すばらしき男たち

京塚浩一

すばらしき男たち(1話完結)

 今日も安い居酒屋で、悠真ゆうま蒼太そうたは飲んだくれて女性上司の愚痴を言い合っていた。

 二人とも30代前半で同い年だ。

 数年前の同窓会で再会してお互いの職場が近いことが分かり、たまに連絡を取ったり飲みに行ったりしている。


 悠真は独身で、派遣社員で働いている。

 蒼太は正社員で働いていて、結婚はしているが子供はいない。


 細面の悠真がジョッキビールをごくりと飲んで言った。

「強引な山奈部長と、部長にべったりの湯島課長がいて……。皆、上司の顔色ばかり伺ってるよ。なんだか毎日息苦しくて、やってられないよ」


 多少、恰幅がいい蒼太がこくりとうなずいてビールを飲み干した。

「俺も同じさ。月山課長がさあ、いつものように無理なスケジュールを押し付けて皆が疲弊しているんだよ。俺がチームのリーダーだから皆は俺に文句を言ってくるし」


 悠真が言う。

「でも、お前はいいよなあ、正社員になれて」

「何言ってんだ、俺が派遣から正社員にしてもらうためにどれだけ苦労したか……部長に気に入られようと……俺は……体まで……」

 蒼太は、かぶりを振って話題を変えた。

「そういえば、ちょっと前に一緒に飲んだ、うちの会社の将也まさやって知ってるか?」

「ああ知ってる。お前の一つ下だっけ?」

「あいつ、課長になったんだよ」

「へえ、すごいな」

「でも、つらいって言ってたぜ。女社会の中で男が頑張るんだもんなあ。昇進祝いの飲み会で、さっそく女性上司に囲まれて、いじりたおされたらしいぜ」


 ちょっと童顔の将也が女性達にいじられている姿を想像して、二人とも少しにやにやした。


「関係、迫られるんだろうなあ……」

「そりゃそうさ。でもどの上司につくのかな? ひいきにする上司を間違えたら、えらいことになるからなあ」

「でもさ、自分より一回り以上年上の女に迫られるんだぜ。それってどうなんだろう?」

 ふたりともその情景を思い、少しうっとりした表情になった。


「ああ、俺もそうやって女性に愛されてみたいなあ」

ぽつりと蒼太が言った。

「蒼太、お前には、かみさんがいるじゃないか。美人の……」

「でもさあ、やっぱり怖いんだよ」

「何が?」

「俺はこきつかわれているんじゃないかって……。彼女の方が出世してるし仕事が忙しいから俺がごはんを作ったり、仕事が遅くなったら送り迎えして。それに彼女が最近、俺を抱いてくれないから悶々としてたら、

『なあに、したいの?』って……

『はい』って言ったら

『仕方ないわね』って微笑んで

『ちゃんとやってね』って。

 すぐいっちゃったら、怒られて……そのまま朝まで、3回も……」


「それはつらいな」と悠真。

 何だかうらやましそうな表情だが。


 悠真が言った。

「子供はつくらないのか?」

「おかみが今は産みたくないんだってさ。でも男が生まれたら、がっかりするだろうなあ。やっぱり子供が産める女がいいよなあ……」


「痛たたっ」

 悠真がお腹を押さえて少し顔をしかめた。

「おい、大丈夫か?」

 アレが始まったみたいだ。

 男の哀しい性。

 月に一度の。

 溜まった精液が強制的に排出される予感。

 始まると、2~3日この状況が続く。

 お腹も痛いし、突然、排出された後は虚脱感に襲われる。


 悠真は急いでトイレに駆け込んだ。


 席に戻ると、二人の隣の席で飲んでいた中年女性3人が少しにやにやしながら悠真を見た。


 悠真がぽつりと言った。

「女はいいよな……」

 ぐびりとビールを飲む。

「女にもこの苦しみ味わって欲しいよな……」


 蒼太が言う。

「女に分かる訳ないよ……この気持ちなんか」


 男に比べると女性の生理は単純だ。

 女性は、男性と肉体関係を結んだ時に、自動的に排卵する。

 男のような面倒な生理現象はない。

 その分、妊娠する確率は高い訳だが。


 男の生理はこのルーティンがほぼ一生続く。

 この面倒な生理現象が。


 俺たちは店を出た。


 駅前のロータリーに選挙カーが停まっていた。

 選挙カーの上で20代の若い男が必死に訴えていた。

 垂れ幕には

「男性にも権利を!」

の文字。


「みなさん、特に男性の皆さん! あなたは差別されていると思いませんか? 毎日、一生懸命働いているのに、なんで自分の生活は豊かにならないんだろうって。なんで女性ばかりが優遇されるんだろうって……」

「勉強をして頑張って、会社にもなんとか就職して、夢を持って働き出した筈なのに。1年も経つと自分の境遇に落ち込んでいませんか? 女性は期待されているのに自分は期待されていないんだと。女性の上司は女性ばかりひいきして自分を相手にしてくれないと」

「女性からは気がきかない人、女の気持ちがわからない人と言われて。飲み会の席では女性からいじられ酔わされた挙げ句、何か芸を強要されたり、楽しく場を盛り上げるために道化のように振る舞ったり。自分は疎外されていると思ったことはありませんか?」

「頑張って働いても給料は上がらず周りの女性社員にどんどん先をこされて。大事な仕事は女性社員に取られて。『やっぱり男は……』と言われて、くやしい思いをしていませんか?」


「私が変えます!」

「女性が優位なままの社会を変えます! 労働環境も、社会保障も、子育ても。子供を産むことができない男にだって権利があります! つらいことはつらいと言いましょう!」

「男性の皆さん、私と一緒に闘いましょう! この女性優位の社会を変えていきましょう!」


 演説を聞いている20代の若い女性が二人。

「なんだか暑苦しくて嫌だね、ああいうの」

「そうだよね、なんか野蛮だし。もう少しスマートに言えないのかな」

「共感できないよね」

「そうそう。なんだかね……」

「なんで、あんなに直球ストライクで心に響かないのかしら?」

「まあ男だから……しょうがないわよ」

 二人は苦笑した。


 悠真と蒼太も演説を聞いていた。

「言ってることは正しいかもだけど……なんか女受けしない奴だよな」

「そうだよな、もっと言い方を考えればいいのに。なんか暑苦しい昔かたぎの人間って感じだよな」


「でもあいつだって、きっと女のバックアップがいるぜ」

「そうだよな」

「男一人で、あそこまで行ける訳ないよな」

 二人は苦笑した。


 総理大臣の白石由佳ゆかの臨時放送が街頭ビジョンに映った。


「国民の皆さん。某国の弾道ミサイルがまた発射されました。我が国は断固として抗議します!」

「暴力にまみれた独裁男の国家です。話し合いもせず、すぐ武力に訴える、こんな破廉恥男を絶対許してはなりません!」


 50代とおぼしき女性2人連れ。

「やっぱり男に政治は無理よね」

「ほんと、そうよね、なんで話し合いができないのかしら?」

「力があればいいと思っているのよ」

「ほんと嫌ね……野蛮だわ」


 夜空を背景にして、たゆたうようなビル群があでやかなネオンにきらめいていた。


 悠真は会社の商品開発部で、家電製品のデザインを行っている。

 デザインは女性が主流の世界だ。小ぶりで可愛らしいデザインが多い。


 悠真は、なんとかデザインの仕事で認めてもらって正社員になるのが夢だ。

 直線的でシャープなデザインが得意だった。

 でも商品企画会議の上長はほとんどが女性で、

「武骨すぎる」

「繊細さが足りない」

「美しくない」

「共感できない」

 と言われて採用されないことが多かった。


 いつも女性の感性で判断されてしまうのだ。

 今更ながら女性優位の社会を思い知らされるのだった。


 悠真と蒼太は、どちらからともなく、また居酒屋で落ち合った。


 悠真が言う。

「なあ、俺、派遣会社やめようかと思って」

「え、もったいない。やっと今の仕事にも慣れてきたんだろう?」

「でも今の会社じゃ女性ばかり重宝されて、俺とかはあまり重視されていない気がして……知り合いの会社で男性が多くて、男性にも責任ある仕事を任せてもらえそうな会社があるんだよ」

「そうか……」


 蒼太がポツリと言った。

「お前、結婚はしないのか?」


「そうだなあ……結婚して子供がいたら生活にも張り合いが出るんだろうけどなあ。俺の給料だけじゃ食べていけないから、ある程度、収入がある女性と一緒にならないとなあ」

「でも男を可愛がってくれる女性は、だいたい男を囲っているからなあ」

「俺たちみたいに、女性受けしない男はどうしたらいいんだろう」

「本当は女性にヨシヨシされたいんだろう? もっとうまくやれよ」

「でも、なんだか女性に媚びを売るみたいで……苦手なんだよ」

「確かに……俺もそういう男みると、なんだこいつって思ってしまうよなあ」

「俺、料理とかも得意じゃないし。ちゃんと料理教室通おうかなあ」

「そうだよな、家事とか育児は、やっぱり男がちゃんとやらないとな。主夫がちゃんとしないと、おかみも大変だしなあ」


 ある夜、悠真はショットバーのカウンターで一人、カクテルを飲んでいた。

 今日、女性上司に仕事のミスを叱責され、うつうつとした気分だった。

 一杯飲んで帰りたかった。

 飲み干したカクテルグラスを見つめながら、ぽつりと言った。


「俺、やっぱり会社辞めようかな……」


 程なくして、カウンターの少し離れた席に女性が座った。

 年は俺と同じか、少し上ぐらいか。


 彼女は女のバーテンに

「いつもの」

 と言ってウィスキーの水割りを頼んだ。


 チラチラ見ると、長い髪で女性にしては身長は高い方に見えた。


 スラっとした体つきにスーツを着こなして、少し冷たく感じる横顔だった。

 でもたまに笑うと、とてもチャーミングだった。


 彼女と目が合った。

 俺は思わず目をそらした。


 しばらくして彼女が俺の隣の席に腰掛けた。


 どぎまぎした。


「さっきから」

 彼女は俺を見つめた。

「私のこと見てましたよね」

 なんとなく有無を言わせない雰囲気があった。


「はい」

「何か気になることでも?」

「いえ」

 彼女から目をそらした。

「きれいな人だなと思って」

「ふふ」

 俺のグラスが空いているのを見て

「マスター、私と同じものを一つちょうだい」


 彼女は大手企業で働くマネージャーで、名前は美樹みきといった。

 年は俺より一つ上だった。


 俺は、今の仕事がつらくて転職を考えていると、ぽつぽつと話をした。


 その日は連絡先を交換して分かれた。


 後日、彼女から連絡があり何度か会った。

 彼女といると何となく落ち着いた。


 2人で居酒屋で飲んだ後、

「今日は、飲み直しましょうよ」と

 彼女が住むマンションの部屋に誘われた。


 2人でお酒を飲みながら、お互いの仕事や趣味の話をした。


 その日、俺と美樹は結ばれた。


 美樹の柔らかい胸に抱かれていると、何だか安らぎを覚えた。


 そのうち、俺は仕事帰りに彼女の部屋を訪ねるようになった。

 そして知らぬ間に一緒に暮らすようになった。


 彼女は仕事が忙しく、彼女のストレスがたまると、彼女は俺に当たった。

「悠真は私の気持ちなんて分かんないんでしょ! 男だから!」

 俺はうなだれて、

「そんなことないよ……でも、なんとかしてあげたいんだよ」

「俺は収入が少ないし、頼りにはならないけど……」

 美樹が俺を見つめた。


 彼女が俺を抱きしめた。


 そのままベッドに倒れ込んだ。

 

 彼女に抱かれる時は、俺がちゃんと避妊していた。

 でも、その日、美樹は「いいの……そのまま抱いて」と言った。


 美樹を見た。


 美樹がポツリと言った。

「私、子供は産めないかも……だから」


 彼女は生まれつき排卵が起きにくい体質らしかった。


「だから仕事で頑張って来たの……子供が産めなくても、他の女には負けたくなかったから……」


 俺は美樹を抱きしめて、長い髪をゆっくり撫でた。


 美樹の帰宅が遅くなった。

 仕事だろうか?

 たまに電話で話している相手は誰だろう?

 美樹の携帯に届いたメッセージをふと見てしまった。

 男の名前だった。

 他に男がいるんじゃないか?

 不安に襲われる。


 ある日、俺は言った。

「毎日遅いみたいだけど、もう少し早く帰ってこれないのかな?」

 美樹は俺をじっと見つめた。

「寂しいの?」

 俺は目をそらした。


 彼女は俺をやさしく抱きしめて、頭を、ぽんぽんと叩いた。

「可愛いわね」

「私は……あなたが好きよ」


 俺は、今でも美樹の部屋で一緒に暮らしている。

 俺が仕事を辞めずに頑張って、いつか正社員になれたら美樹とこれからも幸せに暮らしていけるのかもしれない。


 俺が作った朝食を一緒に食べながら、彼女の横顔を、そっと見つめた。


       (完)

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