第14話 両親と彼女
「空ー!空ー!」
「いないな…。どうする母さん」
「どうするって言われても…。ほんとにあの子ったら連絡してたのに部屋にいないなんて。もうっ。ほんとに!」
朝早くから下の階が騒がしいな。
なにかあったのだろうか?なんだろう?と思いながら僕は階段を降りて行く。
今日の講義は三時限目だから午後から行けばいいのだが、先週出された課題がまだできてないので、少し早く行って喫茶室でやろうかなんて思っていた。
「あの、ちょっとすいません。いいかしら!?」
「ん!?僕ですか?」
「そう。ごめんなさいね。これから大学なの?」
「あっ。はい。そうです」
「つかぬ事をお聞きしますが、このアパートに住んでる笠原の母ですが、空のことご存じでしょうか?」
僕は、まさか彼女の名前が出てくるとは思わず一瞬回答に詰まる。
「は、はい。僕は高井といいます。空さんとは同じクラスで、仲良くさせて貰っています」
我が子のことを知っている、それに大学のクラスメイトと聞いた瞬間、少し年を取った人の良さそうな夫婦は少しほっとした様な顔になった。
「コーヒーを二つと、紅茶をくださいな」
近鉄平城駅前に唯一ある小さなカフェ、デミタスで、僕ら三人はテーブルを囲んでいる。
「高井さんでしたよね。すいません急に引き止めてしまって」
どうしてこうなったのか…。
自分でも驚く展開なのだが、僕と話をしたいと彼女の母親が真剣な眼差しで言うものだから断れずにここまで一緒に来ているのだけれど、一体なんで僕なのだろうか?
そもそも、僕なんか、一年過ぎても彼女の事を何もわかってないのに、何か聞かれても答えようがない。
「空って、いつも一人でしょ?周りを自分から寄せ付けない様にしているというか…」
彼女の母親は少し悔しそうな顔をする。
「おいおい。母さん。もうやめなさい」
「いいのよ。私、高井さんのことは知ってるの。空から一度だけ名前が出たから」
僕は、驚きのあまり「えっ」と声を出してしまう。
「あなたが講義に遅れたあの子をオートバイに乗せて行ってくれたのよね。私、それを聞いて嬉しかったわ。だって、あの子には手を差し出そうとする人は、これまでも何人もいたけれどそれをあの子は全部拒否してしまう。そう、これまではね。だけど、あの子、きっと高井さんのことを信頼してるんだろうなって思うのよ」
僕は、これまでの彼女との薄い繋がりを一つづつ丁寧に話していく。
途中、パンを焼いてくれた事を話した時は、流石に二人とも驚いていた。
「高井さんは空から聞いてる?足のこと…」
僕はもう一度背筋を伸ばすと、「いいえ」と呟く。
「そう。でも、近いうち空はあなたに話をすると思うわ。私にはわかる。だって、あの子の母親だもの…」
彼女の父親はゆっくりとうなづいた。
「あの子は小さい時からすごく活発で、男の子と一緒になって走り回ってるような感じの子だったのよ。ふふふ。それに、誰に似たのか気も強くてね。男の子があの子を揶揄ったり意地悪すると取っ組み合いの喧嘩とかもしてたのよ。
中学校に入ると陸上部に入って、長距離走に取り組んで、それからかな、あの子は毎朝ジョギングをする様になって…。三キロが五キロに、そして三年生になると毎朝十キロを走るのが日課になってね…。とにかく走る事が好きな子だった。走れば嫌なことも忘れて、素の自分を感じる事が出来る、走る事が私に出来る唯一の表現なんだよとか偉そうに言ってたっけ。
でも、色々あって、今、あの子は走れない。そして今も自分を殻の中に閉じ込めたまま…」
僕は、彼女がどれだけ辛い思いをしてきたのか想像もつかない。でも、彼女にはまだまだ明るい未来があるはずなんだ。それを今、僕は無性に伝えたいと思った。
どうすれば彼女に僕の思いを届ける事が出来るだろうか…。
改札を通り抜け、階段を登る手前で彼女の両親は僕の方へ振り向くと、もう一度頭を下げる。
僕は、「僕に任せてください。空さんが好きです」と心の中で叫んでいた。
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