第11話 ここら辺で良い薬草の苗は売っていませんか
市の活気は死んでいた。
正確には、活気があるのだが、ジルヴェスターが通るとみんな息をひそめるのだ。ぴりりと漂う緊張感あふれる空気に、アストリットは呆然とする。
夫はさぞかし寂しがっているだろうと思いきや、冷徹極まりない様子で頷いている。
「愚民どもめ、私を畏怖するという姿勢があることだけは認めてやろう」
——「愚民どもめ」……。
夫も大概だ。
アストリットは夫と息を潜めている市場の民たちを見比べた。
民は完全に夫を吸血鬼か魔王だと思っているようだった。
ひとり、泣いている子供がいて、その母親が子供を泣きやませようとして言ったことには——。
「坊! 泣き止まないと、辺境伯様がやってきて坊の血を吸ってしまう!」
辺境伯妃であるアストリットはその言葉に、何と返事して良いかわからない。ちなみに自分への言葉はなかった。欲したり、期待したりしていたわけではないが、不安になる。辺境伯が結婚した話は民の頭からすっ飛んでしまっているのだろう。
辺境伯が民にとって恐怖の大王、地獄からの使者、吸血鬼に見えすぎて、妻として大変憂慮してしまう。
転じて、夫を見ると、馬上から愚民を見下ろし、冷気が吹きすさぶ鋭い視線で、声をあげた母親を見た。
「……あの母親を連れて参れ」
子供を抱いた母親がぴくり、と震えた。兵士たちが寄って行って、母親と子供を引き離そうとする。母子が泣きだす。
「面倒だから、子供と共に連れて参れ」
ジルヴェスターはそう命じた。剣の柄に手を当てていた。
「いやああああああ!」
アストリットは絶叫していた。馬から落ちそうになるのも構わず、夫のほうへ手を伸ばす。母子を斬って捨てるのだろう夫の手を止めようとした。
夫は急いで振り向き、馬を寄せてきた。
「何だ? ゴキブリのような行商人がいたか?」
彼女は目の前の夫に涙ながらに祈る。
「どうか親子のお命だけは……!」
「親子?」
「あの、い、いま連れて参れと命じられた親子です!」
「命は取らぬ」
「では、拷問なさるのですか!? やめてください! 罪のない親子に!!」
「……」
そうこうしているうちに、母子が目の前に連れてこられた。母親は呼吸を荒げ、ガタガタと震えていた。子供は泣き叫んで、とうとう漏らしていた。
始終を見ていた家臣が痛ましげに親子二人に告げる。
「辺境伯妃さまが助命嘆願なさったため、汝らの命は救われた。感謝するが良い。だが——」
ジルヴェスターが剣を持って馬を降りた。アストリットは目をつぶる。
——自分を多少バカにしたからって拷問する、そんな非道を夫に許していいわけがない……!
慣れてもいないのにアストリットは乗っていた馬から飛び降りた。家臣が「お妃様!」と彼女を制止する。だが、彼女は母子のほうへ駆け寄り、二人に覆いかぶさるように抱きついた。
「拷問なされるならわたしを! あまりに非道なお振舞いでございます!」
母子は「お妃様……!」と泣いた。ジルヴェスターはなぜか目を点にしている。
「……」
「この母子はジルヴェスター様のお気に障るような物言いをしたかもしれません。でも、それだけでいちいち人を罰していたら、皆はジルヴェスター様から逃げていってしまいます——」
「……」
アストリットは親子に覆いかぶさったままでいた。
ジルヴェスターは妃を不審そうに見ながら、中腰になる。妃の腕のなかの母子に聞いた。気さくそうに。
「すみませんが、ここら辺で良い薬草の苗は売っていませんかね?」
その言葉に、アストリットは、いろんな感情がこみ上げてきて頬が真紅に染まった。それ以外のその場にいた皆は、今まででいちばん凍りついた。
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