花畑でオカリナを吹くエルフに恋をした

桜森よなが

第一話 オカリナを吹くエルフ

 私は本が好き。

 と言っても、べつに文学とか哲学とかそういう高尚なかんじの本を読むわけではありません。

 そんなの読んでもつまらないもの。

 私は俗っぽい恋愛小説ばかり読んでいました。

 憧れていたの、王道のロマンチックなラブストーリーに。

 白馬の王子様が私の前に現れることをいつもいつも夢想していました。


 でも、成長していくにつれて、だんだんとそれは夢でしかないと思うようになってきた。

 憧れはまだ密かに心の奥底にあったけど、それはそれとして日常は現実的に生きる、つまらない社会の歯車になってしまった。

 きっとこのままつまらない現実を生きて、年老いていくんだろうなぁと静かな絶望を抱えて、日常生活を送っていました。


 そんなある日、私はお気に入りの赤いリボンで髪をまとめて、森に採集をしに行った。

 その森の奥には、花畑がある。

 その花畑の近くまで、私は採集をしていると、向こうの方からなにやら美しい音が聞こえてきた。

 その音に引かれて、奥へ進み、花畑のほうへ行くと、色とりどりに咲き誇る花々の中心で、耳の長い美青年がオカリナを吹いていました。


 あれは、エルフという種族だ。初めて見た。

 もっと森の奥の方に生息していると聞いていたけど……。



 エルフの目が私をとらえた。

 演奏するのをやめて、私の方にゆっくりと来る。私のことをねめつけている。

 あわわ、どうしよう、逃げるべきかな、と思っているうちに、彼が私の前まで来てしまう。


「何の用だ、人間?」

「い、いえ、用はないんですけど」

「ならここから去れ、ここはエルフの国のものだ」

「そんな……あなたのそのオカリナの音色、とてもきれいだと思って……もう少しだけ聴いていたいんですけど、だめですか?」


 彼は鋭い目をわずかに大きくした。やがて、口をほころばせて、勝手にしろ、と言って、またオカリナを吹き始めた。

 美しい旋律が花畑の中を漂う。

 強い風が吹き、花々が揺れ動く。

 まるで、彼の演奏に共鳴しているかのようにだった。

 早くこの先の旋律を知りたい、でも、このまま先へ行かず終わらないでほしいと思う。

 いつまでもこのオカリナの音が響き渡る花畑の中にいたいと、そう感じた。


 演奏が終わると、私は無意識に拍手していた。

 彼はきょとんとした後、ふっと微笑んだ。

 その笑顔の素敵なことと言ったら……。

 普段の顔が少し強面だから、笑ったときの優しい顔とギャップがあってドキッとしてしまうのだ。


「今日の演奏は終わりだ」

「あ、ちょっと、待ってください」

「なんだ?」

「あの、また聴きに来て、いいですか?」

「……好きにしろ」

「ありがとうございます!」


 去っていく彼に、私は深く頭を下げた。


 それから私は毎日のように花畑に赴いた。

 いない日もあったけど、だいたい彼は二日に一回はあそこにいた。

 今日はいい天気ですね、とかその程度の他愛もない話ではあるけど、だんだんと会話もするようになって、彼との距離感が縮まっているような気がした。


 彼と初めて出会った日から、一か月がたったころ、彼はいつものようにオカリナを満足するまで吹いた後、唐突に訊いてきた。


「お前、名前、なんていうんだ」

「フィーネって言います。ふふふ、ようやく訊いてくれましたね」

「なにを嬉しそうにしている?」

「だって、今までずっとお前って呼ばれてたんですもの」

「ふん、それにしてもフィーネか、お前にしてはかわいい名前だな」

「なんですか、見た目はかわいくないっていうんですか?」

「ああ」

「ひどいです、見た目は悪くないって自分では思うのですが」

「そんな本気にするな、冗談だ、まぁ悪くはないんじゃないか?」

「そこはかわいいって言ってほしかったです……」

「ははははは」

「何を笑っているんですか、もう。あなたの名前も教えてくださいね、自分は名乗らないなんてずるいです」

「そんなに俺の名を知りたいか?」

「知りたいです」」

「なら当てて見ろ」

「え、うーん……ボブとか?」

「ふざけてんのか? 俺はそんな名前のイメージなのか、お前の中で」

「じゃあ、フレディ」

「違う」

「ニコライ」

「全然違う」

「もう、わかるわけないじゃないですか、いじわる、いい加減教えてくださいよ」

「レクサム」

「はい?」

「俺の名前はレクサムだ、フィーネ」

「レクサム……素敵な名前ですね」

「だろ?」


 その時の彼の輝くような笑顔は今でも鮮明に思い出せます。


 それから私たちはお互いを名前で呼び合うようになりました。

 彼は毎日、花畑に来てくれるようになった。

 ある日、彼と会えると思っていつものように花畑に行ったのだけど、しかし珍しいことに彼はいなかった。


「レクサム?」


 呼びかけるが、ここにはいないようだ。

 この時間帯にはいつもいるのだけど、なにかあったのかしら?

 少し怖かったけど、さらに奥へ進みました。

 生い茂った草木の中を進んでいくと、開けた場所に出ました。そこにはきれいな湖がありました。

 その湖の中に、彼がいました……全裸で。


 私はすぐさま木陰に隠れました。

 レ、レクサム? なにをして……


 ……あ、水浴びしているのか。

 そ、それにしても……。


 私は木陰からわずかに顔を出す。

 思わず、じろじろと見てしまう。

 服の上からでは気づかなかったけど、彼はかなり筋肉質だった。

 胸板が熱くて、腹筋が割れていて、二の腕もたくましくて……


 そのとき、レクサムの顔がこちらを向いた。


「誰だ!」


 よく通る声がこちらまで届いてくる。

 ば、ばば、ばれちゃった、どうしよう、と悩んでいると、


「いるのはわかっているんだぞ?」


 と彼は湖から出て、こちらに向かってくる。

 あわわ、来ないで、見えちゃってる、体の下のほうまで見えちゃってるからあぁぁ!

 と動揺しながら私は目を両手でふさいでいたのだけど、とうとう彼は私の前まで来てしまいました。


「……なんだ、フィーネだったのか」

「ご、ごめんなさい、覗き見るつもりはなかったのよ?」

「嘘つけ、さっきからねっとりとした視線をずっと感じていたぞ、まったく、お前はいやらしい女だな」

「ね、ねっとり!? そ、そんな目で見てません、わ、私はいやらしくないです!」


 た、たぶん……。


「あくまで否定するか……いいだろう、そういうことならお前に罰を与えてやる」

「ば、罰?」

「こっちへこい」


 グイッと引っ張られる。

 あわわ、強引、て、このままだと湖に引きずり込まれてしまう。


「ちょ、ちょっと、なにするの、やめて!」

「やめない」

「きゃっ、ちょっと!」


 そのまま、湖にひきずりこまれてしまった。


「もう、びしょぬれになったじゃない」

「それがお前への罰だからな」

「服が、透けちゃうじゃないの」

「それが罰だからな」

「……いやらしい人」

「お前ほどではない」

「いいえ、あなたのほうがいやらしいわ!」


 と、水を顔にかけてやったら、彼も私にやり返してきた。


「いいや、お前のほうがいやらしい!」

「いいえ、あなたのほうが!」

「お前のほうが!」


 それから彼と長い間水をかけあっていた。

 お互い疲れ果てて、ようやく冷静になったのは、たぶん一時間くらい経過した後だった。


「なにをしてるんでしょうね、私たち」

「ああ、でも、楽しかった」

「ふふふ、そうね、ふふふふふ」

「はははははははは」


 私たちは笑い合いました。

 ひとしきり笑った後、彼は急に真面目な顔を私に向けてきました。


「実はこの湖はさ、本当は人間を入れてはいけないんだ」

「……ならどうして私をここにいれたの?」

「……それでも、君とここで遊びたかったんだ」

「ぷっ、なによそれ、いい年して水遊びしたかったの?」

「うるさいな、べつにいいだろ」

「ふふふふ、でも、わたし、そんなあなたのことが好きよ」

「……俺も、フィーネのことが、好きだ」


 自然とお互い見つめ合う。

 私も彼も、示し合わせていないのに同じタイミングで顔を近づけ合って、やがて、唇と唇が重なり合った。

 私と彼はこの日、恋人同士となりました。



 それから幸せな日々が始まった。

 いつものように花畑へ行き、彼が吹くオカリナを聴いて、その後イチャイチャする、そんな甘い日々。

 昔読んでいたような甘ったるい恋愛小説のような人生、自分がそんな生活を送れるなんて思ってもみなかった。

 幸せの絶頂だった。こんな甘い日々がいつまでも続いていくんだと私は浮かれていた。

 でも、そんな日々は突然、終わりを告げる。


 最近、私が住んでいる街に、ある噂が流れていた。

 この王国とエルフの国が戦争をするという物騒な噂だ。

 もちろん、私にはレクサムがいるし、戦争なんて望んでいない。

 でも、それはたぶん私だけで、一般的にはエルフは人間にとって忌むべき敵という認識だった。


 この状況で森の奥へ行くのを誰かに見られたら、怪しまれる。そんなリスクを承知で、警戒されている中、私は彼に会いに行った。

 その日、レクサムはオカリナを吹いていなかった。

 ああ、また彼が吹くオカリナを聴きたかったのに……

 私を見ると、レクサムは寂しそうな笑みを浮かべた。


「もう会うのはやめよう、フィーネ」

「どうして?」

「わかるだろう、もう会うことすら危険な状況なんだ」

「いやよ、せっかく恋人になれたのに」

「俺だっていやだ、でも、少しの辛抱だから。いつか、絶対また会えるから」

「ほんと?」

「ああ、本当だ、約束する、だからこれを持っててほしい」


 彼がオカリナを渡してきた。



「これ、あなたの大切なものじゃない」

「だから持っててほしいんだ、俺は兵士として戦争に参加しないといけないから」

「じゃあ、私も大切なものをあなたにあげるわ、だから、絶対生きて帰ってきてね」


 私は髪をまとめていた赤いリボンをほどいて、彼に渡した。

 彼は固くそれを握りしめた。


「ありがとう、これをお守りにするよ、心細くなった時、この赤いリボンを見て、君を思い出すことにする、そうすればきっとどんな辛いことだって乗り越えられる」

「私もこのオカリナを見て、あなたのことを思い出すわ」

「生きて戻れたら、またこの花畑で会おう」


 そう言い残して、彼は去っていく。


「ずっと待ってるから、いつまでも!」


 遠ざかっていく背中に向けて、私は叫んだ。

 その叫びは、彼に届いていたのだろうか。

 私は花畑の中心で崩れ落ち、うずくまって、泣いた。

 子供みたいにみっともなく、わんわんと。

 風が吹いて、花々が大きく揺れ動く。

 無数の花弁がひらひらと風に乗って散っていった。

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