第90話 ゆぅちゃんの謎理論
文化祭委員の皆がいる空き教室を出て、俺はゆぅちゃんの手を引きながら歩く。
エアコンの効いていた部屋にいたから、その分ムッとした暑さが全身を襲い、一気に体が汗ばむ。
汗ばむけど、それを嫌だとか、気持ち悪いとか、そんなの一切思わない。
いや、思わないってのは違う。
気にしてる余裕がなかった。
とにかくゆぅちゃんの誤解を解かないと。
俺が冴島さんとしていたのは浮気でも何でもなくて。
ただエロゲを一緒にして、思いの丈をぶつけ合っただけなんだ、と。
そう伝えなきゃいけない。
……伝えなきゃいけないんだけど。これはこれで何かマズくないだろうか。
微妙に違和感があるが、まあ、嘘を付くのはやめよう。
あったこと、したことを正直に話すんだ。
俺がゆぅちゃんのことを大切に思ってる。
その事実は一切揺らぐことはないのだから。
「……ここらでいいかな?」
空き教室から少しだけ離れた日陰の涼しい場所。
掃除用具入れのある、廊下のくぼんだ部分。
そこで俺はゆぅちゃんと向き合った。
やや前のめりになっていて、クールな彼女が普段はあまり見せないような目力。
俺の言うことが本当かどうかを懸命に見極めようとしている、そんな目だった。
生唾を飲み込み、けれども覚悟を決める。
深呼吸し、俺もゆぅちゃんの方をしっかりと見やった。
そして切り出す。
「ゆぅちゃん。俺は今から絶対に嘘を付かない。だから、一つだって疑うことなく信じて欲しい」
「……さと君は嘘つきじゃない……けど……」
「わかる。気持ちはわかるんだ。そりゃ、俺だってゆぅちゃんが自分の家に男子を入れてるところに遭遇したら、その男子を切り刻んで●してしまうほど腹を立てると思う。俺の大切な可愛い彼女なんだぞ! って」
漏らした本音。
それを聞き、ゆぅちゃんが少しだけたじろいだ。
真っすぐにこちらへ向けてくれていた目を一瞬別の方へ逸らす。
でも、また改めて俺の方を見つめてくる。頬は少しだけ赤くなっていた。
「でも、それでも、俺はこんなところで嘘を付かない。俺なんかのことを大切に想ってくれる大好きなゆぅちゃんを裏切りたくないから」
「っ……」
「だから……どうか俺のことを信じて欲しい……。お願いだ……」
普段はゆぅちゃんの方から俺の手を握って来ることがほとんど。
でも、この時ばかりは自分から彼女の手を握り締めた。
それは、二股男が相手の女の子を信じさせるための空虚なものとは断じて違う。
絶対に、絶対に、絶対的に本音だ。
今から俺が話すことは間違いなく本当のこと。
それをどうにかして信じて欲しかった。
「……ゆぅちゃん……」
頭を下げるようにして彼女の名前を呟く。
ゆぅちゃんは小さく返してくれた。
「……わかった。さと君のこと、私は信じる。だって、私だって信じて欲しいから」
「……?」
私だって?
心の中で首を傾げ、俺は顔を上げる。
見つめる彼女の顔は、一生懸命そのものだ。本当に前のめりで、俺のことを疑うというより、信じる努力をしてくれてるように見えた。
「私が……どれだけさと君のことを想ってるか……」
「っ……」
「……本当に……本当に大好きだから……。一生懸命なさと君だもん。私にしてくれたように、今度は絵里奈に何かをしてあげようとしただけなんだと思う」
「ゆぅちゃん……」
「でも、そういうことがあっても、あなたの心の中に私がいつもいられてるなら、私は何があってもさと君の言うことを信じるね」
感動してしまった。
彼女の口ぶりに。セリフに。
「だって私は、名和聡里君のたった一人の彼女だから」
にこりと微笑み、ゆぅちゃんはハッキリとそう言ってくれた。
俺は、瞳に映っている彼女をただただボヤかしていた。
気付かないうちに目頭が熱くある。
せめて浮かべた涙を流さないようにと、誤魔化しながら宙を見上げ、ナルシストとも捉えられるように目の部分へ手を添えた。
それを見てか、ゆぅちゃんはクスッと笑う。
「というわけで、さと君。家で絵里奈と何をしたのかちゃんと教えて? 隅々。余すことなく。骨の髄まで」
「えっ……? ほ、骨の髄まで……? あ、余すことなく……?」
なんか表現が一気に恐ろしくなった。
ついでに言えば、ゆぅちゃんの笑顔がいつの間にかブラックスマイルになってる。おかしいぞこれは。
「さと君のことは彼女である私が全部知っとかなきゃだもん。全部全部。何もかも」
「あ……あ……っ!」
「本当は私の部屋の中で監禁して、そこで色々聞きたかったんだ。でも、今は仕方ないからここで我慢。ね、さと君? 私に話して?」
ぜ ん ぶ。
詰め寄られた俺がその後何もかも洗いざらい吐かされたのは言うまでもなかった。
文字通り、本当に全部。
●〇●〇●〇●
ゆぅちゃんにあったことを全部話した後、俺は普通に許された。
エロゲを一緒にしたっていうのはちょっとさすがに怒られるかなと思ったけど、ここは謎のゆぅちゃん理論。
ゴリゴリのNTRゲーをさせたわけじゃないから浮気にはならないとのこと。
脳破壊を共有してしまえば、それは浮気に値するらしい。本当に意味がわからなかったけど、ハイライトの消えた瞳をしてそう言われたものだから、俺としてもただ頷いておくしかなかった。
とまあ、そんなことがありつつ、俺たちは未だに空き教室へは戻らず、廊下のくぼみ部分で座り込み、他愛のない会話を続けていた。
夏休みが明けたら文化祭があって、文化祭が終われば定期テストがあり、秋の日常が訪れる。
秋が来れば、紅葉を見に行って、やがて冬が来ればクリスマスになり、イルミネーションを見に行こう。
楽しみだ。
そんな未来のことを延々と語り合っていた。
俺たちの先は誰にも邪魔されない。いや、邪魔できない。
誰も入り込むことなんてできないはずだ。
大隅先輩だって。
そんなことを考えながら話していた矢先だった。
「お楽しみのところ申し訳ないね。そろそろ空き教室の方、戻ってくる気はないか?」
声が聞こえ、俺たちは二人して一斉にそっちの方を向く。
そこには大隅先輩がいた。
軽く手を挙げ、ニッと笑んでいる。
良いところだったのにいったい何をしに来たのか。
反射的にそう思ったけど、皆は絶賛仕事中だ。
俺たちの方が何をしているのか。そろそろ教室へ戻らないと。
先輩の言うことに間違いは一つもなかった。頭を下げる。
「すいません。話してたらつい長くなっちゃって」
「おうよ。気持ちはわかる。二人はしかも付き合ってんだしな」
「……まあ」
「ふふっ」
何が面白いんだろう。
いちいち不気味で嫌な人だ。
「とりあえず、今言った通りだな。楽しいのはわかるけど、そろそろ教室に戻ろうぜ」
「わかりました。戻ります」
「でも待って。戻るのは一人だ」
「……?」
「月森さん。悪いんだけど、先に空き教室へ戻ってくれる? ちょっと名和君を借りるよ」
思わず頓狂な声を出してしまう。
え……。
呼び止めるなら逆だと思ったのに。
ますます彼の考えることがわからなくて、俺は戸惑うのだった。
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