その4
血が滴る。
天井にまで舞い散った鮮血が糸を引き、粘度の高い液体がやがて重力に引かれて落下する。落ちた先にある血溜まりへ同胞を求めて。
そうした自然の音と空調と、そして各々の呼吸音が不撓の塔に位置する展望台を占拠していた。
「……」
滝飛沫イクサは捕縛用のロープで胴体を締め上げられ、椅子に括りつけられている。定期的に広がる胸元が彼の生存を保証するも、染み出す血と足元に広がりつつある血溜まりを鑑みれば放置が悪手であることは明白。
しかし、彼を捕縛した双馬ジンと笛波ヒナワは身体を大の字に広げて横になるばかり。
幸いにも展望台内に照明のスイッチこそ配置されていたものの、シャッターの開閉ボタンが見当たらない。故に外界の様子は掴めず、ただ光を全身に浴びて疲労回復に努めるのみであった。
「……」
「……」
互いに口を開くことはない。
静寂の中で黙々と繰り返す呼吸のみが互いの生命を保証する。
時折鳴る布の擦れた音は、果たしてどちらが鳴らしたものか。
「……さっきの射撃よ」
先に口を開いたのはジン。
静寂を破る声はあまりにもか細く、ともすれば聞き逃してもおかしくない程に。
「片手でやったのか。拳銃で拳銃を射抜くなんてのを?」
「あの状況なら、左手を添えるよりもいいとは思った」
「軽く言ってるけど、すげぇ技術だろそれ」
「カンだよ、細かい所は」
謙遜の言葉を述べるが、ヒナワの声音は明確に上擦っていた。快活な笑みでも上げそうな調子で、少女は自慢気に言葉を続ける。
「身体を張ったかいがあったってものだよ。
全く散々よ。顔は殴られるし、蹴られるし、仕舞いには頬をライフル弾が掠めるんだから。これ、治るのかな……」
頬を掻いているのか、皮膚の擦れる音が混じる。
尤も自身のものではないというだけで母親からの贈り物という認識のヒナワにとっては、大切なプレゼントを傷つけられたにも等しい。
慰める言葉を思案するもの感性の違いからか。ジンには相応しい言葉が思い当たらない。
だからか、沈黙を破ったのは一通の着信だった。
聞き慣れたリズムから自らの端末が音を発していると思い、ジンは懐から携帯端末を取り出す。
家業に適した、衝撃に強いと評判のモデルを購入していた。それでも戦闘の激しさに限界を迎えたのか、液晶には幾つかのヒビが入っていた。
「誰だよ?」
『仁王だ。今どこにいるジン?』
通話の相手は角ばった顔をした警察官。
不撓の塔へ向かう道中で顔を合わせたとはいえ、彼の無事が保証されたことで胸中にどこか安堵の感情が湧き上がる。
尤も、それを直接伝えるつもりはないが。
「今は展望台」
『展望台って、それは本当かッ?
まぁ、なんでもいい。政府はこの件に自衛隊の投入を決定した。地図を送るから今すぐにそこから離れろ、巻き添え食っても知らんぞ』
「勘弁してくれ、こっちはイクサを捕まえて滅茶苦茶疲れてんだ。そっちで医療班なりなんなりの手配は出来ねぇのか」
ちょうどいい、と現状の報告を兼ねて幾つかの手配を要求。
本来ならもっと早く連絡を入れるべきだったのだろう。が、如何せん張り巡らされた緊張の糸は一度解れると、結び直すのに時間がかかる。
『チッ、だったらせめてシャッターを開けろ。外から状況が分からないんじゃ医療班も手が出せん』
「どうやって開けんだよ。開けれるんなら最初からやってんだよ、それは」
暗所恐怖症のジンからすれば、それができるなら苦労はしないというもの。
事情を理解した仁王は周囲の人間から不撓の塔関係者を探し出し、シャッターの開閉手段を聞き取る。
幸いにも彼が現在いるのは緊急避難所。
負傷した同僚を運び込んだ後、自衛隊投入の連絡が入ったため警戒区域近辺以外に配置された警官には避難所での待機及びそちらへの増援が割り当てられたのだった。
仁王越しに開閉手段を知ったジンは重い腰を上げ、身体を起こす。
「どうしたの?」
「シャッターの開け方を聞いた。だから開ける」
「私がやろうか?」
「別にいい。この程度なら一人でできる」
「じゃあ、せめて一緒にやる」
「……勝手にしろ」
起きたジンの後に続き、ヒナワもまた歩み出す。
幸いというべきか、もしくは緊急時に使用する以上当然というべきなのか。
開閉には複雑な操作を必要としておらず、階段から反対側の座席の下という分かり辛い場所にある点を除けば照明の操作と大差はなかった。おそらくイクサが外付けした悪趣味なパーツを取り外し、緑色に発光する開のボタンを押し込む。
すると、物々しい音を立てて闇を形成していたシャッターが上へと引っ込んでいった。
「あ……」
視界に跳び込んできた光景は、普段とは趣を異とする街の情景。
騒乱の最中、立ち並ぶビルは軒並み光を閉ざし、代わりに道中では仮説の避難所やパトカーのライトが存在感を一層際立たせる。
立ち上る黒煙や焔は幾分か鳴りを潜めていたが、一部では安全が確保されたことで消防隊が介入。派手な輝きで警戒感を煽りつつ消火活動に勤しんでいた。
散発的に上がるマズルフラッシュは、どちらの勢力のものか。
首謀者を退治した所で事態の全てが沈静化する訳ではない。
吟遊詩人の弾き語りとは異なる現実を前に、二人の胸中に訪れたのは徒労とは別種の感情であった。
「双馬君……いや、ジン君。改めてお礼を言わせて、謝罪も」
「……」
紫の髪を揺らすと、ヒナワがジンの方を向く。
吸い込まれるターコイズの瞳は真っすぐに少年を、命の恩人を捉えて離さない。
偶然、とまで言い切れないものの、自分が今生きているのがかなりの幸運と認識したのか。真剣な声音にジンは無言で視線を合わせた。
「ありがとう、そしてごめんなさい」
力の抜けた少女の表情は、極自然な笑みを形作っていた。
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