第4話 螺旋の首飾り
「ニトくんはこれからどうするんですか?」
「とりあえずナゼルに帰るよ。ここに来るのに使ったバスはあの超越者に壊されたから、歩いてな」
「それじゃあ私も付いていっていいですか? 私もナゼルに用事があるので」 「ああ、いいぞ。ちなみに、その用事っていうのは?」
「パイルハンマーの整備と消耗品の補給です。旅をしていると、何もしなくても武器にガタが来るので定期的に整備しないといけないんです」
「へぇ…… 旅ね…… 」
世界が荒廃し、都市間での往来が難しくなったこのご時勢で、旅という単語は行楽の意味を失った。
旅とは行商── 商業的な意味を持つ場合がほとんどで、自分探しやバカンスといった理由では決して行われない。ひとたび都市の外に出れば、超越者のような怪物が跋扈する地獄に足を踏み入れることになるからだ。
それゆえに旅は莫大な利益を、そしてそれ相応のリスクを伴うものだ。
だがニトには、アユリアが商人特有のぎらついた雰囲気を帯びているようには見えない。
だからこそ、彼女が旅を続ける理由が気になった。
「アユリアはどうして旅をしているんだ?」
「……気になりますか?」
「ああ、もちろん」
そう答えると、アユリアは突然シャツの一番上のボタンを緩めた。
困惑するニトをよそに、アユリアは自らの胸元に右手を突っ込んだ。
「旅の理由…… ですか」
何かを探すようにまさぐった後、引き抜いた手の指先には銀色に輝く何かが挟まれている。
視界に入ったそれの正体を悟った瞬間、ニトは絶句した。
「…… まさか」
それは『螺旋の首飾り』と呼ばれる装飾具。
「それは私が『巡礼者』だからですよ」
一人の少女が背負うには重すぎる使命を表すには十分すぎる代物だった。
世界がゆっくりと、しかし確実に変わり始めたのはおよそ百年前のことだったという。
最初は野山に奇妙な小動物がポツポツと姿を見せる程度だった。
角の生えたウサギ、顔のない鳥、イノシシほどの体躯を持つバッタ。
今では当たり前の存在になった異形の生物も、その頃に突如として出現したものらしい。
人々がそれらの出現に驚き、研究し、ようやく日常のものとして慣れた頃——。
突如として人間に対し敵対的な未知の生命体、通称『漂流者』が現れた。
彼らは現世界の生態系や人間社会を喰い荒らし、蹂躙した。
人々が都市を強固な壁で囲わなければ、人類は一瞬にして絶滅に追い込まれていただろう。
なんとか生き永らえた代償として人類の版図は大幅に減少し、数多の国家は分断された。
急速に発展しつつあった機械工業は頭打ちされ、石油や石炭といった資源の不足から、兵器産業や壁材の加工技術などの軍需産業だけが異常に発達することとなった。
だがそれでも、強大な力を持つ怪物たちには手も足も出ないというのが世界の現状だった。
世界が緩やかに破滅へと向かう中、人々はようやくそれらの存在が異世界から流入してきたものであること。そして世界を隔てる障壁の礎であった『神』の力が消えつつあることを突き止めた。
人間が生きる現界、そして魑魅魍魎が棲まう異界。
異なる二つの世界を断絶する扉のような役割を果たしていた神。それが数千年という悠久の時を経て、ついに『消費期限』を迎えたのだ。
世界に溢れつつある漂流者や未知の病も、開きつつある扉の隙間を煙のようにすり抜けてきた異界の住民だったのだ。
だが、原因が判明した頃には既に草原では三つ頭の馬が闊歩しており、銀細工の鈴蘭が揺れ、触手を生やした狼が駆け回っていた。
世界は異界の化け物どもに侵蝕されつつあったのだ。
これ以上漂流者の侵入を許し、事態を悪化させないために捻り出された妙案。
それが神の鎮座する神廟へ赴き、自らが新しい神として成り代わるという暴挙「ニトくんはこれからどうするんですか?」
「とりあえずナゼルに帰るよ。ここに来るのに使ったバスはあの超越者に壊されたから、歩いてな」
「それじゃあ私も付いていっていいですか? 私もナゼルに用事があるので」 「ああ、いいぞ。ちなみに、その用事っていうのは?」
「パイルハンマーの整備と消耗品の補給です。旅をしていると、何もしなくても武器にガタが来るので定期的に整備しないといけないんです」
「へぇ…… 旅ね…… 」
世界が荒廃し、都市間での往来が難しくなったこのご時勢で、旅という単語は行楽の意味を失った。
旅とは行商── 商業的な意味を持つ場合がほとんどで、自分探しやバカンスといった理由では決して行われない。ひとたび都市の外に出れば、超越者のような怪物が跋扈する地獄に足を踏み入れることになるからだ。
それゆえに旅は莫大な利益を、そしてそれ相応のリスクを伴うものだ。 だがニトには、アユリアが商人特有のぎらついた雰囲気を帯びているようには見えない。
だからこそ、彼女が旅を続ける理由が気になった。
「アユリアはどうして旅をしているんだ?」
「……気になりますか?」
「ああ、もちろん」
そう答えると、アユリアは突然シャツの一番上のボタンを緩めた。
困惑するニトをよそに、アユリアは自らの胸元に右手を突っ込んだ。
「旅の理由…… ですか」
何かを探すようにまさぐった後、引き抜いた手の指先には銀色に輝く何かが挟まれている。
視界に入ったそれの正体を悟った瞬間、ニトは絶句した。
「…… まさか」
それは『螺旋の首飾り』と呼ばれる装飾具。
「それは私が『巡礼者』だからですよ」
一人の少女が背負うには重すぎる使命を表すには十分すぎる代物だった。
世界がゆっくりと、しかし確実に変わり始めたのはおよそ百年前のことだったという。
最初は野山に奇妙な小動物がポツポツと姿を見せる程度だった。
角の生えたウサギ、顔のない鳥、イノシシほどの体躯を持つバッタ。
今では当たり前の存在になった異形の生物も、その頃に突如として出現したものらしい。
人々がそれらの出現に驚き、研究し、ようやく日常のものとして慣れた頃、突如として人間に対し敵対的な未知の生命体、通称『漂流者』が現れた。
彼らは現世界の生態系や人間社会を喰い荒らし、蹂躙した。
人々が都市を強固な壁で囲わなければ、人類は一瞬にして絶滅に追い込まれていただろう。
なんとか生き永らえた代償として人類の版図は大幅に減少し、数多の国家は分断された。 急速に発展しつつあった機械工業は頭打ちされ、石油や石炭といった資源の不足から、兵器産業や壁材の加工技術などの軍需産業だけが異常に発達することとなった。
だがそれでも、強大な力を持つ怪物たちには手も足も出ないというのが世界の現状だった。
世界が緩やかに破滅へと向かう中、人々はようやくそれらの存在が異世界から流入してきたものであること。そして世界を隔てる障壁の礎であった『神』の力が消えつつあることを突き止めた。
人間が生きる現界、そして魑魅魍魎が棲まう異界。異なる二つの世界を断絶する扉のような役割を果たしていた神。それが千年という悠久の時を経て、ついに『消費期限』を迎えたのだ。
世界に溢れつつある漂流者や未知の病も、開きつつある扉の隙間を煙のようにすり抜けてきた異界の住民だったのだ。
だが、原因が判明した頃には既に草原では三つ頭の馬が闊歩しており、銀細工の鈴蘭が揺れ、触手を生やした狼が駆け回っていた。世界は異界の化け物どもに侵蝕されつつあったのだ。
これ以上漂流者の侵入を許し、事態を悪化させないために捻り出された妙案。
それが神の鎮座する神廟へ赴き、自らが新しい神として成り代わるという暴挙だった。
神話の世界のみで語られる大罪、神殺し。
そんな夢物語を実現させ、世界を救う使命を持った者を人々は巡礼者と呼んだ。
── そんな使命を背負ってるのは思えないな。
ニトは疑り深い目でアユリアを見た。
彼女は暢気に鼻歌を歌いながら、ニトの一歩先を軽やかに歩いている。まるで祭り囃子に合わせて舞う村娘のようだ。
紺色の衣装も、一見すると簡素な女物の給仕服にしか見えない。急所を護る金属製の胸当てや膝当てといった最低限の防具は付いているものの、 やはり軽装だ。
だが、その背に輝く巨大なパイルハンマー。先ほど目の当たりにした信じられぬ身のこなし。
何より、白い首元に輝く巡礼者の証がアユリアの使命を表していた。
螺旋の首飾り。
二つの世界を繋ぐ聖地に赴き、自らが神と成るその使命を、遺伝子の二重螺旋構造に見立てたものだ。
英雄ジロマ、鉄血のサーヴェン、酔いしれるドイモ。その凄まじい武勇から様々な英雄譚に名を残す偉大な先人たちも、それと同じ首飾りを掛けていたという。
だがそんな彼らでも神廟に辿り着き、使命を果たすことは叶わなかった。
誰かの願いは巡り巡って、また誰かの元へ受け継がれる。そうして巡礼の旅は脈々と繰り返されてきた。
きっとアユリアの肩には数え切れないほど沢山の願いが掛かっているのだろう。 ニトの目元ほどの背丈しかない彼女の身体が、心なしかとても大きく見えた。
だった。
神話の世界のみで語られる大罪、神殺し。
そんな夢物語を実現させ、世界を救う使命を持った者を人々は巡礼者と呼んだ。
── そんな使命を背負ってるのは思えないな。
ニトは疑り深い目でアユリアを見た。
彼女は暢気に鼻歌を歌いながら、ニトの一歩先を軽やかに歩いている。まるで祭り囃子に合わせて舞う村娘のようだ。
紺色の衣装も、一見すると簡素な女物の給仕服にしか見えない。急所を護る金属製の胸当てや膝当てといった最低限の防具は付いているものの、 やはり軽装だ。
だが、その背に輝く巨大なパイルハンマー。先ほど目の当たりにした信じられぬ身のこなし。
何より、白い首元に輝く巡礼者の証がアユリアの使命を表していた。
螺旋の首飾り。 二つの世界を繋ぐ聖地に赴き、自らが神と成るその使命を、遺伝子の二重螺旋構造に見立てたものだ。
英雄ジロマ、鉄血のサーヴェン、酔いしれるドイモ。その凄まじい武勇から様々な英雄譚に名を残す偉大な先人たちも、それと同じ首飾りを掛けていたという。
だがそんな彼らでも神廟に辿り着き、使命を果たすことは叶わなかった。
誰かの願いは巡り巡って、また誰かの元へ受け継がれる。そうして巡礼の旅は脈々と繰り返されてきた。
きっとアユリアの肩には数え切れないほど沢山の願いが掛かっているのだろう。
ニトの目元ほどの背丈しかない彼女の身体が、心なしかとても大きく見えた。
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