裏社会にて闇医者少女より

彗霞

第1章

プロローグ

第1話 闇医者の少女

 男は狭い路地を走っていた。それを示すように鮮血が滴り落ちる。彼が向かうのは数の限られる闇医者のところだ。走るうちに小綺麗な、裏社会には似つかわしくない家が見えた。


 彼は必死にドアを叩いた。


「開けてくれ!致命傷を負った!」


 叫んでいる。すると女性らしき少し低い声が響いた。


「入っていいよ。空いてる」


 男はドアを開けて室内へ飛び込んだ。するとスツールに腰かける黒いタイトワンピースの上から白衣を羽織った銀髪の女が振り返る。


「致命傷って言う割に元気がいいじゃない」


 短く切り揃えられた前髪から濡羽色の瞳がのぞき、時折白藍びゃくらんの瞳孔が煌めいた。


「腹を撃たれたんだから仕方ないだろ、濡羽姐ぬればねえさん」


「前、防腐剤打っといたからもう塞がってるけど」


 弾も貫通してるし、と言う。


「待て待て待て。防腐剤ってなんだ?勝手なことすんなよ、俺の体に!」


 男はキレだす。


「達也が怪我してはうちに来るから面倒になって」


 いわく、防腐剤とは肉体を腐らなくし、空気に血液がふれた瞬間固まるようにするための薬だそうだ。よく見ると腹の傷も塞がりかけている。


「一応消毒と包帯だけ巻くから」


 と言いつつ彼女は処置を始める。男━━━━五十嵐達也いがらしたつやはがっくりと肩を落とす。


「?どうしたの」


「自分の体に薬入ったって聞いて安心した自分呪ってる」


 くすくすと少女は笑う。


「いいじゃない。安心すんならそれで」


 達也は目を大きく開き、そうだな、と笑った。


 本日━━8月1日のカルテ。五十嵐達也、男性。身長179cm、体重70kg、A型。腹部に射出創しゃしゅつそう。防腐剤により、塞がっていたため消毒、包帯のみ巻いた。11回目の来院(怪我のため)。


 翌日。


「 濡羽ー、来たよー!」


 ドアを開けて少年が入ってきた。振り返るともう室内に立っている。 黒髪ボブに白鼠しろねずのメッシュが右耳にかかっている。


 金色の細いイヤーカフとチェーンで繋がったサファイアのピアスが淡くきらめいていた。丸く大きな瞳は露草つゆくさ色で瞳孔はあおい


「いらっしゃい、今日はどうしたよ」


「30人分の防腐剤のおつかいだよぉ」

 可愛くぺろりと舌を出す。


「今取ってくるから座ってて」


 もう一つ椅子をとりだす。


「りょーかーい」


 返事をしてちょこんと座っている。少女はガサガサと棚を漁り、注射器とどろりとした、 何色とも言い難い液体の入った10cmの細い容器を30本ほど 用のクーラーボックスに入れる。


「注射器毎回変えなよ」


 一応の忠告。


「はーい。 あとついでにお昼持ってきたから食べようよ。コシュマールうちの料理人特製のお弁当だから美味しいんだー」


 コシュマールとはフランス語で悪夢を指す言葉である。そしてそれにとてもお似合いな━彼の所属するマフィアの名前だった。


 可愛らしい容姿と笑顔の彼━━樺已瑠禾かんばし るかはコシュマールの三大幹部、 蒼玉そうぎょく紅玉こうぎょく翠玉すいぎょくの中の蒼玉を冠する。


 サファイアを指すこの位に似合う涼やかさと可愛らしさを兼ね備えた少年━━━━とはいえ19歳なのだが。


「お待たせ。食べようか」


 木でできた小さめのテーブルを動かす。少し手間取っていると


「手伝うよ」

 瑠禾が小柄ながらもひょい、 と持ち上げる。


「……ありがと」


 若干バツが悪そうにむくれている。


「どうかした?」


 きょとんとする瑠禾。


「平気。 食べるんでしょ?」


「うん、今日はサンドイッチなんだー!」


 ハム、チーズ、レタス、トマト、エビ、サーモン、など色とりどりの食材が挟まれたクロワッサンを取り出す。


「美味しそう」

 目をキラキラさせている少女。


「かわいいなぁ」


 独り呟く。いつも姉貴のような一面を見せている濡羽の16歳の少女らしい姿を見ては思う一応3歳上のお兄さんである。


「でしょ? 喜んでくれてよかった」


 ぱあっ、と微笑む。 その笑みはいつもの明るいものではなく大人のつやを帯びていた。


 しかし、瑠禾の顔色を見て直ぐに立ち上がる。


「ねぇ、顔色おかしいんだけど。怪我してるんじゃない?」


 手当てするから待ってて、と有無を言わさず立ち上がる。


「あちゃあ……」


 ため息をついて、サンドイッチをひとつむ。


 首の縛られた跡に処置を施した後、栄養剤を処方する。


「敵に拷問でもされたの?」


「事務仕事ばっかりしててね。疲れてやられた。あー、もうやだぁ!」


 ごねているから軽く窘め、膝枕してやる。しばらくして、眠った頃に達也が入ってくる。


「姐さん、なんで膝に蒼玉が……」


「まぁまぁ。なんでいるの?」


「ちょっと話があってな」

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