第15話 弟なのだろう

 にわかに騒がしくなると、幼い国王を腕に抱いているジルヴェスターが、人々に囲まれてやってきていた。アストリットは城の通用門のほうへと義母とともに向かう。

 人々の中には伯父のオストヴァルト侯爵もいた。皆で話し合っている。


「……十日間もザイルストラ公爵の息のかかった女官に王宮の一室に監禁されたままだったとか」

「王太后陛下は?」

「やはり監禁されておいでですが、御気丈に陛下の身代わりと過ごしておられます。なんでもザイルストラ公爵の初恋の女性で、なんだか妙に気を使っていて、あまり王太后陛下ご本人に危害は加わっていません」

「王太后陛下が先王陛下にお輿入れが決まった時、あいつ脇目も振らず大泣きして修道僧になってやるって叫んで、父母や家臣たちに諭された翌日から性格ひん曲がったって聞きますよ」

「そっかあ、初恋を拗らせちゃったから女癖が悪いのかなあ……悲しい奴」

「なのにその女性とその子供ともども監禁しちゃうんだから、社会情勢複雑だし、人生何が起こるかわかんないよね」


 アストリットはちょっとだけ呆れた。その国王に目を転ずると、ジルヴェスターの腕の中ですやすやと寝息を立てていた。自分そっくりの亜麻色の髪。


 夫から国王を受け取ろうとするアストリットを義母のマティルデが「無理しないッ!」と制し、自分が国王を受け取る。本当に疲れ切っているらしく、微動だにしない。不安になって背中に手を当てると、呼吸しているのは感じられた。


「早くお部屋へご案内しましょう。アストリット、行きますよ」


 眠ったままの国王を部屋へ連れて行き、寝台に寝かす。寝台があまりに大きすぎるように見えた。


 寝かせた途端、ぱっちりと目を覚まし、美しい群青の目でアストリットとマティルデを見較べた。


「じいは? そなた、だれだ」


 マティルデに促されて、アストリットはぎこちなく跪く。


「わたくしはブリューム辺境伯妃のアストリットと申します」


 国王は飛び上がって、ちょこんと寝台に座ると、悲鳴をあげてアストリットを指差した。


「……じ、じいの、じいのヨメ!?」

「……? ジルが?」


 まだ新婚の息子が爺さん呼ばわりされていることを知ったマティルデは、微妙な顔つきをした。急いで手鏡で顔を確認している。息子がなら自分はと言われてしまうと恐れているのだろう。


 国王は、ふむう、とアストリットを見た。自分そっくりの群青の瞳で、何か確認しているようである。


「ふーん。なかなかよいかおをしておる。じいのヨメがブサイクだったら、よはこくがいついほーにしょしているところだったのに」

「陛下、どこでそんな発想を覚えてきたんですか?」


 四歳なのに。大人たちに囲まれすぎたのであろう。国王はやはりアストリットそっくりな毛質の髪の毛を自らわしゃわしゃとすると、「ほれ、アストリット」と手を差し出す。


「じいのしろのなかをあんないいたせ。あのごくあくなじいが、どんなげれつなくらしをしているのかしりたいのう」

「下劣な暮らし……」


 いいのだろうか、とアストリットは迷う。だが、目の前の子供が楽しそうにしているのを見ると、少しくらいいいだろう、という気分になってくる。

 少し自分のほうが面長で眉が細めなのに比べ、国王はまだ幼いが凛とした眉であった。それ以外は本当によく似ていた。……哀しくなるほど。


 弟なのだろう。随分と年の離れた。


 アストリットは、そこらへんに落ちていたあった木の棒を振り回して城の中を探検する国王を見守る。後ろからアストリットの体調を心配したマティルデが付いてきた。

 国王はてとてとという足音をさせながら、中庭に向かって階段を降りた。


「あれがなかにわか? じいがせーてきをたおすために、どくそうをつくっているという?」


 ジルヴェスターは本当に、政治の世界ではどんな人間なのだろう。アストリットは国王の小さな肩に手を当てると、首を横に振った。


「あの中庭の世話をしているのはわたしです。あの草は薬草です。夫は毒草など作りませんよ」

「ほう」


 国王は勝手に中庭の中へと突っ走ってしまった。アストリットは手を伸ばし、「あ!」と尊大ないたずら小僧を止めようとする。

 小さな亜麻色の頭が薬草園の草花の中をもぞもぞと動き始める。何か見つけたらしい。


「わっ! とかげがいるぞ!」

「おりましょう」

「あはは! ありがぎょうれつをつくっておる。ありのすをいじってやろう」


 なんだか薬草園の中でいろんなものを見つけて、いろいろと楽しそうだ。政争に巻き込まれ、母と引き離されたとは思えなかった。


「はながさいておる。ははうえにとどけてさしあげたいのう」


 突然、国王は崩れ落ちた。肩を震わす。


「……ッ、ははうえーーーーーーーーッ!」


 アストリットとマティルデは急いで泣き叫ぶ国王のところに行った。マティルデが国王を抱くと、亜麻色の睫毛まつげに大きな涙を溜めていた。

 だが、五分もすると空の鳥を見つけ、大笑いしだした。


「すまぬ。ははうえがおらぬから、さびしくなってしまった」


 国王は真摯しんしにアストリットとマティルデに謝ってきた。アストリットは、子供ってこんな感じなのかな、と少し目を回した。

 少しだけ自分の締まった腹を見る。母親とは違う。自分はちゃんとジルヴェスターの子供を産む。


 ジルヴェスターが自分を愛さなくなっても。

 フリーデリンデに囚われてしまっても。


「陛下、今日のお散歩はここまでにいたしましょう。マティルデと飲み物でも飲みましょう」


 マティルデが、言外にアストリットに休憩を促す。


「じゃ、アストリット。陛下をお部屋にお連れするわ。侍女に飲み物を持ってくるよう申し付けてくるから、無理せずいらっしゃい」

「ありがとうございます」


 心底から感謝した。気難しいが、優しい義母を持てて良かったと思う。

 中庭を去り、体を労わりながら国王の部屋へと赴いていると、廊下でばったり「それ」に会った。

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