5 指先が春を撫でる
彼女の指先に春が訪れた。
まだ肌寒い高校の春休み、いつものファミレス、いつもの三人。彼女と、友達と、私。
最初に彼女のネイルに気付いたのは私だった。薄桃色のナチュラルなネイルで、光が当たるときらきらと輝きを放つ。
「桜色、いいでしょ」
「かわいー!」
友達のほうが私よりもずっと良いリアクションをしていた。だけど、私はずっと、何かに囚われたみたいに彼女の指先を目で追いかけていた。
デザートメニューを指さしたとき。ドリンクバーのボタンを押すとき。グラスを持つとき。シャーペンを持ってノートの上に綺麗な字を書いているとき。
あまりにも私がじっと見てしまうから、目線に気付いた彼女が「そんなに気になる?」とその指先で私の頬をつついた。
「別に」なんて口では言うけど、恥ずかしさと、桜色の指先が触れる幸福感で頬が緩んでしまう。
「はいそこー、いちゃつかないで宿題に集中してくださーい」
友達が口をとがらせて、私たちはまたノートに向き合う。
気のせいかと思った。
私の左手が、彼女に触れたように感じた。
ノートから顔を上げて隣を見たら、彼女とばっちり目が合う。
テーブルの下、左手の小指を少し動かしてみると、確かに彼女の肌の感触がある。離れようと思ったら、彼女の小指が私の小指を捕らえた。
(ちょっと)
顔だけで抗議する。彼女は悪戯っぽく微笑む。
(いいじゃん)
そんな心の声が聞こえてくる。
私の右手、ノートの上を走っていたシャーペンの動きが止まる。
左利きの彼女のシャーペンは、まるで犬の尻尾みたいに左右に揺れている。テーブルの上では何も起きていないかのように。小さな爪、桜色のナチュラルなネイル。視線すら奪われてしまう。
手を離そうとしたら、さらに手を掴まれる。手のひらの熱と柔らかさに思わず声が出そうになった。
そんな私を見て、彼女はにやにやと笑う。
私が強く睨めば睨むほど、彼女はますます嬉しそうに口角を上げる。
彼女の指が私の指を器用に開いて、抵抗する間もなく、五本の指が絡み合った。
鼓動が早くなる。
私の指を優しく撫でるように、彼女の指先が動く。電流が走ったみたいに、背筋がぞくりとする。
彼女は私の弱点を知っている。
柔らかく触れあう指先。
こうされたら、私はもう何も抵抗できない。
恥ずかしい、見られたくない、なんでこんなところで。でも、離したくない。じわじわと体が汗をかく。気づいたら彼女は頬杖をついて、私の顔をじっと見つめていた。目は合わせられない。自分がどんな顔をしているのか、想像したら恥ずかしい。手のひらの全部から熱が伝わって、触れ合った指先から、全身が熱くなっていく。
右手からシャーペンが落ちて、ノートの上でコトンと小さな音を立てた。
「あのさあ」
テーブルを挟んで目の前に座る友達が声を上げた。驚いて体が跳ねて、心臓が飛び出そうになる。
怪訝な顔で私たちを見る友達。
とっさに手を離そうとしたけど、彼女の指はがっちりと私の手を掴んで離そうとしない。
「なにしてんの?」
そう言った友達は、私が言い訳をする前にテーブルの下を覗き込んだ。私たちが隠れて何をやっていたのかを理解した友達が、顔を上げて大きな溜息をつく。
「あんたらさあ、家でやってくんない?」
「ごめん、そういうつもりじゃなくて」
にやにやと笑っているだけの彼女の代わりに私が謝る。それだけ言っても、彼女はなお手を離そうとしない。私も手を離せない。
「はあ……。おかわり取ってくる」
シャーペンを放り投げた友達が、グラスを乱暴に掴み取って席を立った。
私たちはまだ手を繋いでいて、なんなら彼女は強弱をつけて私の手の感触を確かめている。
「あーあ、怒らせちゃったねぇ」
「あーあ、じゃないでしょ、もう。あとで謝っといてよ、ほんとに」
「はぁい」
そろそろ顔まで熱くなってきた。左手の中は汗でびしょびしょになっている。
「ねえ、もういいでしょ」
私が言うと、頬を膨らませながらも彼女はようやく左手を解放してくれた。空気に触れて熱を失った手のひらが、急激に冷えていく。
不意に、彼女がぐいと私の耳元に口を近づけてきて囁いた。
「じゃあ、続きはまた後で、ね」
甘い声。彼女の指が私の唇に触れる。「また後で」の想像が嫌でも脳内に広がって、指を絡められた時みたいに心臓が高鳴る。
持たないんだけど。いろいろと。
私の無言の抗議なんて知らぬ顔で、彼女は鼻歌を唄いながらノートに向き直った。シャーペンを持つ左手と、さっきまで私に触れて、今はノートを押さえている右手に目を向ける。
指先の優しい桜色が、柔らかく輝いている。
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過去作「見えないところで」の加筆修正です
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