その3
「そこの少年君!」
「あぁ?」
キリコによる捜索の芽は、ヒナワが想像するよりも遥かに早く開花した。
元々同じ高校とまでは絞れていた以上、楽な部類だったとは黒縁眼鏡を持ち上げた彼女の弁である。が、見ず知らずの他者と円滑なコミュニケーションを図ることはヒナワにとっては苦手分野に当たり、難なくこなすだけでも尊敬の念が深まるというもの。
少年の背中を発見したのは放課後。三つある校舎の内、ヒナワ達二年とは異なり一年が在籍する棟の二階。昨年まで彼女達が扱っていた三組の教室から出たばかりの廊下であった。
柄の悪い輩染みた不機嫌な声音で振り返った少年は、確かにヒナワが昨日目撃した彼と同一。
そして少年の方も昨日のことを覚えていたのか、紫の髪を揺らす少女を一目すると露骨に顔を顰めて指を差した。
「んだよ、昨日の臆病者かよ……お友達まで引き連れて何の用さ?」
言外に含まれる大した用事でなかったら承知しない、という圧力にも負けずにヒナワは頭を下げた。
「あの、その……ええっと……昨日はその、助けてくれて……ありがと?」
「何故上擦る?」
呆れた調子で吐き捨てるものの、その場を離れる様子はない。
上擦っているとはいえ礼を言われて満更ではないのか、ベレー帽で視界を覆うと僅かに首を縦に振った。
「ってか、昨日言ったことは覚えてんのか。おい」
「ひっでぇ口の利き方。私が性格の悪い上級生なら虐めもんだね」
「キリコは黙ってて」
へーい、と適当に告げる付き添いの少女を他所に、ヒナワは必死に脳内で言うべき内容を纏めていた。
要は自分の名声を稼ぐために利用させて欲しい、というのがざっくりした内容である。しかし、そんなことを唐突に告げた所で首肯する者がどこにいるか。
せめて相手にも得のある条件を上げるのが交渉のセオリー。だが、少年が白鞘を扱う以外の情報に乏しいヒナワにとって、彼に明確なメリットを提示するのは困難を極めた。
会話を、会話の取っ掛かりを。
必死に回転した彼女の脳は、代替として一つの疑問を思い浮かべた。
「そういえば、君の名前は?」
「俺の名前?
あぁ、そういや名乗ってねぇな」
ベレー帽を被り直し、少年は頬を掻く。
周囲の生徒は放課後ということで続々と帰路へついていた。程なく、少年とヒナワ達を除いた足取りは途絶えることだろう。
必要以上に時間を取りたくないヒナワの思惑に応じるように、少年は口を開く。
「俺は
「双馬……双馬ジン君か。うん、分かった」
ヒナワは何度か復唱し、ジンの名を胸中に刻み込む。
そして忘れていたのはお互い様と、顔を上げると胸に手を当てて自身の名を告げた。
「私は笛波ヒナワ。笛波カソウの娘でシルバ―免許を持った賞金稼ぎ」
「名前は知ってるわ。なんか勢いで言ってたろ、自分の存在がどうたらとか……てか、学生服着てたからまさかと思ったが、マジでシルバ―免許で無茶してんのか……」
「何かおかしい。少なくとも刀で拳銃とやり合う人よりは常識的だと思うけど?」
「非常識だろ。ゴム弾しか使えねぇんだぞ」
ジンに同意しているのか。ですよねー、とキリコも背後で肩を竦めていた。
とはいえ、実弾使用の許可が下りる甲級──巷では自動車免許になぞらえてゴールド免許と呼ばれている──になるためには一八歳以上にならなければならない。
更に二年の月日を待つ程、ヒナワの気は長くなかった。
「そんなに無茶させたくなかったら、君の手を貸して。私はあくまで笛波ヒナワとして有名になりたいだけだから……別に賞金には興味も薄いし」
確固とした意志を込め、ターコイズの瞳が真っすぐジンを見つめる。
会話を交わす内に、言うべき内容は組み立てられた。後は相手が首肯したくなるような形に纏めるだけ。
心配している相手の情につけ込むような手段ではないかと良心が訴える。が、それを見えざる手で握り潰し、ヒナワは透き通る声で主張を続行した。
「私のチャンネルで双馬君の取材をさせて欲しいんだ。勿論、そこで双馬君の名が売れれば君にもメリットはキチンとある。いい話だと思うけど、どう?」
「俺の名も売れる、か……」
わざわざ刀を使ってまで賞金稼ぎをしているのだ。ジンも汲み取るべき事情を抱えているのは明白。ならば名が売れる状況というのは、彼にとっても有益な結果をもたらすはず。
ヒナワの予想は的中したのか、少年は顎に手を当てて思案する。
その間も、宝石を連想させる水色の瞳は絶えず照準を合わせていた。
ジンが首を何度か上下させると、下校を促すかの如くチャイムが鳴り響く。まだ部活動に勤しむ生徒がいるため、見回りに追い出されることはない。
が、あまり意味もなく廊下に立ち続けるのも気が引ける。
まだ悩むようなら場所を移そうか、と提案する直前であった。
「分かった、その提案を呑むわ」
待望の答えが返ってきたのは。
両手を合わせて乾いた破裂音を鳴らすと、ヒナワはぎこちなく右の口端を人差し指で吊り上げた。
「やった。その言葉を待ってたよ、双馬君」
「……んだ、その変な顔?」
「笑顔……のつもりかな」
「そうは見えんが」
「苦手なんだ、笑顔を作るの」
そんなことはどうでもいいとばかりに、ヒナワは右手を伸ばす。
握手を要求されていると理解し、ジンは右手へ視線を落とす。汗ばんだ様子はないが、念のためとブレザーで拭くと差し出された手を掴んだ。
「さっそくだけど、時間は空いてるかな。善は急げっていうしさ」
「ま、空いてないってこともないな」
合意したジンとヒナワ、そしてキリコを加えた三人は高校を後にする。
インタビューを行う場所に頭を悩ませたのは一瞬。キリコの提案したカラオケの一室という案が採用され、三人は目的地を目指して足を進めた。
途中、夕暮れを背後に背負った広大な建造物の雄姿に、思わずヒナワは足を止める。
「……」
不撓の塔。
三年前に発生した総理大臣襲撃事件の跡地に建設された塔は、全長七三五メートルというかつてスカイツリーが打ち立てた記録を塗り替えて世界一高い塔としてギネスブックにも登録されている。内部は歴代総理の活躍を纏めた展覧コーナーなど、素直に面白いとは言い難い内容ではあるものの、それでもギネス効果で新東京を象徴する観光名所として揺るぎない地位を獲得していた。
高度五五〇メートルから覗く新東京の絶景は、今もヒナワの胸中に根付いている。
「あの塔のように、私も世界に……」
「おい、お前が言い出したんだぞ。さっさと行くぞ」
ぶっきらぼうなジンの言葉を受け、ヒナワは先行していた二人に追いつかんと足早に歩を進めた。
インタビューがどの程度の時間で終わるか分からない以上、なるべく早く目的地へ到達した方がいい。それは紛れもない事実である。
やがて三人が辿り着いたのは駅前のカラオケ店。ファントムと描かれた看板はネオンピンクに縁取られ、道行く人々の目に止まらんと煌々たる輝きを放つ。
店内へ足を進め、会員証を所持していたキリコのお陰でスムーズに受付から部屋まで案内された。
室内では六人は座れるだろうスペースと途中で折れ曲がった長椅子、そして今月追加されたばかりの新曲のPVが来客を歓迎していた。ヒナワは近くのリモコンを掴むと音量を最低値にまで下げ、鞄から撮影用のカメラなどを取り出す。
「随分と手際がいいな……」
関心か、それとも呆れか。
ジンのぼやきなど意にも介さず、瞬く間にヒナワは即興の撮影環境を整えた。その間にキリコはドリンクバーから適当なジュースを三人分用意し、自分用の赤いドリンクに口をつける。
しかし思い出したように手を止めると、ヒナワは一旦鞄の中から携帯端末を取り出して素早く画面を叩いた。
『今日は外で食べるから晩御飯はいらない』
『分かったよ。だけど今度から要らない時はもっと早く教えてね』
待ち構えていたかのような素早い返信に罪悪感を覚える。が、頭を振って脳内から追い出すと、準備していた機材の最終調整を開始した。
「先に言っとくけど、全部の質問に答えろとかの無茶ぶりは止めろよ。俺にも隠してぇことはあるんだからな?」
「そこまでは期待してないから安心して。無理なものは無理って言ってくれればいい」
「なるほどな。ってか、こういうのって事前に質問内容とか纏めるもんじゃねぇの?」
そこまでアドリブに期待すんなよ。と流暢に語る姿は、ヒナワにとっては充分なトーク力を有しているように思えた。
一方でキリコは、我関せずとメニューを物色していた。昨今のカラオケ店が抱える事情からして、値段さえ考慮しなければ味は保証できるだろう。
とはいえ、配信途中で店員に乱入されても困る。
「何か頼むんだったら先に頼んでてよ、キリコ」
「はーい。それじゃ、お言葉に甘えてっと……」
メニューと目を合わせ、悩む時間は短い。
固定式の受話器から注文を告げると、程なくして店員がお盆を片手に入室する。
「お待たせしました。ご注文のピザと杏仁豆腐、それとコーンスープです」
「あざまーす」
手早く並べられた料理の数々に目を輝かせるキリコ。両手をすり合わせる様は、どれほど待ち望んでいたのかの一端を垣間見せる。
すると不意に両掌をヒナワ達へ向けた。
私のことは気にせず、勝手に配信を開始しといて。
言外に含まれた意味を汲み取ったヒナワは、まだ開始してないけどと嘆息し、幾つかの操作を再開する。
最後に配信サイトでライブ配信の枠を取りつけ、カメラのレンズを自らへと注ぐ。
ジンへわざとらしく三本の指を立て、一本づつ折り曲げる。
「はい、皆さんこんなみー。今日も笛波チャンネルに来てくれてありがとー」
配信開始に合わせて首を傾げ、左手で口端を吊り上げる。
「今日は突発的になってごめんね。でもその分、いいゲストの方が来てくれたんだ。彼からインタビューして、色々聞いていくからよろしくね」
それじゃ、もう少し待ってからそのゲストは紹介しようかなと続け、ヒナワはそれなりのトークを披露した。
凡庸で特筆に当たらない退屈なトークに、ジンは端から耳にして欠伸を浮かべる。視線を逸らせば、キリコはピザを口に運びながら手元の携帯端末で配信サイトを開いていた。尤も食と視聴のどちらに比重が置かれているかは、明白であったが。
すると、カメラがジンの方を向く。
それに合わせ、ヒナワも彼に発言を促した。
「それじゃ、今回のゲストである私の命の恩人、双馬ジン君の登場です。どうぞッ」
「え、まぁ……はぁ。ご紹介に預かりました、でいいのか。双場ジン、よろしく」
「はいッ。昨日の配信を見た人なら知ってると思うけど、彼は世にも珍しい刀で賞金稼ぎをやってるんだ。どうして刀を使ってるのかな?」
簡単な自己紹介を差し於いて最初の質問に据えられるのはともかく、これは想定できた質問。
ジンは道中で考えていた答えを持ち出す。
「銃刀法の関係。高校生だと拳銃ならゴム弾使用になるけど、刀は小太刀程度の刃渡りは使えるんだわ」
「へぇ、知らなかったな。そんなこと」
大袈裟に肩を竦めるヒナワだが、無理もない。
一五年前に行われた法改正は拳銃所持の合法化ばかりがマスメディアに取り上げられ、刀に関しては新聞やアングラよりのネットサイトでひっそり添えられた程度でしかないのだ。周知度には雲泥の差があり、ジンも別の事情がなければ意識することもなかった。
気を取り直すように拍手を一つ、ジンは画面外で咄嗟に柄を握る。一瞬だけ満ち満ちた剣気に、ヒナワが気づいた様子はない。
「それじゃ次の質問。刀って色々流派とかあるらしいけど、君の剣術は何流なの?」
「拳銃だって、んなのあるんじゃねぇのか。そして俺のは強いて言えば我流、近くに習える人はいなかったし、ヤクザものの映画が先生だ」
「それで白鞘を……」
「そういう訳よ」
得意気に語ってみるも、冷静に思慮すれば創作物が技の師というのは些か恥ずかしいのではとジンは頭に被ったベレー帽で顔を隠す。頬が紅葉した所を撮られてなければいいが、と嘆息を加える。
彼の気持ちなどお構いなしに、ヒナワは配信を続行。
「それじゃ次の質問……は、潰れたんだった。だったら次の……次の?」
「おいおい、まだ色々聞けるだろ。普段はどうしてるのかとか、高校生で賞金稼ぎとか誰か追ってるじゃないのかとか」
「あ、あぁ……そうだね。じゃ、それで」
「じゃ、ってなぁ……まぁいいや」
随分と杜撰な質問コーナーである。
内心で突っ込みを入れつつ、ジンは自ら配信に乗った理由の一つを明かす。
自身の名を売るメリット。それは目的に沿った情報を不特定多数から受け取る可能性が向上すること。
「俺はある人物を追ってる。つっても、そいつの名前も知らなければ、顔もよく分からんのだが……
記憶にあるのは朧気な、変な形状の拳銃。よく見るヤツとは結構形が違うっぽい、そんな得物を持ってる奴だ」
知らず、ベレー帽を握る手に力が籠る。
夜の帳に紛れ、他者の平穏を奪い去ることに何ら痛痒を抱かぬ人格破綻者。自らの正体を隠すためには、五歳の幼い女の子を手にかけることすら抵抗のない悪鬼を屠る。
「そいつに俺の手で報いを与える……それが俺の目的だ。だからどんな些細でもいい、なんか知ってることがあれば教えて欲しい……!」
言い、ジンは頭を下げた。
言葉にならない苦悶の叫びが伝わったのか。ヒナワのみならず無言で食事を続けていたキリコの手をも止め、視線を彼が独占する。
沈黙が、カラオケの一室を支配した。
外から漏れ聞こえる流行りのイントロだけが時間の経過を告げる中、沈黙を断ち切ったのはヒナワの手拍子であった。
慣れた手つきでカメラを自身へと向けると、ぎこちない笑顔を配信画面へ晒す。
「……はい。とのことだから、皆も何か知ってることがあればコメント欄に書いちゃってね。
それじゃ、今日はここまで。今度の配信は激突、拳銃対刀でお送りするよ。皆、おつなみー!」
お決まりのフレーズで配信を終えると、ヒナワは視線をジンへと注いだ。
「なんだよ、最後の企画は。聞いてねぇぞ、んなの」
当然、ジンは突然告げられた企画が明らかに自身の存在が前提であることに不満を述べる。が、ヒナワは意にも介さず言葉を続けた。
「皆知りたいと思うんだよね。君の強さを」
昨日の状況はあくまで不意打ちに過ぎず、懐にまで跳び込めば誰にでも再現可能な領分。
ただでさえ貴重な存在の、映像に残っているのかも不明な戦闘風景など衆目を集めるお題目には持ってこいである。
ヒナワは口端を吊り上げ、美貌が台無しになる不格好な笑みを浮かべた。性悪が行う仕草であらばもう少し違う感想を抱くのだろうが、ジンには単なる笑い慣れていない者なりの笑みに見えているのは幸か不幸か。
「それに、私も君の言ってた理由は知らなかったしさ。情報が私のチャンネルに集まるんだから、もう少しくらい協力してくれてもいいんじゃない?」
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