第16話 カフェ・デミタスと彼女

 僕と彼女は、近鉄平城駅前のカフェ・デミタスに来ていた。

 ここなら、ゆっくりと会話が出来そうだし、何より目の鼻の先に僕らのアパートがあるから少しくらい遅くなっても安心だ。

 それにマスターはとても無口でしかも、雰囲気を察してくれるから会話が漏れても色んな面で安心だと考えたのだ。

 勿論、彼女の両親ともこの店で初めて会話をしたことも思い出したから…。


「美味しかったよね。天理ラーメン。私、奈良に来てからずっと食べに行きたかったんだけど、電車で行こうと思ったらちょっと駅からは歩けない距離だったしずっと諦めてた。だから、今日、高井くんに会えてとってもラッキーだった。ありがとう」

「うん、それはお安い御用だけどさ。笠原さん…」

「ちょ、ちょっと待って。今日はまず私の話を聞いて欲しいと思ってるんだけどいい?」


 彼女の瞳は僕の心を貫く…。

 僕はゆっくりと首を動かすことしかできない。


「私、正直言うと、高井くんを避けてた。ごめんなさい。でもね。しょうがないんだ。だって、私こんな体だし。高井くんに迷惑をかけてしまうし、そして、今日みたいにタガが外れるとすぐに甘えてしまうってわかってた。だから、避けてたというか逃げてた。ごめんね。本当に…」


 彼女は、アイスカフェオレをストローで二口ほど飲むと、ふっと小さく息を吐いた。それは、今日こそ自分の気持ちを全て吐き出そうと決めているような仕草だった。


「私、高校二年までずっと陸上部にいたんだ」


 僕は、「うん」と相槌を打つ。


「そっか、これは母さんから聞いて知ってるんだっけ?そう、長距離の選手だったんだ。走ることは私そのものなんて思っていて、母さんにも私は走るために生まれてきたんだよとか言ってたんだ。ほんと、恥ずかしいよね」


 彼女は、眉をひそめながら話を続ける。


「いつだったかな。あれは高校三年の春頃だったかな、急に右足の膝の部分が腫れだして、動かすと痛くなったんだよね。陸上部の監督からは、練習しすぎだから暫く休みなさいとか言われて二日ほど家で休んでいたんだけど、その日の夜にさらに激しい痛みに襲われてさっ、私、気を失って救急車で運ばれたんだ。でね、次の日から色んな検査を数え切れないくらいやって…」


 彼女は、一際辛そうな顔をする。


「いいんだ。無理しないでよ。僕に全部話す事ないよ」


 彼女は、顔を左右にゆっくりと振る。


「私、右足を切ったんだ…」


「えっ」と驚きの声を発すると同時に僕の顔から血の気が引いていく…。


「骨の癌だったみたい。すぐに膝から下を切れば、命は助かると言われたけど、足を切るなんて私は……、考えられなかった。そして、嫌だってずっと泣いていたよ。もう死んだ方がましとか言ってずっと泣きわめいてたんだ。でもね、最後の最後でやっぱり死ぬのは嫌だったし、もうそれが運命なんだと受け入れるように決めたんだよ。いや、この時、私は全ての希望を捨てたんだ…。へへっ。私って、不幸でしょう」


「無理に笑うなよ…」僕はなんとか絞り出す。


「ごめん。でね、今、私の右足は義足なんだ。いっつも、びっこひいてるでしょ?これでもだいぶん調整してもらって良くなったんだけど。そう、もうちょっとなんだよね。もう少ししっくりすれば、もしかしたら早歩きくらいは出来るかもしれないって病院の先生が……」


「そっか…」


「うん。手術して暫く経った時だったかな、義足という本当の足ではないけど、それを装着することで、また歩ける…、それが当時の私の大きな希望となったんだよ。だけど、クラスメートや陸上部の仲間達は、義足を付けた私を腫れ物扱いするんだ。そう、優しい言葉はかえって私の心を深く削っていったし、同情という名の鎖でいつも打たれている様な感覚に落ちいったんだ。

 だから、結局私は一人になることを選ぶことにした…って、わからないかもしれないけど…。

 でも、そうしないと普通じゃない自分がとても惨めに思えたし、気がどうにかなりそうだった」


 彼女はまた、僕の瞳を見つめる。


 「あとさ、私に優しい声をかけてくれる人は、私を見ているのではなく、びっこを引いてる右足が義足の女の子への同情、、絶対にそれだけの薄っぺらい感情だけだって決めつけてた…」


 僕は、黙って、彼女の話が終わるのを待っている。


「だから、ずっと一人でいいと思っていたんだよね。あっ、この大学を選んだのもここなら私を知っている人が一人もいないからと思ったからで、この大学で何をしたいとか正直ないままに私は大学に通っているような痛い女なんだよ」


 僕は、水が入ったコップで口を湿らせると、声を発する。


「あのさ!僕を見て!」

「えっ!?」


 彼女は僕の目を見つめる。


「笠原 空さん、僕は、君が好きです」


 今、彼女に声をかける言葉としては絶対違う気がするし、逆にこれしかない気もする。


 あーもうどうでもいいや。

 僕の気持ちが溢れ過ぎたから、ただ単にシンプルにこの言葉を発したのだ。


 彼女がこれまで過ごして来た時間を考えると、とても一言では言えない辛いことが多かったのだろう。だが、僕は、それよりも今、こうして向かい合っている彼女の存在を神に感謝する。

 その病気が右足だけで良かった。彼女が天に召されずにすんで本当に良かった。何より、この大学で、アパートで彼女に出会えて本当に良かった。


 彼女は、言葉を失くしたまま、まだ固まっている。当たり前だとは思うけど、僕の言葉を一向に理解出来てないみたいだ。

 だから、もう一度言おう。いや、何度でも言うよ…。


「笠原 空さん、僕は、君のことが大好きです」




 

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