第6話 思わぬところで嫁姑問題

 やや癖のある豊かで長い金の髪、宝石をはめ込んだような榛色ヘーゼルの瞳、薔薇を押しあてたように深紅の唇。すべてが整った顔だち。完璧な体つき。彼女は裾のひらひらした真紅のドレスを着て、薔薇の髪飾りをつけていた。


「可愛いジルぅ〜〜♡ ♡」


 祈るアストリットなど眼中に入らないように、美女はすたすたとジルヴェスターのほうへ寄っていき、彼に熱烈にくちづけた。


 ——ぬおあぁ?!!


 アストリットは祈りの途中で絶句した。美女はジルヴェスターにまくしたてる。


「んも〜、今日も可愛いっ♡ 何の本読んでたの? 薬草学!? まぁ! さすがだわ。ねぇねぇ、何で結婚の詳細をわたくしにだまってたの? 政治的な都合かしら? 冷たい! 薄情だわ!! わたくし、だんな様から聞いて初めて知ったのだけれど」


 つ、つまり、夫がいる身でありながら、アストリットの夫と関係があるらしい。唇を蛸のようにさせ、ジルヴェスターの白い頬をちゅーちゅーしている。


「ジル〜、わたくしの天使、わたくしに抱きついて、キスして♡」


 先ほどの夫と同じことを言っている。

 だが夫は、女の両肩を掴むと、自分からぐいと引き離した。


「結婚の詳細を教えなかったのは、が興奮して今みたいにわけのわからない時間帯にでもすぐ我が城に乱入してくるからです。まだ妻を引き取って三週間です。冬あたりにこちらで披露目をしようと思っておりました。御機嫌よう母上。義父上ちちうえはお元気ですか?」


 母上、とアストリットは夫の言葉を反芻はんすうする。

 母上。母上。母上。……母上。つまり、ジルヴェスターの母親。


 ——随分と年齢を感じさせない母上ですね!?


 目の前の佳人は、夫の愛人ではなく実の母であるらしい。確かに言われてみれば、目元や髪質がそっくりであった。おおげさな愛情表現も似ている。


 ——こんばんは、中庭のお世話の放棄をしたお方ですか?


 ……などとは言えないので、アストリットは急いで無難な挨拶をする。


「お、お義母様、ごきげんうるわしく……」


 緊張で口がふにゃふにゃしてしまっていた。麗しの義母は彼女を睨めつけた。


「あなたがジルの妻ね……? もともとローゼンキルヒェン大司教領の小さな修道院の修道女だったとか——」


 愛する息子を奪われた母の顔をして、義母はわめいた。


「あなた、ジルにお乳をやったり、おしめをかえたり、夜泣きをなだめたり、背中の爆弾に注意しながら寝かせることができるというの? 一年中ずっと」

「母上、私はもうその時期はとっくに卒業しています」

「わたくしはやったわよ! ジルの乳母と!!」

「母上、やめてください……」


 ジルヴェスターは両手で真っ赤になった顔を覆う。義母はとどめをさした。


「アストリットとか言ったわね。そのくらい面倒を見た子に、無能だからという理由で夫を殺されて、政略結婚の道具として格下の同盟相手に嫁がされても、ジルヴェスターを愛せるかしら? ちなみにわたくしは愛してまーす♡」


 アストリットは一瞬だけ心が固まった。義母の夫といえばジルヴェスターの実父だろう。父を殺すなんて、夫にはどれだけの苦悩が、と夫の冷徹そうな横顔を見——。


「もう、もう!」、と夫はジタバタしていた。


「あの頃はイキっておりました。父より私の方が有能だろう、みたいに! 父上が愛人の子であるフェルディナンドばかり寵愛するのも危険だなと思って、……っていうか、そんな過去を恥ずかしいから思い出させないでーっ!」


 夫は席を蹴って「いやーん!」といい、部屋を逃げ去っていった。うほっ、と義母は花が咲くように笑った。


 義母は残されたアストリットを見下ろす。


「結構苦労した子なの。手が血で染まってばかり。後ろから刺されても文句が言えないことばかりしていますからね。反抗する重臣数名を宴に呼んで酔いつぶれさせて全員惨殺したりね。母親でもどこがあの子の傷なのかわからない。……それは知っておいてあげてね」


 支えてやってね、とはいわれなかった。確かに尼僧を無理やり還俗させて妻にしたあたりも相当ぶっ飛んでいる人だ。アストリット自身も、政治や軍事の知識もないし、世俗のことにはうといし、夫を政治や何かで支えられる気もしない。


「……でね、あなた」


 厳しい目でこちらを睨んできた義母は、口角泡を飛ばした。


「あの中庭何!? 何を整備しようとしてるの! 下女を捕まえて聞いたら、薬草園を作るとか。わたくしは薔薇や百合の花畑がいいのよーーーーっ!! ちなみに今の嫁ぎ先はわたくし、薔薇だらけにしてるから」


 思わぬところで嫁姑問題が勃発した。

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