新妻魔道具師はだんな様の溺愛にときめきが止まりませんっ! 〜新婚旅行はだんな様の故郷の異世界に魔道具の修理に行ってきます!〜

綾束 乙@迷子宮女&推し活聖女漫画連載中

1 新妻魔道具師、だんな様とともに異世界へ旅立ちます!


 強い風が渡ってゆく音が聞こえる。


 倉庫や商館などが立ち並ぶ中心に位置するのは、家一軒どころか、立派な屋敷まで丸々と飲み込めそうな黒々と大きな『穴』だ。


 穴の中心部を通るように渡されている丈夫そうな木製の橋のちょうど真ん中に、エルシャはつい半月前に結婚したばかりのジレンとともに立っていた。


「ジレン様っ! 早く参りましょう!」


 強い風で脱げてしまいそうになるマントのフードを押さえ、エルシャは長身のだんな様を見上げる。


 わくわくと、声がはずむのが抑えられない。


 が、浮かれるエルシャに対し、ジレンは白皙はくせきの美貌に気難しい表情を浮かべていた。マントのフードが影を落とす眉間には、くっきりと深いしわが刻まれている。


「いまさらだけど……。本当に、いいんだね?」


 黒曜石を連想させるジレンの闇色の目が見つめているのは、深いふかい『大穴』だ。


「はいっ、もちろんです!」


 間髪入れずに頷いたエルシャは、ジレンにならって『大穴』を覗き込む。


 いったいどこまで深い穴なのか。秋の爽やかな陽射しが降りそそぐ朝でさえ、ごうごうと風が渦巻く『大穴』は底が見えない。


 いや、エルシャは『底』があることを知っている。


 ――さらにその向こうに広がる世界があることも。


「まったく……。どうして、こんな時に限って、叔父上は行方知れずになっているのか……」


 はぁっ、と大きく吐息して、ジレンがここ数日の間に何度言ったかわからない嘆きをふたたび口にする。くすりと笑って、エルシャは愛するだんな様を見上げた。


「ローニン様がふらっといなくなるのはいつものことじゃないですか。どこに行って、帰りがいつになるのか、まったく全然わからないのも。大丈夫ですよ、お師匠様のことですから、絶対、元気に新しい魔道具を開発してるに決まってますっ!」


「わたしは叔父上の心配をしているわけじゃない」


 即座に返ってくる不機嫌な硬い声。いつも穏やかなジレンらしからぬ硬質な声音が、妻を心配するゆえだと、エルシャはちゃんと知っている。


「大丈夫ですよ」

 安心させるようにエルシャは隣に立つジレンの大きな手をそっと握る。


「ジレン様が一緒に行ってくださるんですから、絶対、大丈夫です」


 心配性のだんな様を見上げてにっこりと微笑むと、ジレンが小さく息を呑んだ。


「……まったく、きみは本当に……」


 諦めの吐息をついたジレンが、エルシャの手を握り返す。


「いいかい? あちらでは決してわたしのそばを離れないように。不調を感じたら、すぐに言うんだよ?」


 ここ数日間に、何度も何度も聞いた注意に、エルシャは「はい」と素直に頷く。


「『濃界のうかい』に着いたら、ちゃんとジレン様の言いつけを守ります」


「……きみの言葉を信じるよ」


 不意に、ジレンがつないだ手を強く引く。よろめいた身体を、ぎゅっと力強い腕に抱きしめられた。


「では、行くよ」


 耳に心地よい低い声が鼓膜を震わせると同時に。


 エルシャを抱きしめたまま、ジレンは『大穴』に身を躍らせた。




 ごぅっ、と耳のそばでひときわ強い風の音が鳴り、マントがはためく。


 浮遊感に内臓が浮き上がる感覚がし、胃の腑がきゅっと縮む。反射的に強張った身体を、ジレンにさらに強く抱きしめられた。


 互いのマントが風を孕んでばたばたと音を立て、強風にジレンがかぶっていたフードが外れる。


 あらわになったのは、見慣れているはずのエルシャですら思わず見惚れてしまいそうな凛々しく端整な面輪だけでなく――。


 その両側でぐるりと弧を描く立派な闇色の角だ。


 風にあおられて炎のように揺れる黒い短髪の間から伸び、まるで牡羊おひつじのようにぐるりと顔の横で弧を描く角は、まるで闇を凝縮して形作ったかのようだ。円のように渦を巻く硬く節くれだった角は、穴に降りそそぐかすかな陽光を受けて、黒曜石のようにきらめいている。


「大丈夫だ。わたしがついているから。怖かったら、目をつむっているといい」


 風に邪魔されないためだろう。耳元に面輪を寄せたジレンがフード越しに告げる。


 下手に口を開くと舌を噛みそうで、エルシャはこくりと頷くとジレンの背中に回していた手でぎゅっとマントを握りしめた。


 くすり、とジレンが笑む気配に、頬がかぁっと熱くなる。もし話せていたら、「別に怖いわけじゃありませんっ!」と抗議していたことだろう。


 本当に、怖いわけではないのだ。

 むしろ、胸はわくわくとはずんでいる。


 これから、ずっと行ってみたいと願っていた愛するだんな様の故郷へ行き、魔道具の修理をするのだから。




 ――『世界に穴が空いた』



 約百五十年前の天変地異は、そう言い伝えられている。


 大地震により、本当に穴が空いたのだ。この世界ともうひとつの世界を結ぶ、大穴が。


 エルシャが暮らす地表と鏡写しのように存在し、魔力を宿した角を持つ種族・魔角まかく族が独自の文化を築き上げていた地下世界。


 互いに言い伝えや与太話の中でしか語られてしなかったもうひとつの世界が実在するとわかった百五十年前の混乱は、すさまじいものだったらしい。


 なんせ、お互いの地下深くに別の人間が暮らしていたのだから。


 二つの世界の邂逅かいこうが戦争を引き起こすのではなく、混乱や戸惑いを交えつつも交流と交易という平和的な方向へと向かったのは、『大穴』の両側に位置した当時の双方の領主が英明だったからというだけではなく――。


「もうすぐ、『きずな大岩おおいわ』に着くよ」


 ジレンの声と同時に、自由落下していた身体の速度が緩む。まるで、不可視の水の中に飛び込んだように、ゆるゆると速度が落ちていく。


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