百合小説短編集
ななゆき
雪、灰色、誕生日
静寂と暗闇。
街灯で照らされた小さなスポットライトの中、ちらちらと雪が舞う。白く染まった帰り道、歩道を覆いつくす白い絨毯に、私とあなたの足跡が並んで伸びていく。
いつもそこらじゅうに溢れているはずの街の音は、今日に限って何も聞こえない。人が行き交う交差点の喧噪も、幹線道路を走り抜ける自動車の音も、高架の上を通り過ぎる電車の音も、すべてが雪に吸い込まれて消えていた。
残ったのは、隣で手を握るあなたの吐息と一緒に口からこぼれる、小さな鼻歌だけ。嬉しそうに手を振って歩くあなたの耳元には、真新しいイヤリングが揺れている。
「雪、すごいね」
私の言葉に、あなたはとくに抑揚をつけず、うん、とだけ返事をした。
高校生になってあなたと一緒に帰り始めてから迎えたはじめての冬。こんなに雪が降る中で一緒に帰るのは、はじめてのことだった。
学校の空き教室で、何をするでもなく日が暮れるまでしゃべって、二人で手をつないで同じ方向の家に帰る。それが、私たちの日課。
その日課も今日は少しだけ特別で、私はあなたへの誕生日プレゼントとお菓子を持って行き、二人だけの小さなパーティを開催した。最終下校時刻まではしゃいで、下校をうながす生徒会の校内放送を聞いて、慌ててお菓子のごみと荷物をまとめて、校舎から走って出た時に、私たちはようやく雪が降っていることに気付いた。
あなたはふいに立ち止まって、白い息を吐きながら夜空を見上げた。
「いつも雪が降るの、私の誕生日」
「そうなの?」
「うん。去年も、一昨年も、その前も。いつも雪が降ってた」
それからまたあなたは歩き出して、私も手を引かれて後に続く。雪の絨毯に沈んでいく長靴の先端を眺めながら、あなたは小さな声でつぶやいた。
「わたしね、誕生日をまともに祝ってもらったこと、今まで無かったんだ」
その言葉を聞いて、私は無意識に手を握る力を強くした。あなたは左手を開いて、指を絡めるように握り直す。
「だから、私の誕生日の思い出は、ずっとこの雪の景色だけだった」
そしてまた、静寂が私たちを包む。
耳鳴りがしてくるほど、何も聞こえない。灰色の地面だけが世界中から切り離されてしまったかのように、 延々と目の前に続いている。
その地面の上を一人で歩くあなたの後ろ姿。
そんな想像に、私は身体を震わせた。
「……でーもっ!」
あなたの大きな声に、世界がぱっと音を取り戻す。
私たちが歩く歩道のすぐ横、大型トラックが大きなエンジン音とともに、わだちを踏みしめながらゆっくりと走り去っていく。
遠くから聞こえる、線路の繋ぎ目を越えていく電車の音。
信号待ち、誰かの笑い声。
握った手を大きく振って、あなたは満面の笑顔を咲かせながら私を見た。
「今年はいっぱいお祝いしてもらっちゃった、えへへ」
その笑顔に安心感を覚えて、私の頬も自然と緩む。
信号が青になり、何人かの知らない人たちに合わせて、私たちも歩き出す。
横断歩道の途中で、私たちはふいに歩みを止めた。
何故かはわからない。けど、急に何か愛おしいものが私の中にこみ上げてきて、私たちはどちらからともなく唇を重ねた。ヘッドライトと信号に照らされた彼女の唇の輪郭が、脳裏に焼き付く。彼女の唇は不思議と暖かくて、雪の中で冷え切った私の唇と頬が、忘れていた体温を思い出して熱くなる。
「来年もお祝いするよ。その次も、ずっと」
私が言うと、あなたは顔を赤くして微笑んで、私の頬にキスをした。
「じゃあ、ずっと一緒にいてくれる?」
「当たり前でしょ」
「やった!」
飛び跳ねた彼女の耳元で、今日から仲間に加わった青色のイヤリングがきらりと光る。その瞬間、世界がスローモーションになって、ゆっくりと、ゆっくりと、彼女のつま先が、横断歩道の上に着地する。
行き交う人に踏まれて雪から姿を変えた水たまりの上で、赤色の長靴がぱしゃりと音を立てる。オレンジ色のアイシャドウ。紺色のセーラー服。私の手をつかむ、桃色の手袋。点滅する信号の青色。走って渡りきる横断歩道の先、カラフルな街の明かり。
「好き、大好きっ!」
私の腕に抱き着いたあなたが笑う。
灰色の世界に、あなたの色が生まれていく。
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