猫と夏休み

ねむり凌

とある夏のお話

 夏休みも半ば、俺たちの身体を汗だくにさせる太陽も今日はもうその勢力を弱めたらしい夕方のこと。俺は朝から夕方までみっちり入った地獄の夏期講習を終え、やや足早に帰り道を歩いていた。

 今日は夜からテレビでホラー系の特番があるはず。俺はそれを楽しみに今日一日頑張ったのだ。

 少しは夕焼け色に染まり始めた空にスマホを取り出し時間を確認する。まだ六時前、これなら余裕で家に着くはずだろう。

 ほっとして息を吐く。するとふと視界の端に何かが動いたのがわかった。

 俺はもしかして、と何かがいるであろう方へ歩み寄る。住宅と住宅の間に存在する砂利の敷かれた裏道を覗くと、そこには案の定アイツがいた。


「よぉー、丸っこいの」


「にゃー」


「夏休みに入ってもお前は変わらんなぁー」


 俺が“丸っこいの”と呼ぶヤツは、この住宅街をうろつく野良猫だ。もちもちしていそうで全体的に丸っこいことから俺はそう呼んでいる。以前、近所のおばさんは違う呼び方でコイツのことを呼んでいたので、人それぞれながらもコイツはこの住宅街では有名人(猫)らしい。

 最近は猛暑だったことからなかなか見かけていなかったが、今日はどこかに出かけていたようだ。

 もちろんその出かけていた場所がどこかだなんて俺には全く見当がつかない。そもそも、俺はコイツの住んでる場所さえ知らない。


「お前、ちょっとしたアイドルみたいだな」


 こんなことを考えていた今の今まで、しゃがみ込んでまで目を合わせてきた俺に対し、一歩も動かずただじーっと見つめ返すコイツは、俺が頭をクシャクシャとなでるとどこかへ駆けていってしまった。


「いっちゃった、か」


 どうせまた会えるだろうと、今日はそのまま来た道に戻り家に帰った。

 今日“丸っこいの”に会った事を姉に伝えると「写真ぐらい撮ってきてくれたって良かったのに」と文句を言われてしまった。それだと猫なんかますます逃げるだろ……という俺の言葉は聞き入れてもらえなかった。


 ***


 俺が“丸っこいの”に再会したのは、姉に無理くり連れられて夏祭りに行った日だった。彼氏のいる姉が俺の事を誘うだなんて思いもしなかったので、少し嬉しかったなんてことは決して口には出さない。

 そこまで大きくない地域の夏祭りだが、屋台は沢山出ていたので飽きることなく楽しむ事が出来て俺的にはとても満足だった。お目当ての金魚すくいも十分と言えるほど取ることができたので申し分ない。

 帰りに姉と横並びになって歩きながら俺は別な方面への文句を口にした。


「姉ちゃん彼氏いるんだから、その人と一緒に行けば良かったじゃん」


「いやさ、それがあいつクラスメイトと行くとか言ってさー。今日は見事に振られちゃったのよ」


「え、?」


「うん。明日の本祭はもちろん行くよ?二人で」


「なんだよ……」


 珍しく俺と同じような夏を過ごしている姉を不憫に思っていたが、不憫だったのは俺だけであったか。

 それと同時に誰からも誘われずにこの夏休みを終えようとしている俺に対し、俺の数倍も夏休みを満喫している姉が羨ましくてしかたがなくなった。


「あれ、もしかしてあんたは今日だけなの? うわー、誰にも誘われてないなんて可愛そう」


「はいはいそうですか。俺はいつもこうですよ」


 はあ、とため息をつき足取りが重くなる。俺も姉に習ってまずは祭りに誘える友達を作るかとそう思っていたとき、「あ、猫!」という姉の声に俺は顔を上げた。


「あ、丸っこいのじゃん」


 俺を置いて裏道に入っていく姉を追いかける形で俺も駆け寄ると、しゃがむ姉の脇にチラリと見えた見慣れたフォルムにそう声を上げた。


「やだー、この子もやるじゃん」


 姉が俺に続けてそう言うので、何事かと脇からアイツを覗く。

 そこには何匹もの猫と一緒に、おそらく近所の誰かが与えたであろうエサに群がる“丸っこいの”がいた。

 その様子は種族の違う俺から見ても楽しそうであった。


「なんだよ、お前も夏休み満喫してたのかよ……」


 そんな俺の嫉妬に溢れた言葉に返事をするように、そしてどこか自慢げに「にゃー」と鳴いたコイツは、何事もなかったようにまたエサを食べ始める。



 これが、俺が猫に負けた最初で最後の夏だった。

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猫と夏休み ねむり凌 @0nemu_kkym

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