その2
虚ろな瞳が上空を見つめる。
雲一つない青空に黒煙が混ざり、陽光にも翳りが伺えた。しかしそれでも対光反射を起こすには充分な光量が確保されており、なおも散大する瞳は脳幹反射の喪失、引いては魂が乖離したことを指し示す。
不撓の塔周辺。
塔近辺ではマズルフラッシュが絶え間なく瞬き、硝煙の香りがコンクリートに染みつくのではないかと疑問に思うほど濃密となる。
アスファルトには公共事業に困らない程の弾痕が穿たれ、多数のビルは窓を割り、中には火の手が回っているのも一つや二つではない。
「撃て撃てェ、弾ならたっぷりあんぜ!!!」
乗り捨てられた乗用車やビルの角をバリケード代わりに、下品な笑みを浮かべてスコーピオンを乱射するは、イクサの策により集められたサクラ達。等間隔で放たれる九ミリパラベラム弾は乱雑に臨時のバリケードを果たすパトカーに穴を穿つ。
銃声が止むと、純白のボディに幾つもの弾痕を穿たれたパトカーの奥から覗く顔が一つ。
「こちら
『こちら
「だったら、いっそ撤退命令でも出してくれッ。自動拳銃で短機関銃に勝てるかよ!!!」
無線を通じて怒鳴り散らすは、現場に立つには歳を召した中年男性。角ばった顔立ちに、やや出っ張った腹部を持つ警察官。
仁王は横で肩を抑える同僚を一瞥すると、再度無線へ唾を飛ばす。
「賞金稼ぎ共も統制が取れてるとは言い難いし、これじゃ被害を抑えられんぞッ」
『分かってる。だから国も自衛隊の緊急導入を検討……!』
「いつ決定すんだよ、それはッ?!」
呻き声を掻き消す銃声が辺り一帯に木霊する。
日本では輸入段階で規制されて然るべき武装が列を為して暴れる現状は悪夢と言わざるを得ず、怠慢を働いた入国審査官の眼前に拳銃を突きつけたい衝動に駆られる。
弾雨の止んだ間隙に腕だけ出して大雑把な反撃に出るも、倍以上の弾丸で報復されては税金の浪費しか実感できない。
ジリ貧ないし防戦一方な状況に歯噛みするも、状況を打破するには決定打に欠ける。
「いったいどうすれば……!」
焦燥の汗を流す彼は、意識をパトカーの先へ注いでいたために側面から迫る少年への反応が遅れた。
「次に銃声が止んだら突っ込むから、援護射撃しろ」
「その声、ジンか?」
バリケードへ滑り込んだ青のブレザーを纏った少年は、片膝立ちの姿勢で仁王と同じ対象を睨む。
横顔を覗くだけでも、二人が互いのことを把握するには充分であった。
牽制というのも烏滸がましい、耳元で響く銃声と腕に伝わる衝撃を目的にした乱射が止む。それが二人の動き出す合図であった。
「しくじるなよ、ジン!」
先に顔を出したのは仁王。
両手で構えたサクラの開発コードを有する回転式拳銃には、既に銃弾が装填されている。
鈍い銃声と共に銃身によって彫られた螺旋に沿って放たれる弾丸が、自動車に姿を隠した相手へと迫る。フロントを穿つことこそ叶わないものの、視野に頼った状況確認を妨げるためならば上等。
同時にジンは車体を蹴り上げて宙に浮かび、着地すれば勢いを乗せた加速で髪を揺らす。
跳弾したフロントの先、短機関銃で武装した一団が身を潜めた自動車を見つめると足を突き出しスライディングの姿勢を取る。
滑り込む先は前輪と後輪の間、人一人が辛うじて入り込めるかという空間。
銃撃で破砕されていたアスファルトが頬を擦る中を滑り抜け、空間が広がると同時に抜刀。
「あッ?」
煌めく白刃の一振りがフロントから奥を覗いていた男の太腿を切り裂き、筋が切断されたことで体勢を崩す。柄で地面を殴りつけ、反動をつけてジンは体躯を起こした。
跳ね上がった身体が着地すると、突然の襲撃に困惑する相手が対応するよりも早くジンは動く。
まずは眼前の敵。
咄嗟に向けられた銃口の射線から身を捻ると、切先で一突き。肩口を抉る灼熱の激痛に短機関銃を取り零せば、追撃の回し蹴りで得物を飛ばす。
続けて今も得物の照準を合わせている敵。
銃身の分、取り回しに問題が生じているのか。もしくは普段は拳銃を取り扱っている分、長物に慣れないのか。
手間取っている間に引き抜かれ、朱の混じった刃が横一文字に振るわれれば男の胸元に鮮血の華が咲く。
そしてスーツ姿のサラリーマン。
「ま、待ってくれ!」
返す刀で切りつける直前、サラリーマンは情けない声を上げて降伏を訴えた。
常ならば言葉を無視して肩口から先を切り裂いていた。が、ジンは眼前の男が突撃銃を手放したのを目撃し、肩に触れた刃を留めたのだ。
一滴の血が刃を伝う。
「お、俺は彼らの仲間じゃないッ」
「だったら何故そっち側にいる。その得物はなんだ。早く答えろ、時間が惜しいんだよ俺は」
ジンが見つめるのは、眼下で音を立てて転がった突撃銃。廃工場で対峙したイクサ一派も所持していた得物は、彼がばら撒いたのでなければ日本で所有することすらも困難極まる。
焦燥に顔を歪める少年に対し、男は嗚咽混じりに言葉を綴った。
「そ、それは拾ったんだ……でも、本当に警察へ届けるつもりだったんだッ。なのに……さっきの連中が突然現れて、手当たり次第に撃ちまくってッ。俺も犯人と思われて……それでッ!」
ばら撒いた得物を拾った市民を巻き込むため、サクラとして混ざった連中がそうと思わせる形で銃撃を始めたのだろう。そして警察や賞金稼ぎは周囲にいる市民をも犯人と断定して反撃に出る。
胸糞悪い奸計に、ジンは苦虫を噛み潰す。
弾けるように刃を引き抜くと、鋭い痛苦に顔を顰める男を他所に峰を叩いて血を落とす。
「……白旗振るなり両手を上げるなりしてあっちの警察の方へ行け。変な動きしたらすぐに斬り殺すからな?」
「わ、分かった……ありがとう、本当にありがとう……!」
男が両手を上げて警察へと歩み寄るのを確認すると、ジンは踵を返して不撓の塔を目指した。
ドアミラーに反射する青のブレザーには、既に返り血が誰のものなのか判別不可能な程にこびりついている。先程のサラリーマンが即座に降伏を選択したのは、本当はジンの姿が恐怖を煽ったからかも知れない。
「知ったことかよ」
端的に切り捨て、ジンは足のギアを一段階上げる。
イクサの生放送が為されてどれ程の時間が経過したか、腕時計を装着していない少年には判別がつかない。が、現場から急行しただろうヒナワが展望台なりイクサの待つ場所なりへ到達するには充分な時間は経っている。
行く手を阻む凶弾に倒れてさえいなければ。
「……あんないい父親に心配させんじゃねぇよ」
唇を噛み、一筋の赤が流れる。
と、同時に付近の出店へと身体を滑らせた。直後に炸裂音が鳴り響き、出店から離れた場所を弾丸が飛来する。
逃走の混乱で落下したのか、景品の子供向け手鏡で奥の光景を確認すれば二〇メートル程度先で短機関銃を構えた二人の男女が映り込む。共に防弾チョッキを装着している辺り、元々準備していた口に違いない。
そしてその背後には、不撓の塔内部へ通じるエレベーター。
「白鞘持ち……滝飛沫さんが言ってた奴ね」
「狩れればタンマリボーナスが貰えるらしいんでなぁ。悪く思うなよ?!」
手鏡を左右に傾けてみれば、等間隔で配置された出店が射線を遮る。しかしそれも五メートル近辺まで。
途中で大通りに出るのか、男女の側には障害物の類が皆無。無計画に飛び出せば、仮に片方を無力化出来ても相方から蜂の巣にされるのは明白であった。
ひとまず射撃の音が止むごとに左右の出店へ跳び込み、徐々に距離を詰める。
が、やがて問題の距離になればどうしても足が止まってしまう。
適当に出店の品を漁り、発見したのはクジの景品らしき鮮やかな色合いの玩具。手頃なサイズ感は投擲にちょうど良かった。
「非常時だしな、支払いは勘弁……なっと!」
乱暴に投げ込めば、爆発物と勘違いした相手の銃口は放物線の先へと吸い込まれる。空を切る弾丸の内、数発が玩具を貫くも、ジンが相手の懐へ跳び込むには充分な時間が稼げた。
まずは口を広げて声を上げる寸前の女を逆袈裟に切り裂き、流れるように横の男から右腕を切り取る。
「カヴァー……!」
最期に呟いたのは女の名か。
追撃に心臓を貫けば、事切れた男の身体が崩れ落ちた。
「さっきの言葉……警戒されてんのは間違いねぇ」
ボーナスの対象にされている以上、塔内部にも敵が潜んでいるのは明白。
ジンは眼前のエレベーターではなく、側の階段を使って塔内部へ突入することを選択。普段使いを想定していない簡素な造りの階段は、体重を預ける度に軋みを上げた。
イクサの下で働くような輩が堪え性を持つ訳もないのか、階段で妨害を受けることはなく驚く程スムーズに塔内部へ通じる扉まで到達した。
道中で血痕を目にすることもなかったのも幸いだろう。
足を滑らせることもなく。
「そしてヒナワが怪我した様子もねぇっと」
取っ手を掴み、扉と共にジン自身も身体を引く。
すると、耳をつんざく激しい銃声が盛大なバックミュージックを奏でた。
「当然、内部にはいるよなぁ……!」
早い段階で目標を捉えていなかった銃声は止み、代替として足音が鼓膜を震わす。
やがて扉を潜り階段へと足を進める者が、ジンに背中を晒す。
「あがッ……!」
手早く心臓を一突きすると、ジンは手元へと引き寄せて肉壁へ変換。扉を潜って塔内部へと侵入を果たす。
心臓から突き出る刃が致命傷を謳っているからか。或いは端から仲間意識など持ち合わせていないからか。
肉壁諸共にジンを抹殺せんと激しいマズルフラッシュが瞬き、固定されていない部位を強風に押される洗濯物よろしくなびかせる。
しかし、距離は稼げた。
「返してやるよッ。コイツはなッ!」
「なッ……ガァッ」
肉壁を蹴り飛ばして刀を引き抜くと、近場の敵を一閃。更に目と鼻の先にいる男が握る得物の射線から逸れると、腰を捻って刃を振るう。
刃の射程にまで潜り込まれてしまえば、短機関銃の取り回しでは同士討ちを恐れて引金を引く一瞬の躊躇が生まれる。尤も臆せば白刃の前に沈むが、躊躇いなく激発を繰り返した所で数秒の時間稼ぎと味方殺しの汚名を得るだけだが。
「このガキィッ!」
向けられた銃口を躱し、半瞬遅れた引金によって背後の歴代総理大臣像が穿たれる。
無機質な中身を晒す像を背景に振るわれる刃が敵の命を刈り取れば、漸く塔内部に沈黙が訪れた。
「はぁ……はぁ……粗方片付いたか」
足を止めることなく周囲へ目を回すと、ジンは頭のベレー帽を抑え込む。
触覚で自分が生きていることを実感するが如く。固く、固く握り締める。
展示コーナーは展望台とは異なり、頭上の照明頼りでどうしても明度に差異が生じていた。突入当初は扉から漏れる光量やマズルフラッシュで誤魔化されたが、敵を殲滅した後となっては話が変わる。
疲労とは違う要因で呼吸が乱れている自覚があったのか、ジンは足早に展望台を目指す。
「せめてライトの一つでも持ってくるべきだったか」
後先考えずに自宅を飛び出したことに後悔を抱くも後の祭。
待ち伏せるなら扉周辺というのがある程度共通した認識だったのか。警戒しながら階段を上るも、予想された妨害は存在しない。
代わりに展望台が近づくにつれ、出所不明な轟音と生々しい打撃音が鼓膜を揺さぶった。
錯覚だと断じるお気楽な思考はしていない。誰かが展望台かその近辺で戦闘を行っているのだ。そして塔内部に待ち受ける手合いと、出会ってもおかしくない少女の姿は未だにない。
自然と階を上る足取りは早まり、心臓は負荷に早鐘を打った。
そうして扉を開ける時間も惜しいと、白刃を振るって留め金を切り裂く。蹴り飛ばされた扉の先では薄紫のロングコートを着用した男が左腕を上げていた。
「一生、言ってろ……」
拳を握られ、見るからに疲弊した少女の、ターコイズの瞳がジンを見つめる。
血と汗と涙と涎、そして紫の髪で顔を乱れさせた彼女は口端を微かに吊り上げ、少年へ不格好な笑みを送った。
「ッ……!」
柄を握る手に力が籠る。
最早、ロングコートの男の戯言という雑音以下のものは鼓膜を揺さぶるに値しない。代わりに少女の唇が微かに紡ぐ言が、大気を震わせる。
「別に、絞り出す気も……最期にする気もない……!」
それが意味するものを、ジンは如実に体現した。
「漸く見つけたぞ、三流脚本家ッ」
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