忘れられない夏休みがはじまる
第2話 七月二十日(1)
昼の食卓には素麺と冷しゃぶサラダが並んでいた。
畳敷きの古風な部屋にある座卓を挟んで、二人の少年少女が座っている。その机上に並ぶのは二人分の食事だ。
「……一つ聞きたいんだけど、
少女は机の上を一通り眺めてから、首をかしげて少年――――日笠に尋ねた。
問われた日笠もまた首を傾けて返事をする。
「そういう訳ではないけど。なんで?」
「いや……一週間ずっと素麺だから」
「あぁ、だって
この昼食を作ったのは日笠だった。
一週間前、ここに引っ越してきたとき初めて作った昼食が素麺だった。彼女――――水海が美味しそうに食べながらそう言っていたので、それ以来毎日昼食は素麺だ。
「比喩表現だよ……?」
「えっ」
思わず変な声が出てしまった。
その可能性を考慮していなかったので驚いた。確かに比喩として使う表現だが、日笠自身が別に毎日ずっと素麺でもいいと思っていたので真に受けていたのだ。
「あー……ごめん」
「ううん、こっちこそ紛らわしい言い方してごめん。ずっとは嫌です」
お互いに謝罪したが微妙な空気が流れている。
水海は気まずそうに、長い髪をくるくる指に巻いた。
「えっと、じゃあそれ俺が食べるから他の食べていいよ。冷蔵庫になんかあるからさ」
「いやいやいいよ、食べる食べる。素麺おいしーし」
水海は美味しそうに素麺をすするが多分強がりだろう。
飲み下してから、彼女は日笠に尋ねる。
「逆に日笠くんはずっと素麺でも大丈夫なの?」
「え、うん」
「飽きたりしない?」
「飽きるけど、まぁ飽きても食べられる……よ? 三食全部素麺だとさすがに嫌だけど、昼だけなら」
実際今も飽きてはいるが、食べることは苦ではない。「飽きたなー」とは思うが。
第一素麺は調理が楽だ。ちょっと沸騰したお湯に入れてわかせばあとは余熱でなんとかなる。暑いけど。
それだけでは栄養が偏るのでたんぱく質の確保のために豚をゆでて冷やして冷しゃぶを作ったが、正直料理は得意じゃないし好きでもない。難しい料理は作れないし新たに習得するようなやる気もなかった。
水海はまじまじと日笠の手元と顔を交互に見る。
「……そういえば、留置所にいた時も私にメニュー選ぶ権利譲ってくれて、ずっと日替わり定食食べてたよね。あれってもしかして、私に気を使ってくれたんじゃなかったのかな……?」
「うん、まぁそうだね。だってさ、ほら、日替わり定食は……日替わりじゃん?」
日笠は自分の言いたいことをうまく表現できず、もどかしく両手をわたわたと動かした。
水海は神妙な顔で頷く。
「言いたいことは分かる。要は毎日同じのじゃなければいいってことでしょ?」
「そう、そうなんだよね」
簡単に言えば、食にこだわりがないのだ。
生活習慣病は避けたいので栄養バランスは気になるが、それだけ。
さすがに毎日三食ずっと同じメニューだったら抗議するだろうが、毎日違うメニューを食べられれば日笠的にはそれで十分だ。
実は一応、食べることが好きな水海のために主菜や副菜は変えていて、それで十分だと思い込んでいたのだが、すれ違っていたようだ。
「明日からは素麺以外にするよ」
「ほんと!? あ、でも……素麺の在庫がたくさんあるんじゃない?」
「それは、あります」
いちいち輸送してもらうのが面倒だし手間をかけるのも申し訳ないので素麺は大量に持ってきてもらって備蓄してあった。思い返せば持ってきてくれた輸送担当の
今も素麺の在庫が戸棚でうなっているのだ。
「ならいいよ……もったいないし毎日食べる」
水海はへにょへにょしたガッツポーズをして見せた。戦う意志はあるがげんなりしている感じだ。
「いいんだって。日持ちするし、あとで俺がもらって食べるからいいよ」
「あーそっか。私が死んだ後に日笠くんが食べてもいいんだもんね」
その言葉に一瞬ドキっとする。動揺が態度に出そうになって、すぐにおさえこんだ。
確かにそういった意を含めての発言だったが、そんなにあっけらかんと言われると言葉につまった。
自然と彼女の右手に刻まれたタトゥーのような模様に目がいく。茨が腕に絡みついたような模様と、所々に古代文字じみた不思議な記号がちりばめられたそれは、平凡な少女に見える彼女の唯一異常な部分だった。
水海は特に気にした様子もなく、素麺をすすりつつ首をひねっている。
「でもね、私も毎日じゃ無ければ全然素麺でいいよ! 三日に一回とか」
「それは比喩表現じゃなく?」
「勿論!」
彼女は笑顔で頷いた。
心境を推し量るのは得意ではないが、これは信じてもいいのではないだろうか。しかし念には念を入れて、一週間に一回くらいにしておこう、と心に誓う。
「てか良かったら私お昼作ろうか? 日笠くん大変でしょ」
「え、水海料理できるの?」
「うん。できるよ」
あっさり言われて拍子抜けしてしまった。思わず頭を抱える。
この一週間、得意ではない料理を頑張って作っていたが徒労だったようだ。
「早く聞けばよかった……なら料理当番交代にするか」
正直彼女に料理が出来そうなイメージが全くなかったので聞くこともしなかったが失策だったらしい。改めて考えると食に興味がある彼女のことだから、料理に手を出している可能性も高いだろう。どうしても料理という生産的なものと水海の印象が結びつかなかった。
「いいよー。でも日笠くんこそいいの?」
「何が?」
「敵だった人が作った料理、食べたくないかと思って」
水海と日笠はかつて敵対関係にあった。
正確に言うと、彼らの所属する組織同士が敵対していたのだ。
「……俺、食べられるならなんでもいいから」
「そっかぁ、毎日素麺でもいいんだもんねー」
「うん、それに毒物入ってても感知できるし」
「ならもっと安心だね。よしよし、じゃあ交代制ってことで!」
毒物を入れるかもしれないと思っているというニュアンスの含まれた発言を日笠がしても、水海は一切気にしていない様子だった。本当に全く意に介していないのか、上手に隠しているのかは分からない。
何はともあれ負担が減るのはありがたい。
料理、好きな人は好きなのだろうけど、好きでも何でもない日笠にとっては一日三回訪れる苦痛でしかなかった。気軽に人を増やしてもらうわけもいかないし、二人でなんでもまかなっていかないといけない。
「明日は何作ろうかなー。日笠くん、好きな食べ物とかないよね?」
嫌いな食べ物ある? のニュアンスでそういう風に聞かれることってあるんだなと思った。
日笠は食事の手を止めて考え込む。
「……なんでも割と好きだよ」
「好き嫌い無いのは良いことだけど、一番困るんだよなぁ」
「なんかごめん」
日笠は好きな食べ物という概念があまり理解できないでいる。
学校や家では出されたものを食べるだけ。友達と食事に行った時はすこし困るが、大体一番人気のメニューやおすすめ、もしくはメニューの先頭にあるものを頼んでいた。
好き嫌いがないのでなんでも美味しく食べられるからこそ、「何が食べたい?」と言われると困るのだ。
「水海の好きなメニューでいいよ」
「そう? ……じゃあカレーだ!」
「いいね、カレー。うん、多分材料もあると思う」
カレーは一回作ったのでカレールーは在庫がある。にんじんとじゃがいも、たまねぎあたりはよく使うので残っているはずだ。彼女が本格カレーを作りたいとすればスパイスなどは足りないが、まぁそこまではやるのはさすがに控えてもらおう。
水海は日笠の発言に目をぱちくり瞬かせる。
「全然材料のこと考えてなかった」
「後で一緒に在庫チェックしよう」
配達の都合上、出来れば仕入れはまとめてやりたい。当面は在庫で乗り切るが、次の仕入れでは彼女の要望をもっと取り入れることにしよう。
早めに気づいてよかった。二人での夏は、まだまだ始まったばかりなのだ。
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