ある死に損ないの探索記録

@syusyu101

序文

 書きたくない。

 でも、書かなければ人が四人とイヌが一匹死ぬ。


 人間だけなら、まだ書きたくないって泣きわめいて、この洞窟の中で一人死んでいったって良かった。

 でもイヌが居る。

 イヌは、四人の中の一人に懐いている。

 そう思うとなんだか泣けてきて、本当に、筆が震えて申し訳なくなってくる。

 こんな性格に生まれたのを呪う。

 でも、まだ良い。

 涙が出る内はまだ良い。

 僕たちの時、柴田さんは笑いながら死んだ。

 涙が出る内は、僕はまだ正気で。

 正気だから、イヌ一匹とそれに懐かれた一人のために、これを書かなきゃいけない。


 かといって何を書けばいいか、分からない。

 分かるけれど、分かろうとすると、気が狂いそうになる。


 今いる場所を書けばいいのかな?

 潮の香りでいっぱいの、吐き気が止まらない薄暗闇。

 ランタン一個の灯りしかない、ごつごつしてジメジメした、洞窟の奥だ。

 ダメだ。こんな情報はイヌの役にも立たない。


 ここに来た経緯は? これも意味が無い。

 時間はどうだろう? これは役に立ちそうだ。

 あとは出来事と、場所と、思い出せる全てを書こう。

 成功例とか解決策も書ければ良いけど、僕たちは失敗ばかりしたから、何も参考にならない気がする。書けたら書こう。書けないと思う。


 あぁ、その前に、自分の事を書いておこう。

 書かないと信用してもらえない。

 信用が無くなった時、人間は怪物以前に人間に殺されてしまうんだ。

 僕は僕の名前と、人となりを書かなくてはいけない。ってって書くんだったかな。いや、そんな事こそどうでも良いだろう。


 僕の名前は矢口。


 このノートが濡れているのは、洞窟の湿気と、僕の手に生えた鱗が悪い。

 人はともかく形は醜悪だから、書かない。

 どうせ、君たちがこのノートを読んだ時……僕はもう、僕じゃないだろうから。

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