タクシー運転手の話

犬歯

タクシー運転手の話


 ―そう言ったタクシー運転手は私よりは少し年上で、それでも他のタクシー運転手と比べると比較的若い部類の運転手だった―


 これは私が20代の頃、ある出張の際に出会ったタクシー運転手の話だ。もう何十年も前の話だが、このタクシー運転手の話は喉に刺さった小魚の骨のように未だに忘れられることができない。


 その頃の私は新聞記者の端くれで、地方新聞の端のコラムを書くといった仕事をするようなしがない記者だった。つまり、記者といっても私がやっている仕事はまるでジャーナリズムとは言えぬ、村上春樹の小説になぞらえて言えば「文化的雪かき」だった。


 その日の北海道は祭りの賑わいによる人いきれと積雪のコントラストがある種の異様さを作り出していて、私は祭りの取材のためにそんな北海道をあてもなく漂っていたタクシーに乗った。その運転手はタクシー運転手にしては精悍な顔つきで若さを感じた。実際若いのだろう。そして今まで出会ったタクシー運転手とは違う、ただ静かな男だった。静かな男が運転するタクシーはラジオを垂れ流している。そうすることで一応の整合性を取ろうとしているかのようだった。そして、そのラジオといえばショスタコーヴィチの「革命」を車内に響かせている。

 私はあの若きショスタコーヴィチの理知的な目が好みだった。そういえばと思い返し、バックミラーを覗くと、ショスタコーヴィチのような理知的な、そしてショスタコーヴィチとは色の違う黒い瞳をタクシー運転手は持っていた。


 「運転手さんはショスタコーヴィチを聞かれるのですか?」沈黙に耐えかねた私は思わずそうやって質問をした。運転手はバックミラー越しに私の姿を一瞥すると、

 「そうですね、割と好きかもしれません」と答えた。

 私はこの答えを聞き少し身構えてしまった。今の日本で、思想と音楽を結び付ける人間は少ない、しかし社会主義の音楽には記者として警戒してしまう。ましてや、社会主義リアリズムとも称される、ショスタコーヴィチの音楽なら尚更だ。彼はスターリンを恐れた多くのソ連人音楽家と違い、当局からは高い評価を得ていたのだから。(それもこれも彼の周りが皆粛清されたから、仕方のなかった一面もある)

 とはいえ、記者といえどもその多くはそこまで敏感ではない。寧ろショスタコーヴィチは多くの人に崇められるような存在だ。しかし私はそういう問題に人一倍敏感でなければならない。そう先輩から教わった。

 彼も私が身構えた事が分かったのか、私の方をもう一度見た。しかし私もショスタコーヴィチが嫌いなわけではないため、次の言葉をどう発声すればいいか分からなくなる。すると今度は彼の方から話しかけてきた。

 「お客さんは、どんな仕事されているんですか?」

 「そうですね、地方新聞の隅に散文を書くような仕事ですよ」私はそう答える。

 すると彼は「それはいい仕事だ。文章を書く仕事というのはそれだけ崇高なものです。それにしがらみのない文章はよりいい」と少し声のボリュームを上げて言った。

 私は「彼は、記者の仕事というものを知らないのだろう」と、そう結論付けた。記者という仕事はしがらみのある文章を書く仕事だ。それに文章を書く仕事というのは必ずしも崇高ではない。そう言うのはいつだって耽美的な優性思想を持つ、似非ブルジョワだけだ。

 「いえいえ、そんな仕事じゃありません、私はただのロボットのような人間ですよ。言われたことを、ちょっと奇をてらって書くのが仕事です」無知な彼に私は当たり障りのないように返答した。彼はその辺が敏感なのか、それとも私の口調が鼻についたのか、少しむくれたように、バックミラーから目を外した。外では札幌の雪景色が太陽の光を反射し、光にあてられた時計台がキラキラと光っている。タクシー内部の時間は悠然と流れ、沈黙は夏のにわか雨のように突如として訪れた。


 彼と会話してからどれだけ経っただろうか。祭りと積雪も相まって札幌の道路は渋滞していた。そのため景色は変わっていない。しかし確かに時間は流れている。

 昔、ある大学の教授にインタビューをしたことがある。「時間は意識すればするほど流れるのが遅くなると言います。しかし時間の本質など誰にもわかりません。エントロピーの増大が時間の流れを定義するというが、私に言わせてみればこれも必ず正しいとは言えない。時間というのはそれほど未解決の問題なのですよ。しかし、人はあたかも時間が確実なものだとして語る、おかしな話です」その大学教授はインタビュー内でそういった。このタクシー内の沈黙の中でその言葉だけが、実在的になっている気がした。


 タクシー運転手はちらちらと私の様子をバックミラー越しに見ていた。私はと言えば、やることもないので文庫本を片手にラジオに耳を傾けている。タクシーは先ほどから全く動かない。

 手持無沙汰になった彼は空調の温度を少し上げた。運転席にあるエアコンからの風は後ろまで届き、その風は文庫本を少し揺らした。そして彼はもう一度バックミラー越しに私の姿を見ると「」と私に向かって呟いた。突然の事だったので私は何も言えず、ただバックミラー越しに私の姿を捉えるショスタコーヴィチ似の黒い瞳を見つめ返すことしかできなかった。そもそもそれは独り言なのか、私に向けたメッセージなのかも分からなかった。

 私は文庫本を一度シートの上に置き、もう一度彼の方を向いた。彼の方はもう私の方は見ていなかった。そして彼はひとりでに語りだした。

 「僕はもともと、作家になりたかったんですよ。でも諦めた。いや、ちょっと違うな、諦めたというか気づいたんです。ほんとは作家になんてなりたくなかった。ただ作家になれば悠々と日々を過ごせると思ったんです。でもいつしかそれはすり替わっていった。

 僕はね、文章を書くのが嫌いになったんです。それに気づいたときは驚きましたよ。だからこうして文章とは無縁の世界に生きているんです」

 一息に彼は喋ると、もう一度だけ私の方を見ると、もう何も話さないというように口を固く結び、目的地に着くまでは一言も話さなかった。私の方も連日の取材の疲れからか、そのまま眠りこけてしまった。

 目的地に着くと、タクシー運転手は「ご利用ありがとうございました」と私に目を合わさず言い、金を受け取るとそのままどこかへ走り去った。


 それから何十年たち、私は一面を任されるようになった。多くの人から称賛されることも多くなった。それでも称賛を浴びるたびに彼の言葉がフラッシュバックする


「人生は連続的な不連続線の上を跨いでいるようなものです」


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