白刃演舞の少年譚
幼縁会
プロローグ──クローゼット
明かりの途絶えた住宅に、乾いた音が何度か響く。
それを手拍子と解釈した少年は、僅かに開けていたクローゼットの扉を閉ざし、暗がりの中に息を潜めた。
今日は妹の我儘を聞いて、家族総出でのかくれんぼ。
鬼役は父。母と兄妹は各々が好きな場所に隠れている最中である。
本音を言えば、少年は眠気眼。気を抜けば意識を手放してしまう程に眠い。それでも兄として、そして家族と遊ぶ一人の子供として、限界を迎えるまで楽しもうと後先考えずに起き続けていた。
すると、フローリングを叩く裸足の音が鳴り、暗がりの奥から色が割り込む。
「おにーちゃん、そこ入れて」
顔を出したのは、大人用のベレー帽を被った妹の姿。ズレ落ちないよう、両手でサイズの合わない帽子を抑える様子は愛おしさすら覚える。
しかし手拍子が鳴り止み、鬼が動いているだろうタイミングで扉を開かれるのは、兄としては不都合であった。
「やだよ。シンカはベッドの下にでも潜ってろよ」
「やーだ!
あっこ前におとーさんに見つかったもん!」
舌足らずな語調に普段ならば即座に根負けしていた少年だが、今から扉を開いて妹を入れるのはリスクが高過ぎた。
父は耳がいい。
こうして会話を交わしているだけでも、見つかる可能性は加速度的に上昇しているのだ。
「だったら、おもちゃ箱の中でも入ってろよ。こっちはもうマンセキなの」
つい最近耳にした言葉を自慢気に使いつつ、指差した先は玩具を乱雑に詰め込んだカラフルな箱。中身をひっくり返しさえすれば、五つの妹が隠れるにはちょうどいい広さのはず。
それでも不満を覚えているシンカは、頬を膨らませて大きな水色の目で兄を睨む。
「やーだー!
片づけるの大変!」
「分かったよ。片づけは僕も手伝うから……それでいいだろ?」
「ホントー?
そんなこと言って寝ない?」
「寝ないよ……」
何でもいいから早く話を切り上げたい少年は、シンカと目を合わせることなく相槌を打つ。それでも満足したのか、分かったという快活な声を上げると反転し、妹はおもちゃ箱へ向けて歩を進める。
漸く収まったと、安堵の吐息を漏らした少年は素早く扉を閉ざす。
刹那。
立てつけの悪い音が鳴り、乾いた鋭い音が響く。そして質量のあるナニカが扉へ衝突し、にわかに揺れた。
夜間に不釣り合いな轟音に身体を強張らせ、少年は扉へと手をつける。
が、先程衝突したナニカが邪魔しているのか。いくら力を込めても扉の動く兆しすら伺えない。
「シンカ、どうした。シンカー!」
内側から叩き、少年は声を上げるも返事は皆無。
鼻腔を不快な臭いがつんざき、焦燥に駆られた少年は再度扉を叩く。
何度も。何度も。何度でも。
それでも、不自然なまでにあらゆる応答は存在しない。仮にシンカがかくれんぼを遵守していたとしても、部屋の外にいるだろう父や母が急行すれば済む話なのに。
異変は、足下から。
足裏に水気を覚え、恐る恐る視線を落とす。
「ッ……!」
粘度が高く、嫌に生暖かい感触。生理的嫌悪をもたらす、不快な鉄の香り。
その全てが少年を絶句させ、扉を叩く拳に力を加える。
「出してッ、ここから出してッ。お父さんお母さん、シンカッ!」
どれだけ強く叩いても、どれだけ声を張り上げても。
父の背中も母の抱擁も、妹の可愛らしい声も返っては来ない。ただただ残酷な、無機質なまでの静寂だけが少年に応じる。
皮が剥げ、握る拳に血が滲む程に叩き続けた甲斐もあってか。極僅かに扉が押され、暗がりに一つのシルエットが浮かび上がった。
尤も、所詮は光の途絶えた夜の光景。
顔の輪郭も分からなければ、体格の出づらい衣服に覆われて男女の区別さえもつきはしない。
それでも、ただ一つ異質なものが視界に映る。
「……あ」
おもちゃ箱の中に入っている玩具や、時折テレビで放送されている物とは趣きの異なる、奇妙な形状の拳銃。造詣に詳しくない、未だ七つの少年ですら異質と感じる姿の得物が誰かの右手に握られていた。
クローゼットからの声は同じ部屋にいる相手にも筒抜けのはず。
だが、少年など気にする価値もないのか。もしくはそれほどに時間が押しているのか。
彼は身を翻すと、出口へ向けて歩みを進めた。
当然、少年は相手を止めようと身体を動かす。しかし、扉に置かれたナニカは未だに開閉を妨げており、少年を暗がりの中へと閉じ込める。
「待てッ、待てッ、待……!」
何度か声を張り上げ、腕を僅かな隙間から伸ばす。
その時であった。
「ッ……!」
言葉が、止まる。呼吸が止まる。恐怖で心臓が震え上がり、身を割く衝撃に鼓動を止める。
夜目に慣れたのか。扉の開閉を妨げていたナニカの姿が鮮明に浮かび上がったのだ。
土気色に染まった顔へ血の化粧を施した、事切れたシンカの姿が。
「シン、カ……?」
戸惑いと、動揺。
混乱した口が漸く絞り出した名に、少女だった肉塊は無言で返す。
力なく不自然に傾げられた首は、重力に引かれて開かれた口と驚愕に見開かれた目との相乗効果で少年へと問いかける。
「たすけて」
それが幻聴だったのか。
もしくは肉塊にしがみついていた魂が発した、最期の言葉であったのかは分からない。
事実関係を確認する術を持ち得ない以上は関係ない疑問であるし、何より少年にとっては二の次以下のどうでもいい疑問でしかない。
「ア、アァ……アァァァァアアアァァァッッッ!!!」
少なくとも妹と酷似した瞳を持つ少女と出会う八年前、家族を惨殺されたという事実と比べれば。
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