第4話 世界が驚愕! 一同震撼!! 夫の私は得意顔!
夫からの冷酷な仕打ちに、船内で面構えがどんどん違ってきたアストリットは、ブリューム城に到着した。もう夜も遅く、与えられた辺境伯妃の部屋で疲れ切って眠った。
朝、どこかから鐘の音がしたので、目を覚ます。
もちろん横に夫はいなかった。だが、不思議なことに寝台と枕に明らかに成人男性が寝たと思しきくぼみがあった。しかも、黒い抜け毛が枕にひっついていた。
アストリットの髪の毛は亜麻色だから、黒く変色でもしない限り、抜け毛が黒いなんていうことはあり得ない。
——うーん。
辺境伯妃のための寝台は非常に大きく、抜け出るのにもちょっと大変だった。地面に着地した途端、とんでもなく性格の悪そうな侍女がやってくる。鏡の前で、アストリットの衣装を整えた。化粧は薄めにしてくれた。
「うわぁ〜。奥様ってぇ〜、ちょっとぉ〜、うふふ、ねぇ?」
「……」
うふふの続きが知りたい。何がどうなっているんだ。豊満で魅惑的な体つきの侍女は、身体をクネクネしながら暴言を吐いた。
「せいぜい、メラニーの足、引っ張らないでねぇ? ジルヴェスター様に怒られたらぁ、メラニー、首になっちゃうからぁ」
「……」
「うふふ」
「あの、大変申し訳ないんですが、メラニーって、どなたですか?」
この城についてなにも把握できていない。メラニーというのは、夫の愛馬の名前だろうか。侍女は目を大きく見開き、顔を真っ赤にした。
「……私です。すみませんでした。一人称が自分の名前なのを指摘されると、非常に恥ずかしいですね。なかなか抜けきらないんです。奥様、お殿様が朝餐をご一緒にと仰せです」
「あぁ、あぁ〜、確かに悩ましい問題ですね。わかりました。ありがとうございます」
お互い、ペコペコ頭を下げた。
食堂へ向かう最中、中庭を見つけた。全般的に草がぼうぼうだ。刈って薬草畑にでもしたら良いだろうに。真ん中に大きなマルメロの木がそびえ立っている。非常に甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「あぁ〜、あれぇ、大奥様がぁ〜……うふふ」
メラニーという侍女はニコニコしながら口をつぐんだ。大奥様とは夫の母だろうか。はっきり言ってほしい。
「大奥様がどうされたんですか?」
「うふ〜ん」
「はっきり言ってください、メラニーさん」
「……大奥様がお庭のお世話をやめてしまって、マルメロの木しか残らなかったんですよ。他にもいろいろ植物があったのにって」
「大奥様はお年を召されてやめてしまわれたのですか?」
「……なんだか、お庭が解釈違いだったみたいです。ブリューム城を離れて今は別のお城で暮らしてらっしゃいます」
「解釈違い?」
メラニーもよくわからないらしく、首を横に振った。
ちなみに夫とは朝餐をほぼ無言で過ごした。
夫であるジルヴェスターは執務室へ行った。
夫を送り出したアストリットは、はぁ、と盛大なため息をついて、中庭に向かった。
草をかき分け、マルメロの木に寄りかかる。マルメロの実を収穫しながらぶつくさいいだした。
「いきなりさあ、こんなところに来てさあ。伯父様はわけわかんないしさあ」
ぶつん、ぶつん、と一個一個
「誰かの妻になるなんて教育受けてないしさあ」
さらに、ぶつん、ぶつん、と捥いでいく。
「旦那さんは冷たいしさあ」
黄色い果実をじっくり見ながら、ふっ、と息を吹いてゴミを取る。
「
五つほど実を捥いだあと、裳裾を袋のようにし、その中に入れて中庭を取り囲む回廊へと運んだ。床に並べていく。さらにもう少し捥ごう、とマルメロの木のほうへ向かった。
「男の人とそういうことになったから、たぶん修道院に戻れないしさあ。実家には帰りたくないし、どうすれば——」
ぶつくさいう辺境伯妃に恐れおののいてか、マルメロの匂いにつられてか、下男下女が集まってきた。
「新しいお妃様……だよな。ひょっとしてお殿様についていけなくなってるとか!」
皆、おそるおそるマルメロの収穫を手伝った。厨房にいっぱいのマルメロを持って行く。下男下女たちもそれについて行く。
上で、窓から辺境伯が中庭をのぞいていて、「何かぶつくさ言っててかわいい……」「マルメロ持ってどこに行くんだろう、かわいいなあ……あぁ、幸せだなあ……」と呟いていることを、辺境伯妃当人は全く知らなかった。辺境伯が重臣に「新婚だからって腑抜けるな!」と揺らされたことも。
厨房にたどり着いたアストリットは、無言で
それを避けて、すべてのマルメロを四等分にする。マルメロは硬いので、普通の果実のようにはかじれない。なので煮込んでジャムにする。
辺境伯妃の様子が違ってきているので、下女下男たちが言い訳を始めた。
「奥様、その、お殿様は普段から無表情で……」
「無口で、目つきが悪くて、物言いが冷たくて……」
「冷徹で人の心が無いと周りの方は申しておりまして……」
「あっ、ただ、奥様のことは大変お気に召しておいでのようですから」
「今朝、奥様のお部屋から出てこられた後、小躍りしたせいで廊下で滑って転んでおいででしたから……!」
朝、自分の部屋から出てきた、という聞き捨てならない話を聞いた気がするが、アストリットはとりあえず下女下男たちのいうことを信じることにした。
「わかりました。ジャムを作るので手伝ってもらえますか?」
皆が頷いた。蜂蜜をどこかから持ってきたり、大鍋を持ってきたり、檸檬汁をもってきたりと、みんなせわしなく働き始める。
——お?
マルメロを煮込みながら、いきなり環境が変わって所在なくなっている気分が落ち着いていることに気づいた。
——本当にわたしは薬草が好きなんだなあ。
中庭を改造して、薬草畑を作ろうかな、と彼女は思いついた。
——それに、辺境伯妃のわたしが一儲けすれば、ジルヴェスター様も離婚とかは考えなくなるかもしれない!
うししし、と野望に目覚めた悪い笑顔を浮かべる。
翌日の昼。小さな壺にマルメロのジャムを入れ、パンと合わせて昼食に差し出した。
夫は無表情でパンをつかみ、マルメロのジャムを大量につけた。アストリットは笑顔を浮かべながら説明する。
「お好きなんですか? マルメロは胃腸や咳にいいんですよぉ」
「……そうですか。また作ってください」
ものすごく睨まれた気がする。間延びした喋り方が気に食わなかったのだろうか。
だが、野望がある
アストリットは気づかなかった。
夫が「私の天使は……ジャム作りも得意とは!! 世界が驚愕! 一同震撼!! 夫の私は得意顔! フゥーゥ!」という思考で頭がいっぱいだったことに。
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