではない。

 しかしながら、三毛さんの部屋からは、漫画という創作物に従事している者の雰囲気が、濃密に滲み出していたのである。


「ん、と……」


 三毛さんは僕に構わず、部屋の片隅に置かれた収納ボックスを漁り出した。


 ――く……っ!


 ――もう少し……っ!


「あった」


 イイ感じに背後からパンツが見えそうな姿勢だったので、衣擦れの音も立てず覗き込もうとしていると、彼女が目的の品を見つけ出す。

 そして、素早く元の姿勢へ戻った僕へ、見せびらかすようにその服……いや、衣装を広げたのである。


「それは……?」


 チェック柄をしたその衣装は、なんだろう……?

 こう、例えるなら、テレビの歌番組に登場する男性アイドルグループが着用しているような……。

 華やかではあれど、どこか現実離れしたものを感じる衣装であった。

 一体、そんな物を見せて、どうしたいというのだろうか……?

 混乱する僕をよそに、三毛さんはさらにカツラなどの小物を取り出すと、全てまとめて僕に押し付けてくる。


「えっと……?」


 ますます意味が分からず、首をかしげる僕と三毛さんの眼が、交差し合う。

 あらためて見る彼女の瞳は、大きく、透き通るようで……。

 それでいて、どこか捕食者めいた、言い知れぬ圧力がそこに宿っていた。


「これを着て欲しい」


 ほしい、ではない。

 欲しい、だ。このニュアンスは。

 粘っこい狂気と欲望が、三毛さんの声からは感じられる。


 ――なんだコレ?


 ――まさか、いきなりコスプレプレイ!?


 ――いや、もっと得体の知れない何かが感じられるぞ!


 ますます混乱が深まりながらも、僕はどうにか口を開こうとした。

 えっと……こういう時、言うべきことは――そうだ!


「これを、この場で着替えろってこと?

 裸になって?」


 よし、これだ!

 我が真の目的からは、一歩後退した気もするけど、とりあえず、状況に呑まれないのが大事である。

 三毛さんとて、女の子。

 目の前で同級生男子が裸になるとなれば、自分が口にした言葉の意味へ気づき、羞恥心で顔を真っ赤にすることだろう。

 いやまあ、最終的には僕だけでなく、三毛さんの方にも裸となってもらいたいのだから、羞恥心ばかりがまさってしまっていては困るが!


 我が渾身の問いかけ……。

 それに対する返答は、言葉ではなかった。


 ――パーンッ!


「……え?」


 突如、頬へ走る熱い感覚……。

 それに戸惑い、思わず、熱さがある左頬に触れる。

 同時に、視界で舞ったのが、数枚の紙切れだ。

 縦76ミリ、横160ミリのこれなる紙を、知らない日本人はいないだろう。


 日本銀行券――一万円札。

 我が国で最も価値のある紙幣が数枚、三毛さんの手を離れ、ひらひらと床に落ちていくのだ。

 これは……。

 これは……まさか……!


「金は払う」


「今、お札で僕をはたいたのかいっ!?」


 問いかける僕に、三毛さんが不思議そうな眼差しを向ける。


「依頼の謝礼を支払うのは、当然のこと」


「払い方あっ!

 我が国で一般的なのは、銀行振り込みか、封筒に入れての手渡し……。

 最悪でも、裸のまま手渡しだから!

 間違っても、支払う金でビンタしたりはしないよ!

 というか、依頼って何!?

 僕に何か、して欲しい仕事があるの!?

 いやまあ、これ着ろってことなのは分かるけど!」


「ん……」


 三毛さんが、宙に目線をさまよわせ、しばし考え込んだ。

 そして、ポンと手を打ったのである。


「そういえば、何のために呼んだかは、話してなかった」


「そっかー。

 大事だよ。用件をきちんと伝えておくのは」


「太刀川君は、どんな用件だと思っていたの?」


「ええ!? 僕がどう思っていたかって!?

 そんなのは、こう……何か力仕事をして欲しいとかー?

 ほら、僕だって一応、男だしー?

 多少は、体使った仕事でも対応できるしー?」


 ――君とヤれると思って来ました!


 ……などと言うわけにもいかず、目を逸らし、ついでに口笛なんぞ吹きながら、思い浮かんだ言葉を羅列していく。

 すると、まくし立てた言葉の一つが、彼女の琴線きんせんへ触れたようだ。


「そう……体を使った仕事が頼みたい。

 太刀川君にしか、頼めない仕事」


 僕にしかできないことを、頼もうとする女子。

 ある意味、男子にとって理想の状況だろう。

 だが、僕は三毛さんの無機質な眼差し……その奥へ隠された熱いものに、どこか空恐ろしさを感じたのである。




--




「どう……じん……し?」


「そう、同人誌」


 どうやら、三毛さんの部屋に来客を迎える椅子や、座布団カバーといった備えはないらしく……。

 ベッドや本棚の間にある床へ向き合う形で座り、僕は彼女の話を聞いていた。

 当然だが、あのよく分からない衣装に袖を通してはいない。学校から指定された制服のままだ。


 お互い、フローリングの上で正座……。

 そんな状況の中、たった今、聞いたばかりの話を自分なりに咀嚼そしゃくしてみる。


「つまり、君はその同人誌……っていう自費出版の漫画本を出していて、絵のモデルに僕を使いたいと?」


「そう」


 返事は、文字にしてたった二文字。

 三毛さんが、こくりとうなずく。


「太刀川君は顔が整っているし、男子とは思えないくらい身長が低く、撫で肩で細身。

 わたしが求める、ショタ系キャラを描く上でのモデルにピッタリ」


「し、しし、身長のことは言いっこなしだろう!?」


 いきなりコンプレックスを指摘され、思わずろれつの回らない舌で叫んでしまう。

 そう……。

 この僕こと、太刀川あおいは――背が低い。

 背の順で並べば、いつも先頭!

 当然、教室での席も最前列!

 もし、いまだに組体操なんて教育カリキュラムが残っていたら、ピラミット頂点の座を欲しいままにしていただろう。


 ――女の子にモテたい。


 ――あわよくば、そこから始まるアレやコレやをしたい。


 男子高校生として当然の欲求を抱える僕にとって、これは大きなハンディキャップであった。

 ゆえに――僕は努力したのである。

 日々の自主トレによる体作り……。

 金がないなりに、ファッションへはそこそこ関心を持ち、お洒落さんとは言わないまでも、身綺麗で野暮ったくない服装を心がけていた。


 当然、美容にも高い関心を持っている。

 家族を口説き落として自らキッチンに立ち、食事は高タンパクかつ、低カロリーかつ、低糖質かつ、ビタミン豊富なものに変えさせてもらった。

 その他、金がないなりにネットで美顔体操などを調べて実践し、顔の良さでは客観的に見てもなかなかのものを誇る高校生――それが、この僕なのだ。


 が――駄目っ!

 女子にはモテず、たまに告ったりしても「そういう対象として見れない」の一点張り。

 やはり、身長か……!

 身長が、足りなすぎるのか……!


 ――低身長。


 ――もっとひどい言い方をするなら、チビ。


 それが、どれだけ努力してもぬぐえない我がウィークポイントなのだ。まあ、三毛さんに比べれば身長あるけどね!


「落ち着いて聞いてほしい。

 今、言った通り、太刀川君はわたしが求めているイメージとピッタリ。

 他の誰にも頼めない。

 小柄なのも、悪いことじゃない。

 太刀川君には、太刀川君なりの魅力がある」


「僕なりの……魅力……?」


 それは、初めて向けられる言葉だった。

 しかして、正鵠せいこくを射ているとも思う。

 例えば、サッカーなんかと同じだ。

 世界に比べ、体格で劣る日本代表には、独自の戦い方というものがある。

 それと同じで、僕も小柄なら小柄なりに、そっち方面で魅力を高めていけばいいということか……っ!


「そうか……!

 僕は、もっと自分に自信を持っていいんだ……!」


「その通り。

 というわけで、太刀川君には、このキャラへ扮して欲しい」


 スマホをいじった三毛さんが、画面を僕に見せてきた。

 そこに映されていたのは、なんだろうな……?

 確かにこう、肩とか骨格は男性的だけど、顔立ちは完全に女の子のそれというか……。

 よくCMでやってるような、美少女見本市なソーシャルゲームに登場したとしても、違和感のないキャラである。

 ふむ……だが……しかし、なるほど……。


「ふうん……。

 よく分からないけど、案外、こういうのが女の子には受けるのかあ」


「いや、人気は中のちょい下。

 人気上位キャラは、大体高身長のイケメン」


「やっぱり身長かよ!

 チクショーめ!」


 淡い希望があっさり砕かれ、フローリングの床に叫ぶ。

 そりゃそーだよなー! もし、ショタ系とやらが大人気なら、とっくに彼女できてるよなー!

 女ってやつは正直だよっ!


 そんな僕に向かって、三毛さんが淡々と言葉を紡ぐ。


「でも、中のちょい下には中のちょい下なりの需要がある。

 例えるなら、人気ファミレスの和食メニュー的な」


「全然嬉しくない……。

 誰もが食べたがるハンバーグでありたい……」


「まあ、そういうわけで、中のちょい下君にはこのキャラになって、様々な受けのポーズを演じてもらう」


「変なニックネーム付けようとしないで!」


 僕の抗議はカン無視して、再び三毛さんが例のなりきりセットを押し付けてきた。

 ……いつの間にか、彼女の中で僕が引き受けることは決定事項になっているようだ。


「いやいや、引き受けるとは言ってないから……!

 それに、受けってなんだい?」


 一抹の不安と共に尋ねた僕へ、三毛さんが怪しい笑みを向ける。


「それはもう、バッキバキに受けてもらう。

 ――具体的に言うと、こんな感じで」


 そして、これだけ大量の薄い――本。

 そう、薄い本が収まった中から、迷いなく一冊を取り出すと、僕へ差し出したのだ。


「これは……?

 ――うおあっ!?」


 たかが本の表紙を見て、悲鳴を上げてしまったのは無理もないだろう。

 表紙に描かれていたもの……。

 それは、半裸の美少年――片方はさっきのキャラだ――同士が、こう……レスリングをなさっている光景であった。


 ああ、なるほど!

 それで、受けね!

 ということは、攻めもあるのね!


 我ながら、悲しい察しの良さで超速理解してしまう。


「あー……。

 ごめん、ちょっと理解が及ばないや」


「理解が及ばないのも、無理はない。

 この場合、肉体的にはゆづももでも、精神的にはももゆづであるというのが、わたしの解釈」


「まず、僕はこいつらの名前すら知らないよっ!

 そうじゃなく! こういう趣味に理解が及ばないから、引き受けられないって言っ――」


 ――パーン!


 僕の頬に走る痛み。

 そして、宙を舞う――諭吉たち!


「――金は積む」


「――二度もぶった!

 よくないよ! お金でなんでも解決しようとするの!

 一体、君がどれだけお小遣いをもらっているのか知らないけど――」


「――これは全て、同人誌の配布でわたしが稼いだお金」


「嘘……すごい甲斐性」


 あらためて、床に散らばった日本銀行券を見やる。

 ひのふの……十枚はあるだろう。

 同人誌って、お金になるんだなあ――じゃない!


「いくらお金を出されたって、引き受けられないものは引き受けられないよ!」


 決定的な――拒絶の言葉。

 三毛さんは、無表情のまま、しばし黙っていたが……。


「クク……」


 なんと、その口角をわずかに歪め、笑い出したのだ。


「そんなこと言っても、無駄。

 太刀川君はすでに、このお金が自分のものになるかもしれないと思って、見ている。

 金の魔力は――強力」


 ――ざわっ……。


 ――ざわっ……ざわっ……。


 他に誰もいないはずの室内へ、多数のざわめきが響く。

 なんだ……? 僕は、一体、誰と話している……?

 クラスの女子と話しているというより、まるで……そう! 平成最後のフィクサーとでも、話しているかのようだ!


 ――太刀川君。


 ――その作品だと、もりさいが好み。


 言ってることの意味が分からないし、モノローグへ割り込まないで!


「そう」


 三毛さんが、床に落ちた諭吉さんの内、一枚を拾い上げ……回収した。


「――うっ!?」


 すっかり尖った気がするアゴを撫でながら、衝撃にうめく。

 この金……。

 この金を減らされると……。

 まるで……身を削られたようっ……!


「決断が遅い者は、チャンスを逃――」


 三毛さんが、再びにやりと笑う。

 彼女の目に映ったもの……。


「合意と見て、いいよね?」


 それは、金を拾った僕の姿だったのである!

 畜生! 金さえあれば、諦めていたアレコレができるから! 畜生!




--




 ――パシャ!


 ――パシャ! パシャ!


「いいよ。

 太刀川君、もうちょっと目線をこっちに向けて」


 撮影機材にこだわりはないのか、スマホを手にした三毛さんが僕にそうリクエストした。

 何しろ、着替えの最中からずっと撮影し続けているのだ。

 そのフォルダには、百……いや、二百枚以上は僕の写真が収められているだろう。


「表情は――」


「――こうかな?」


 顧客の求めるもの……。

 それを予測し、その通りな表情を浮かべる。

 すなわち――育ちの良さからくる無邪気さとプライドを併せ持った少年が、突然の下剋上へ、まんざらでもなく頬を赤らめる様だ!


「……いい。

 大分感じが出てきた」


 シャッター音を鳴らしつつ、依頼主様が満足気な言葉を漏らす。


「もしかしなくても、太刀川君には素養がある。

 わたしの目は確か」


「いやあ、はは。

 君の好きなキャラを、目の前で演じるんだろう?

 なら、相応のクオリティにしなきゃと思っただけさ」


 どんな形であれ、褒められて悪い気になる人間はおらず……。

 僕は素直に、そう答えた。

 こう見えて、表情筋の使い方や、全体的なポージングには自信がある。

 鏡を相手に、色々と練習してたからな!


「え?」


 そんな僕に返ってきたのは、疑問形であり……。


「え?」


 僕もまた、疑問形で返す。


「わたしの好きなキャラ……?」


 そして、三毛さんが紡いだのは、心底から意外な言葉であったのだ。


「え? そうだろう?

 君の説明じゃ、主に好きな作品の二次創作っていうのをするのが、同人誌じゃないか?」


「主には、あくまで主に。

 わたしは別に、このキャラへ愛を抱いてはいない。

 強いて言うと……中のちょい下?」


「やっぱり中のちょい下なのかい!?

 じゃあ、なんでそんなキャラの本を描くのさ!?

 こうして、モデルまで用意して!」


「理由は簡単……」


 撮影を一旦止めた三毛さんが、虚空を見つめる。


「金稼ぎ」


「本当に愛がないね!?」


「仕方がない。

 わたしが真に好きな作品……聖〇士〇矢の本だけじゃ、一人暮らしの生活費が賄えない」


「真に好きな作品、古っ!?」


「わたしの場合は、細々とだったり外伝だったりで供給がある分、まだマシ。

 供給が途絶えたジャンルのオタが抱く悲しみは、深い……」


 虚空を見つめたまま語る三毛さんの表情は、相変わらず無機質なものだ。

 しかし、いわゆるロス的なものであると考えれば、注いだ愛が深ければ深いほど、重く深いものであると理解できた。


「というわけで、お金のためにもうちょっとはだけて欲しい。

 お金のために体を売ろう」


「言い方あっ!」


 ツッコミつつも、オーダーには応えていく。

 これが、僕と腐女子少女――三毛さんとの馴れ初めだったのである。

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