第41話 雪結晶のように
「それじゃあ、雪妃。期末テストの最中だってのに、今日はお邪魔しちゃってごめんね。また明日も頑張ろ?」
「うん。頑張ろうね、絵里奈。それから――」
「も、もちろん頑張りますよ、お、俺も! 冴島さんに負けないぞーって思いで! はい!」
そういうわけで、また明日。
手を振って、月森さんの家の前で挨拶を交わす。
辺りはもう薄暗い。
俺は、二人きりで冴島さんと一緒に並んで歩き、駅を目指した。
「いやー、しかしね、名和くんも今日はごめんね。癒してあげる、とは言ったものの、こうして君の時間を潰しちゃって」
「……はは。ほんとですね。癒しはしてもらえましたけど、確かに時間はかなり潰されました。やれやれです」
「これでテストの点がアタシより低かったら、雪妃はアタシのモノになっちゃうよ~。どうしましょ~(笑)」
「そうなったら力づくで二人を引き離しに行きます。『俺が点数で負けたのは冴島さんのせいだったんですからね』って言いながら」
「あっはは! 怒りの力ってことかー。そりゃ敵わないなー。執念とか凄そう。負け確定じゃん、そんなの」
「どうですかね? 冴島さん、俺より力強そうですし、こっちは負けるかもしれないです。あっけなく」
「ぷっ(笑) 負けるんかい(笑)」
笑い、楽しそうにしながら、暗くなった夕空を見上げる冴島さん。
隣から見る彼女の表情に、もはや暗いモノは伺えなかった。憑き物が取れたかのように、その顔は晴れやかだ。
「でもさー、アタシ、君とこうして話せるような関係になれて本当によかったって思ってる」
「え? 何ですか、告白ですか?」
冗談っぽく言うと、彼女は頬を膨らませ、ジト目で俺を見て、
「残念でした。あいにく、恋愛対象は可憐な女の子ですからー。こんな冴えない見た目の男子なんかじゃありませーん」
「傷付きました。だったら、今度女装して冴島さんの目の前に現れます」
「あはははっ! 何それ面白そう(笑) してして(笑) 本気で見たくなってきたんだけど(笑)」
「いいですよ。うち、妹いますからね。妹の服とか借りて、バッチリ現れてやります。惚れたって知らないですから」
「妹ちゃんトラウマでしょ、そんなの(笑) いきなり兄がフリフリのスカート着て出かけ始めるとか(笑)」
「大丈夫です。あいつ、そういうとこ懐深いんで。生暖かい目で『何やってんの』って言われるだけです」
「それ、引かれてるじゃん(笑) ほんと、面白すぎなんだけど、君(笑)」
言いながら、冴島さんは俺の肩を横から突いてきた。
俺も自分のテンションが高いのは自覚してる。
嬉しいことがあった。
信じられないようなほど、嬉しいことが。
けれど、一つだけ心残りなことがあったのも事実だ。
その心残りを解消させようとしてる。駅に着くまでに。
「ほんと、アタシはは君とこうして仲良くなれてよかったよ。女の子が好きってこと、男子に言ったのなんて君が初めてだし」
「罪な男ってことですか、俺」
「そうだよ。罪な男。挙句の果てにそんなアタシの好きな子を取って行っちゃうし、ほーんと罪作りなんだから。断頭台に上がっときなさいって感じだよ」
「……はは。取って行く、ですか」
「そーだよ。取って行った。幸せにしてあげてよー、雪妃のこと。あの子泣かせたら、アタシが容赦しないんだから」
「っ……」
「君が変なことしないように、見守りもしなきゃねー。あー、明日からもアタシは大忙しだ。大変大変」
「……」
すぐに言葉を返したい。
でも、一瞬それをためらってしまった。
少しだけ遅れて、俺は改まったかのように、彼女の名前を呼ぶ。
「冴島さん」
「ん? 何かな?」
「そ、その……」
まただ。言葉に詰まる。
聞け。聞かないと。
俺はちゃんと――
「『月森さんに告白したこと、聞いてました?』って?」
「――!?」
「ふふっ。ビンゴって顔だね。まったく。君はわかりやすいんだから」
そんなにわかりやすかっただろうか。エスパーか何かかと思ってしまう。
「ごめんね。君と雪妃が言葉を交わし合ってるあの時、アタシ、実は起きてたんだ。寝たふりしてた」
「そ……そうだったん……ですか」
「うん。怒った、かな? 盗み聞きしちゃってたわけだし」
問われ、即座に否定した。そんなことはない、と。
「でも、その、なんかそれだと、本当に俺……」
「あはっ。何? 申し訳ないって?」
遠慮がちに頷いて返す。
すると、彼女は軽く笑って、
「今さら何言ってんの。君と雪妃が好きって言い合うのなんて時間の問題だったし、それがアタシの目の前で聞いたって、それは全然謝ることじゃないよ。安心していいの」
「っ……」
「ほらほら、そんな暗い顔しない。君に思い詰められると、気にしてなかったのに、なんかこっちだって気にしちゃうでしょ? やめて。はい、暗い顔終了」
言って、俺の頬を横からムニムニつまんでくる冴島さん。
彼女は、確かにその言葉通り、何も気にしていないかのように、柔らかい笑顔で俺のことをジッと見つめてくれていた。
「テストの点数もさ、これ、ほんと何度も言うけど、もう気にしなくていいから。今回のは無効。君らしく頑張って」
「冴島さん……」
「美海たちには、アタシからテキトーに言っとくからね。そんなふざけたことで、雪妃を自分のものにできるとか、あるわけないでしょーって」
「……」
「だから、アタシはまたいつも通り君たちと――」
……。
「……君……たちと…………」
冴島さん……。
「あ、あれ……? あはは……おかしいな……。君たちと……アタシは……」
言葉が続けられない。
言葉の代わりに、彼女の瞳からは涙が浮かび上がり、それが頬を伝って地面へ落ちて行く。
暗くなっても、それはわかった。
立ち止まり、固まってるのに、涙だけは出ていたのだ。
「冴島さん、お、俺――」
「いいから! 本当に、いい! 触らないで!」
より近付こうとしたが、それを大きな声で拒否される。
俺も、近付いて何をするつもりだったんだ。
慰めるつもりか? 冴島さんから好きな人を奪った男が?
バカも休み休みにした方がいい。できることなど何もない。今の俺には。
「君がアタシに触ってるところなんて雪妃に見られたら……どう説明するの? それくらい考えないと」
「っ……」
「アタシもバカだ。こんな時にまで、何泣いてるのーって。吹っ切れたはずだったのにね。ふふっ」
涙をハンカチで拭き、そのまま顔を覆ってる冴島さん。
俺は、気付けばそんな彼女に対して声を掛けていた。
「これからも月森さんの傍にいてあげて欲しい。そんなことを俺が願うのは、断頭台直行レベルの失言なんですかね?」
「……え?」
「月森さんは、紛れもなく冴島さんのことが好きです。それは……出会った時から、たぶんずっと」
「っ……」
「すいません。バカなのは、やっぱり俺だ。あなたの気持ちを思ったら、こんなこと言えるわけ……でも、やっぱりそれでも……」
何て言ったらいいんだろう。
この状況に合う最適のセリフがまるで出て行かない。
けれど、それでも俺は、たった一つ。
揺るぎない事実だけを。雪結晶のように綺麗な二人の関係を守りたい気持ちもあって。
俺は……。俺は……!
「どうか……また……月森さんの手を握ってあげてはくれないですか……」
自分の気持ちを優先した、最低のお願い。
俺は頭を下げた。
自分が冴島さんの立場なら、きっとこんな愚かな願いを言ってきた奴など、殴り飛ばしてるだろう。
それでも、やれることなんてこれくらいしか浮かばなかった。
これくらいしか。
「……顔、上げてよ。名和くん」
冴島さんの落ち着いた声が、震える俺の頬を撫でた。
言われた通り、顔を上げる。
彼女はクスッと笑った。
「君は、本当に不器用なんだね。アタシといい勝負」
「……返す言葉もないです」
「ストレートで、愚直で、でも、だからこそ、それは紛れもない本心で」
「っ……」
「けど、それでいいんだと思う。包み隠したって仕方ないもんね。それはそれで嫌だし」
「……」
「いいよ」
「……え?」
「君のそのお願い、聞いてあげる」
「あっ……え……」
「そもそも、アタシは雪妃と離れるつもりもなければ、友達を辞めるつもりだってないもん。君に嫌がられたってね」
その言葉を聞いただけで、涙が出そうになった。
じんわりと熱を帯び出す目元から、水滴がこぼれないよう耐え、続く彼女の言葉へ耳を傾ける。
「でもね、君がお願いしたように、アタシにもお願いがあるの。それ、聞いてくれるかな?」
「は、はい……! もちろんです……! もちろん……!」
何度も頷きながら言う。
冴島さんは、そんな俺を見て、またクスクス笑い、
「アタシの失恋の傷を癒す係、名和くんに引き受けて欲しいんだ」
――雪妃が君へ相談してたように。
――それでアタシはたぶん報われるから。
「け、けど、俺は――」
「はーい。どうするの? 受け入れる? それとも受け入れない? どっち?」
いつもの調子で彼女は問うてくる。
拒否などできるわけがない。
それが本当にいいものなのかと思いながら、俺は了承した。
「ふふふっ。なら、交渉成立。今日から君はアタシの失恋癒し係ね。けってーい」
「でも、俺なんかがこんな役回りしてもいいんですか……?」
問うと、冴島さんは小悪魔っぽく笑い、
「いいんだよ。君がしてくれることに意味があるから」
そう、確かに言うのだった。
【作者コメ】次回、最終話です。最終話更新後にあとがきも書くつもりですので、ぜひとも読んでいただきたい。なんというか、今の心境みたいなもの語ります。本作に対する思いと、最近読んだ同人誌の話?をしようかな、と。その同人誌のせいで、軽く鬱状態なので(涙)
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