第13話 急速暗転

 全裸男は強かった。これ以上何も捨てるものがないせいか、全力で辺境伯の手勢を追い詰めた。


「うわっ! 全裸だ!!」


 ジルヴェスターは全裸の男を間近で見て低い悲鳴をあげた。こういうのにも照れるらしい。


 全裸男は襲いかかる家臣をちぎっては捨て、ちぎっては捨てしている。とうとう辺境伯のすぐそばまで来てしまった。全裸男は、癖のついた黒髪で翡翠の瞳をした白皙のジルヴェスターをじっくりと見ると、舌なめずりをした。


「——貴様が吸血鬼が半年前に迎えた辺境伯妃か。美人だな。俺の愛人にしてやってもいいぜ」


 ジルヴェスターは眉をピクリと跳ね上げた。


「私が辺境伯だ」


 全裸男はジルヴェスターの側に寄ってきた。


「すごく美人だ。辺境伯には勿体無い」

「だから、私が辺境伯のほうだ」

「俺の愛人にしてやってもいいぞ、辺境伯妃」

「私が辺境伯のほうだと申しておるであろうが……!」


 アストリットはいたたまれなくなり、口を挟んだ。


「あのう、わたしが辺境伯妃です……」


 ジルヴェスターがあっとした顔をして彼女を抱き寄せると、全裸男は眉根を寄せた。


「お前みたいな貧相な体型のちんちくりんが? 嘘をつくな」


 その瞬間、空気が一瞬にして冷えた。晴れているのに雷光のような何かが何度か光った。


 全裸男は肉塊と化した。肉塊にされる最中、全裸男はふらついてアストリットの苗を踏み潰してしまった。

 アストリットはいろんな意味でひどく泣いた。ジルヴェスターは「あっ、怖かった?」と血塗れの手で彼女の背中を撫でた。


「殿、いますぐここから脱出を。そのう、やっぱり……民が震えておりますゆえ」


 ガタガタと震えている家臣の進言に、ジルヴェスターは頷いた。アストリットは市場の民が一斉に姿を隠したのを見た。辺境伯がいると恐怖のあまりまともに商売できなくなるようだ。


 夫婦二人で手に手を取って走り出すと、家臣たちの「新婚さんだから〜」とぼやく声が聞こえた。


 家臣たちの導くままに、市が開催されている中央広場を抜け、川のほとりへとたどり着いた。川を伝っていくと城まで戻れる、と家臣はアストリットに伝えた。素直に川を伝って歩いていたが、道中、ジルヴェスターはふと胡乱げに眉を寄せた。


「ここは、遠回りの道だな」


 びくりと家臣全員がジルヴェスターを見た。忌々しいものでも見るかのように。ジルヴェスターは冷笑する。


「私を罠にはめたのか?」


 アストリットは震えた。確かにジルヴェスターは冷徹なことばかりしているため、家臣全員に恨まれていてもおかしくないのかもしれない。夫婦共々川のほとりで惨殺されるのかも。


 ジルヴェスターの袖を握りしめた。夫は、アストリットの手を握り返してきた。その手のぬくみに少しだけ安心する。


 すらり、とジルヴェスターが剣を抜く。家臣全員が「そうくると思った!」「まって!」「まってください!!!」と大暴れした。


「お妃様が秋頃に召し使っていた薬草苗の行商人がおりますでしょう! 今朝、川のほとりで後ろ手に縛られているのを見つけまして、助けてやろうかと。人助けを止めようとするなんて、お殿様はなんって忌々しいこというんだろうなあって」

「ゴキブリのような行商人ではなく?」


 アストリットがくと、家臣たちは揃って頷いた。


「どうやら先日お妃様に不埒なことをした男は、その行商人を蹴倒して後ろ手に縛って川のほとりにぽいっと捨てていったそうでござる」


 最初から騙されていたようだ。アストリットは顔をしわくちゃにした。

 川のほとりの橋の下に行くと、男が後ろ手に縛られていた。


 ***


 城に連れて行って事情を訪ねる。客間に通された本物の行商人は嘆き出した。彼はいつも通り、ブリューム城を訪れようとした。ところが、城の手前に来るなり、ゴキブリにそっくりな不思議な男が現れて、蹴倒してきたのだと言う。


 物取りかと嘆いたが、懐に金袋はきちんとあり、金も取られておらず、薬草苗自体は無事であった。


「不審だな」


 家臣にすっかり騙されて不機嫌になっているジルヴェスターが呟いた。声音に険しさがある。アストリットはその商人の前に膝をつき、傷の様子を見てみる。清めた水で傷口をぬぐい、傷に効果があると言うタイムの湿布を貼る。


「本当はヤロウノコギリソウの湿布が一番いいのですけどね……熱を鎮め、解毒作用があって……」


 ペラペラ喋りながら商人の傷を包帯で巻き、ぎりぎりと絞る。商人は呻いた。


「ヤロウでしたら持ってきておりますのでお買い求めを」

「はあい。カモミールは?」

「持参しておりますよ」

「キャラウェイやブラックベリーもいただきたいのですけど」

「ブラックベリーは持参しております。キャラウェイの方は今度……」

「でですねえ……ふぐ!」


 ジルヴェスターは妃が薬草ばかりしか頭にないのに腹が立ったらしく、妃の口を覆った。その場にいた家臣は「新婚だなあ」とささやきあった。


「なにす……!!!」

「商人殿にお伺いしたい。その男、ねぐらは我が領内にある。撤去はさせた。だが、何か不審なことを話していなかったか?」

「そんなに変なことは言ってなかったような……」


 商人は首を傾げた。ジルヴェスターの白皙の顔が、ひどくその商人を睨んだ。商人は冷や汗をかきはじめ、記憶の壺を隅から隅まで引き出してひっくり返すような顔をしだす。


「あ、あ、なんだか言ってました、これでフリーデリンデ様に振り向いてもらえる! とかなんとか」

「……フリーデリンデ? 女か?」


 ジルヴェスターは顎に手を当てた。やはり記憶の隅から隅まで辿っているような顔をしている。

 行商人は頷いた。


「おそらく。どこぞの貴族かいい家の女だと思うのですが……」


 だが、すぐに口を覆っている妃の様子が一変したのを見て、体を揺すった。


「アストリット? 口を覆いすぎたか?! 呼吸困難か? 申し訳な」

「……フリーデリンデ?」


 アストリットの群青色の瞳が、光を失った。


 *** 

 

「アストリットの様子がおかしい? 二週間も?」


 ジルヴェスターの母・マティルデはブリューム城に薔薇片手に遊びに来たとき、憔悴した息子からそう告げられて眉根を寄せたあと、パッと顔を明るくした。


「……ひょっとしておめでたかしら!? やだあ!! 女の子がいいわ」

「妊娠ではないそうです」


 ジルヴェスターは沈痛な表情でそう告げた。


「フリーデリンデという言葉を聞いた途端、気絶してしまって」


 マティルデは「ん?」と紅い唇を尖らす。


「……フリーデリンデ?」

「ええ」

「女のひとの名前ね。……あれ?」


 母は薔薇をじいっと見つめて、じっくりと考え込んだ。


「先王陛下の愛人がそんな名前だったわね。先王は二人の従兄弟のうち、下の従兄弟の妻とイヤラシイ関係にあったのよ」


 ジルヴェスターの目が遠くなった。

 マティルデは身体を抱きしめ、くねくねし出した。


「わたくし、王都の宮廷に遊びにいっていたとき、散々見たわ。あおゔあーっ! フリーデリンデぇぇッ! 五人の子がいるとは思えない美体ではないかぁぁぁっ! 余のクソデカ【規制】をくらえぇぇぇっ、アッ! う! あぁん! 陛下ぁぁ!! そんな大きいのいれちゃダメェェッ! 壊れちゃうううう! あアッ! アン! こんなの初めてぇぇぇ! 赤ちゃんできちゃうううう!! 初めてだろう! 国王だからあっちの方も国王なのだ! ガハハハ!! ……って」


 ジルヴェスターはさらに目が遠くなった。


「母上、なんだかその再現、ものすごく嫌です」

「だって実際聞いたんだもの」


 母はまた口を尖らせながら、ふとアストリットの部屋の方に目をやった。


「……あの子、お姉さんが五人いて、父親が先王の従兄弟だったわよねえ?」

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